論文・レポート

レポート/多田純一『エディションの歴史に見るコルトー版の指使い』

2007/04/01
エディションの歴史に見るコルトー版の指使い
~ショパン作曲《エチュード op.10 No.2》の場合~

多田純一

要 旨

 フレデリク・フランチシェク・ショパン Fryderyk Franciszek Chopin(1810-1849) の作品は多くの校訂者によって様々な楽譜が出版されてきた。楽譜によって指示される指使いもまた様々である。近年では作曲家の意図を出来る限り正確に反映させることを目的とした原典版が重要視されているが、原典を再現するための原典版においても、指使いに関しては他の要素と異なり、ショパンが指示した指使いだけでなく校訂者の指使いも指示されていることが多い。また指使いのみ校訂者とは違う研究者が担当していることもある。さらにショパン自身が指示した指使いとして示される指使いも、楽譜によって異なっている。
 原典版の時代になってもなお、多くの学習者に使用されているアルフレッド・コルトー版には多くの指使いが指示され、参考にされている。本論の目的は、ショパン自身の指使い、ショパンの弟子の楽譜に見られる指使い、ショパンの死後出版された楽譜に指示される指使い、の3つの角度から合計24の楽譜を比較考察することにより、《エチュード op.10 No.2》に指示される指使いの変化、コルトー版の指使いの歴史的な位置付けと特徴を明らかにすることである。
 考察により、コルトー版の指使いが、それ以前に出版された楽譜の指使いからどのような影響を受け、また後に出版された楽譜の指使いにどのような影響を与えたのか、についていくつかの特徴を得ることが出来た。20世紀はじめから中頃に出版された楽譜の多くには、校訂者による独自の指使いが多く指示されており、コルトー版はそれらの楽譜のひとつである。その時代の楽譜の多くは、ショパンの指使いとは区別されず同列に記載されているという特徴を持っている。またコルトー版の指使いは第3指と第5指の使用方法が特徴的であり、その使用が後の楽譜にも大きな影響をあたえていることがわかった。


<目次>

1 《エチュード op.10 No.2》の楽譜
1.1 はじめに
1.2 コルトーが参考にした資料
1.3 ショパンに直接関わる資料
1.4 ショパンの弟子の楽譜
1.5 ショパンの死後出版された楽譜
2 《エチュード op.10 No.2》指使いの考察
2.1 校訂者たちの指使いに対する考え方
2.2 第1小節目から第4小節目
2.3 第15小節目から第18小節目
2.4 第25小節目から第28小節目
3 まとめと今後の課題
<注>
巻末資料 《エチュード op.10 No.2》指使い一覧表

1 《エチュード op.10 No.2》の楽譜

1.1 はじめに

 ピアノを専門的に勉強していく過程で、避けては通れない曲集というものがいくつかあるが、その中にフレデリク・フランチシェク・ショパン Fryderyk Franciszek Chopin(1810-1849) が作曲した《エチュード Etudes》がある。音楽大学の入学試験やコンクールの課題曲になることも多い。ショパンの《エチュード》を学習する際、楽譜や指使いの選択によって、練習内容や演奏は変化してくるのではないだろうか。数多く出版されている楽譜の指使いには、たいていの場合、それぞれの校訂者による指使いが提案されている。ショパンに限らず、近年では一般的に原典版が重要視されているが、原典を再現するための原典版においても校訂者の指使いが提案されていることは多く、また指使いのみ校訂者とは別の研究者が担当している場合もある。さらにショパン作品の場合は原典版と銘打たれる楽譜が複数存在している。ヤン・エキエル校訂の『ナショナル・エディション』、パウル・バドゥラ=スコダ他校訂による『ウィーン原典版』[1] 、また、ジャン・ジャック・エーゲルディンゲル他校訂により、順次刊行中のペータース新版など、信頼出来ると思われる原典版だけでもこれだけ存在し、さらにパデレフスキ他校訂による『ショパン全集』、『ヘンレ版』、なども原典版として用いられてきた[2]。現在、最新の原典版となるペータース最新版"The Complete Chopin ―A New Critical Edition" は2007年11月現在、『プレリュード』と『バラード』、『ワルツ』が出版されているが[3]、共通して掲載されている「編集の方法と実施についての注釈」にある「編集の基本理念」では次のように説明されている。

 The Complete Chopin は2つの重要な前提に基づいている。第1にショパン作品の最終的なヴァージョンというものはあり得ない:ヴァリアントは音楽の不可欠な一部分を形成している。第2にいくつかの原資料からなる任意による解釈の合成 ― 事実上、実際に存在しなかった音楽の1つのヴァージョンを作ること ― は避けられなければならない。それゆえに、我々の手順は、それぞれの作品のための最も重要な原資料を特定し、そしてそれらの原資料に基づくエディションを作成することである(たとえそれが最終的なものに成り得ないとしても、我々は'最善'と見なす)。同時に我々は隣接した場所や、場合によっては主要楽譜の中、脚注、もしくは校訂解説の中に公認された原資料から重要なヴァリアントを再現した。このようにして学問上の比較と、演奏における選択を容易にすることを可能にしている。[4](抄訳;多田)

 上記の引用から、原典を追求していく過程において、ショパン作品の場合は1つの決定的な楽譜というものを作ることは出来ないことがわかる。「どの楽譜が最善である」とは言い切ることが出来ない状況にあり、「どのように用いるか」が重要な問題となっている。これらの楽譜に提案されている校訂者(もしくは運指担当者)による指使いは、原典版という楽譜の性格上、ショパン自身の指使いとは明確に区別されている。しかし、原典版の時代となる以前は、校訂者による加筆も多く見られ、指使いの指示に関しても、ショパンの指使いと校訂者の指使いに明確な区別がない場合が多かったのである。
 これまでに多くの楽譜が出版され、また淘汰されてきた。Chomiński & Turło[5] によるショパン作品のカタログ(以下カタログ1990と称す)では、全集だけでも50以上の出版社から出版された楽譜が紹介されている。全集になっていない選集は150種類以上ある。このうち大半は絶版となっており、筆者が書店などで購入することが出来た楽譜は《エチュード》では約20種類であった。その中でも日本語訳や英語訳されたものが出版され、現在も用いられることが多い楽譜に、アルフレッド・コルトー版(以下コルトー版と称す)がある。偉大なるピアニスト、そして教育者として、現在のピアニストにも多くの影響を与えているアルフレッド・コルトー Alfred Cortot (1877-1962)により校訂された。多くの校訂報告を持つ原典版に対して、実用版、練習版、もしくは校訂版等と呼ばれる。主に練習用として用いられるコルトー版は、難しいパッセージに対応するための具体的な練習方法や、指使いが示されている。香川はコルトー版に指示される指使いについて次のように述べている。

 今日、学生によってよく用いられる版であり、そこに例示された練習方法等はなかなか丁寧なものと言えるが運指法については極めて個性的なものも採用されている。これはベートーヴェンにおけるシュナーベル版についても言えることであるが、コルトーの方がよりピアニスティックな表現にかなっていて部分的には示唆に富んだものである。[6]

 香川が述べたように、コルトー版の指使いは個性的であると表現されることが多い。多くの曲にその個性的な指使いは指示されているが、ショパン自身の指使いを配慮している場合も多く、《エチュード op.10》全曲の指使いについてコルトー版、『ショパン全集』、『ナショナル・エディション』の3つの楽譜を比較、考察した研究では次のような結論を得ることができた。

 No.2、No.5、No.8など、特に弾き始めの難しいエチュードの場合に、手や手首の高さが一定に保たれる状態で弾き始めることができる指使いとなっている。テンポの速いエチュードでもNo.4、No.12のように、ショパンのオリジナルが最適であると考えられる場合には、他の版と変化はない。[7]

 またコルトー版の指使いとショパンのオリジナルの指使いを比較、考察した研究ではコルトー版の指使いについて5点の特徴を得ることができた。その特徴を次に概観する。

第1点目に、加藤によるとショパンの指使いの特徴は「1.親指の開放」、「2.多様な指の交差」、「3.同じ指の連続」、「4.指の置き換え」、「5.指の個性」の5つにまとめられる[8]が、それらの特徴はコルトー版にも同様に見る事ができる。コルトーはショパンの指使いの独創性を理解した上で、取り入れるべき点は取り入れ、新たに指示する必要があると思われる箇所については新しい指使いを考察している。
第2点目は、コルトーはあるフレーズについて指使いを指示する場合、打鍵に適した指の個性と共に、その先のフレーズ全体を考えて、より合理的であると考えられる指使いを提案している。
第3点目に「指の差し替え」が行われている。
第4点目に、第3指と第5指の関係を有効に使うことにより、手の高さを一定に保っている。また、この2本の指の合理的な使用は、結果として手や指の疲労を回避することにも繋がっている。
第5点目に、コルトー自身が述べているように、すべての演奏者に適した指使いというものはなく、手の大きさに合わせて選ぶことが出来るいくつかの指使いを示している。そしてその考え方は後のエディションにも影響を与えている。[9]

 本論では以上の先行研究によって得た結論から、さらに指使いの歴史の中で、コルトー版の指使いがどのような場所に位置するのか、後に出版された楽譜の指使いにどのような影響を与えたのか、について考察することが目的である[10]。研究対象とする作品は、《エチュード op.10》の中でもショパン自身の指使いが特に綿密に指示されている《エチュード op.10 No.2》とした。


1.2 コルトーが参考にした資料

 ショパンが指示した指使いは彼の独創的な指使いであると言われているが、コルトーはショパンの指使いの特徴をどのように捉え、またどのような資料からその特徴を知ったのであろうか。コルトーはショパンの指使いについて次のように述べている。

 彼は黒鍵を打鍵するために、親指も第2指も同じように使用されうる能力を認めている。これは当時まですべてのピアニストが守っていた神聖不可侵な伝統と決定的に矛盾するものであった。(中略)同じ事は、親指を使用せず、指の上を別の指がまたぐことにもいえる。[11]

 コルトーによる上記の分析は、加藤によるショパンの指使いの特徴における「1.親指の開放」と「2.多様な指の交差」を示しており、ショパンが指使いの歴史において大きな変革を成し遂げたものであると言われている。
 コルトーが楽譜を校訂しはじめた1915年は、ドビュッシーが《12のエチュード》を作曲した年と重なっている。ラヴェルの作品においても《水の戯れ》は1901年に作曲され、《鏡》や《夜のガスパール》といった主要なピアノ作品も1915年までには作曲されている。ドビュッシーの後期の作品やラヴェルの多くの作品が出版されていた時代ということは、コルトーが当時の現代作品を弾く場合には「1.親指の開放」や「2.多様な指の交差」すでに必然であったと思われる。しかし指使いが多様化し、その選択の幅が広がったとしても、「3.同じ指の連続」や「5.指の個性」といった、ショパンがこだわって指示したと思われるような指使いに関しては、コルトーは変更せずにショパンの指使いをそのまま用いている。例えば《即興曲 op.51》第37小節目の下行する半音階や、《エチュード op.10 No.9》の冒頭の右手などにその特徴を見ることができる。
 コルトー版の中には校訂報告はないが、コルトーが実際に確認したと思われる楽譜については脚注などに多くの記述が見られる。《エチュード op.10》の序文の注には「メトロノームの表示は、自筆譜の中にも、ショパンの存命中に出版されたシュレジンガー社のパリ版の中にも掲載されている。」[12] と書かれている。また《エチュード op.25 No.11》では第83小節目第4拍目の左手G音のオクターヴについて、フランス初版ではG音のオクターヴになっているが、イギリス初版とドイツ初版ではF-C-G音の和音になっていることを説明していることから、3つの国から出版されたそれぞれの初版を確認していることがわかる。
 自筆譜については《エチュード op.10 No.9》には第2小節目第3音目のdes音について「自筆原稿には、このフレーズが反復される所すべてに'レ♭'が書かれてある」[13]と説明されている。《エチュード op.10 No.11》にも自筆譜に関する記述がある。またコルトーはドビュッシーやフォーレの作品など、自筆楽譜のコレクションをしていたこともよく知られている。ショパン作品では《エチュード op.10 No.3》、ピアノメトードの草稿など[14]である。これらのことから、コルトーは自筆譜や初版譜など、現在の楽譜校訂において基本的な原資料となるもので主要なものはほぼ入手し、校訂作業に使用したといえる。つまりショパンの指使いについても、自筆譜と初版譜の違いも含めて熟知していたと言ってもよいのではないだろうか。ただし校訂報告がないため、具体的な入手資料まではわからない。
 では現在の原典版において、どのような資料が校訂作業に用いられているのだろうか。ショパン自身の指使いを知るために、次節では《エチュード op.10 No.2》に指示されるショパン自身の指使いの可能性について考察する。


1.3 ショパンに直接関わる資料

 カタログ1990では作品別に自筆譜や初版など、関連する資料が示されている。《エチュード op.10》の項の中で「基本的なもの podstawowe」に示される《エチュード op.10 No.2》に関する資料は次の3点である。[15]

I.《エチュード op.10 No.1》および《エチュード op.10 No.2》の筆写譜。
II.フランス初版の校正刷にショパン自身が指使いを指示した楽譜。
III.ショパンの自筆譜で初期のヴァージョン。

"The Complete Chopin" では、現時点で《エチュード》が未刊行のため、現在出版されている《エチュード》の原典版で最新のものは『ナショナル・エディション』であるが、上記の3点はそのまま原資料として使用され、「編集原則」では3点共に、最も信頼できる最終的な原資料となるフランス初版の第2刷りの補助的な資料として考慮に含められている。[16]それぞれの楽譜には指使いが指示されているのだろうか。

I.この筆写譜は『ナショナル・エディション』の校訂報告に「恐らくヨゼフ・リノフスキによって作成されたものである。」と説明されているものである。指使いの指示は曲全体を通して見られない。(TOWARZYSTWO im. FRYDERYKA CHOPINA,Warszawa 所蔵、本論では所蔵番号F.1480 写真コピーを使用。)
II.曲全体にショパン自身による指使いが指示されている。現在、各原典版にてショパン自身の指使いとして指示されているのは、ほぼこの楽譜を基にしたフランス初版の指使いである。[17](Bibliothèque de l`Opéra,Paris 所蔵、所蔵番号 RES 50(4)を使用。)
III.「Etude」というタイトルを伴った、初期の自筆譜。『ウィーン原典版』[18]にて楽譜になっており、指使いは第1小節目と第32小節目から第35小節目のみに指示されている。(Stiftelsen Främjande,Stockholm 所蔵。本論ではTOWARZYSTWO im. FRYDERYKA CHOPINA,Warszawa 所蔵、所蔵番号F.796 写真コピーを使用。)

以上の資料からショパン自身の指使いはIIの楽譜と、IIIの楽譜に見られることがわかった。


1.4 ショパンの弟子の楽譜

 ショパンはさらに弟子の楽譜にも多くの書き込みを行ったこともよく知られている。カタログ1990では7人の弟子が紹介されている[19]が、同様にエーゲルディンゲルの著書[20]にも紹介されている。2006年11月にフランス語新版が出版されたが、弟子の名前に追加は見られない。『ナショナル・エディション』の『エチュード』では次の3人の楽譜を有力な資料として採用している。

IV.ジェーン・ウィルヘルミナ・スターリングの楽譜(Bibliothèque Nationale,Paris 所蔵、所蔵番号 RES.VMA 241,Vol.1を使用。)
V.カミーユ・デュボア=オメアラの楽譜(Bibliothèque Nationale,Paris 所蔵、所蔵番号 RES F 980(1)を使用。)
VI.ルドヴィカ・イエンジェイエヴィチョーヴァの楽譜(TOWARZYSTWO im. FRYDERYKA CHOPINA,Warszawa 所蔵、本論では所蔵番号F.678 写真コピーを使用。)

 3つの楽譜のいずれにも《エチュード op.10 No.2》に指使いの書き込みは見られない。先に示した加藤によるショパンの指使いの特徴における「4.指の置き換え」以外はこのエチュードにおいて確認することが出来る。特に「2.多様な指の交差」は頻繁に行われ、コルトーは《エチュード op.10》の楽譜における解説の中で「克服するべき難しさ」として「第3指、第4指、そして第5指の指の交差」[21]を挙げている。《エチュード op.10 No.2》にショパンによって指示された指使いはどのように変化していくのだろうか。
 先に紹介した7人の弟子のうち、ショパン自身による書き込みが少ないこともあり、それほど有力な資料とされていない楽譜にザレスカ=ローゼンガルトの楽譜がある。ザレスカの楽譜には指使いが細かく書き込まれているが、筆跡を見ても、また、他の弟子の楽譜に見られる書き込みの筆跡を見ても、やはりショパン自身の書き込みとは考えられないものが多数ある。例えば、数小節にわたってすべての16分音符に指使いが書き込まれていることが挙げられる。他の弟子の楽譜には、部分的な書き込みは見られるものの、このような書き込みはあまり見られない。しかし、そこに書き込まれる指使いはショパンの弟子や、ショパンが生存していた時代の人々の指使いに対する考え方を知る上で貴重なものであると言えるのではないだろうか。本論では次のザレスカの楽譜を考察の対象に含む。

VII.ゾフィア・ザレスカ=ローゼンガルトの楽譜、ドイツ初版(Biblioteka Polska,Pris 所蔵、所蔵番号15812を使用。)

 これまでの考察から、本論ではショパン自身が指示した指使いとして資料IIおよび資料III、フランス初版の資料IV(資料V、資料VIは資料IVと完全に同じ指使いであるため省略する)、ショパンの弟子が使用した楽譜として資料VIIを比較考察の対象とする。

1.5 ショパンの死後出版された楽譜

 ショパンは1849年に没したが、その後約150年の間に様々な楽譜が出版され、指使いもまた様々である。本論ではショパンの死後出版された楽譜の中から、入手することができた次の20種類の楽譜を比較考察の対象とする。校訂者、出版年代、使用楽譜は次の通りである。

《使用楽譜一覧》

1.クリンドヴォルス校訂 出版年代不詳(Fr.Chopin Oeuvres complètes Vol.1 revues ,doigtées et soigneusement corrigées d'après les éditions de Paris,Londres,Bruxelles et Leipsic par Charles KLINDWORTH. Berlin: Ed.Bote &.Bock)[22]
2.ミクリ校訂 1879年頃出版(Frederic Chopin Complete works for the piano. Book VIII ETUDES. Edited and Fingered, and provided with an Introductory Note by Carl Mikuli, New York: G.Schirmer)[23]
3.ショルツ校訂 1879年頃出版(CHOPIN Kompositionen Band IIFr.Chopin's Sämtliche Pianoforte -Werke. Kritisch revidiert und mit fingersatz versehen von Herrmann SCHOLTZ, Leipzig: C.F.Peters)
4.プュニョ校訂 1902年頃出版(Frédéric Chopin Études , durchgesehen und nach den überlieferten Originalen bezeichnet, Édition revue, doigtée et nuancée d'après les traditions originales von/par Raoul Pugno ,Wien: Universal Edition)[24]
5.ドーア校訂 1904-1908年頃出版(Oeuvres Pour Piano Par Frédéric Chopin. Etudes. Revus et soigneusement doigtés par Anton Door , Leipzig: Aug. Cranz)
6.ドビュッシー校訂 ©1915(Chopin Oeuvres complètes pour Piano Études Révision par Claude Debussy, Pais: Editions Durand et Cie)
7.コルトー校訂 ©1915(Éditions de Travail des OEuvres de Chopin 12 Études op.10 , Alfred Cortot, Paris: Editions Salabert)
8.フリードハイム校訂 ©1916(Fréderic Chopin Etudes For the Piano, Revised and Fingered by Arthur Friedheim, New York: G.Schirmer)
9.ブルニョーリ校訂 1923-1926年頃出版(Chopin Studi per Pianoforte Edizione didattico-critico-comparativa a cura di Attilio Brugnoli, Milano: Ricordi)[25]
10.カゼッラ校訂 ©1946(Chopin Studi Per Pianoforte Revisione Critico-Tecnica di Alfredo Casella , Milano:Edizioni Curci)[26]
11.ショルツ=ポズニャック校訂 ©1948(Frédéric Chopin Etüden Kritisch revidiert von Herrmann Scholtz Neue Ausgabe von Bronislaw v. Pozniak , Frankfurt: C.F.Peters)[27]
12.パデレフスキ他校訂 ©1949(『ショパン全集』IIイグナツィ・ヤン・パデレフスキ、ルドヴィク・ブロナルスキ、ユゼフ・トゥルチヌスキ編集、エチュード、東京:財団法人ジェスク音楽文化振興会、株式会社アーツ出版©1992)[28]
13.クロイツァー校訂1951年出版(レオニード・クロイツァー『ショパン=クロイツァー 練習曲集』、東京:音楽之友社、©1977)[29]
14.井口基成校訂 1951年出版(『世界音楽全集 ショパン集4』東京:春秋社、井口基成©)
15.全音楽譜出版社出版部編 ©1956(『全音ピアノライブラリー ショパンエチュード集 東京:全音楽譜出版社』
16.バドゥラ=スコダ校訂(『ウィーン原典版』)1973年出版 ©1973(Frédéric Chopin, Etudes Op.10, Edited from the autographs, manuscript copies and original editions and with fingering added by Paul Badura-Skoda, Wien: Wiener Urtext Edition, Musikverlag Ges.m.b.H & Co.,K.G)
17.山崎孝校訂、井口秋子監修 ©1979(『全音ピアノライブラリー ショパンエテュード集 作品10 原典版』東京:全音楽譜出版社))
18.ツィマーマン校訂(『ヘンレ版』) ©1983(Frédéric Chopin Etüden URTEXT , Nach Eigenschriften Abschriften und Erstausgaben Herausgegeben von Ewald Zimmermann, Fingersatz von Hermann Keller, München: G.Henle Verlag)
19.エキエル校訂(『ナショナル・エディション』) ©1999(Chopin Etudes Opp.10,25,Three Etudes Méthode des Méthode, National Edition Series A Vol.2, Warszawa:Polskie Wydawnictwo Muzyczne)
20.東貴良校訂、P.ジュジアノ監修 ©2006(『ショパン エチュード集 作品10、作品25、3つの新しいエチュード』東京:音楽之友社)

次章ではショパン自身の指使い、ショパンの弟子の指使い、ショパンの死後出版された楽譜の指使いを含む、合計24の楽譜を比較考察していく。


2 《エチュード op.10 No.2》指使いの考察

2.1 校訂者たちの指使いに対する考え方

「1.5 ショパンの死後出版された楽譜」に示した20の楽譜の校訂者たちは、それぞれの楽譜において指使いをどのように扱っているのだろうか。指使いの記載方法は次の3つに大別することができる。

(1)ショパンの指使いと校訂者の指使いを区別せず、同列に記載する。
1.クリンドヴォルス版、2.ミクリ版、7.コルトー版、8.フリードハイム版、9.ブルニョーリ版、10.カゼッラ版、13.クロイツァー版、14.井口版
(2)段を変えるなど、基本的にショパンの指使いと校訂者の指使いを区別して記載する。ただし混入している場合もある。
3.ショルツ版、4.プュニョ版、5.ドーア版、6.ドビュッシー版、11.ペータース版、15.全音版
(3)ショパンの指使いと校訂者の指使いは異なった字体を用い、厳密に区別して記載する。もしくはショパンの指使soいのみを記載する。 12.『ショパン全集』、16.『ウィーン原典版』、17.山崎版、18.『ヘンレ版』、19.『ナショナル・エディション』、20.東版

 上記のうち、(3)はすでに原典版の時代である現代に出版されている楽譜であり、校訂報告があるが、(1)と(2)には校訂報告がなく、序文や解説についても指使いに対する考え方が述べられているものとそうでないものがある。しかし校訂報告がない場合でも、1.クリンドヴォルス版から5.ドーア版、8.フリードハイム版にはタイトルそのものに'doigtées'' Fingersatz'といった「指使い」を示す言葉を含んでおり、校訂者としての指使いという意識を強く表している。また、18.『ヘンレ版』の校訂者はツィマーマンであるが、'Fingersatz von Hermann Keller'と示されているように、指使いのみ校訂者とは別の研究者が指示している。フリードハイムは次のように述べている。

 
 手の形は様々であるため、誰ひとりとして1つに定めることはできない。しかし通常の絶対多数に合う平均的な指使いというものは存在し、私達はその原理を固く守ってきた。さらに一瞥しただけでは簡単には見えないパッセージにおいてさえ、すぐに見つけられるような最も弾きやすい指使いはいつも使用されてきた。それでもなお、それらの作品は概して充分に難しい曲である。しかし例えば指を伸ばした状態で第4指よりも第3指を、より強く使うことが出来る人、また逆に親指を用いて充分な自信をもって大きな跳躍ができる人などは、彼または彼女自身の判断に立ち返るべきである。[30]

 フリードハイムが主張するように、やはり演奏者によって手の大きさや指の長さ、構造が異なるため、指使いもすべての演奏者に適した指使いというものはない。しかし、その中でも平均的な指使いというものは存在し、さらに曲のある箇所においては、どう考えても1つの指使いしか方法がない場合もある。
 またそれとは逆に、校訂者の特徴が明確になる箇所もまたあるのではないだろうか。続いて、コルトー版が影響を与えた可能性があると思われる楽譜を明確にするために、コルトー版以降の校訂者達の指使いに対する考え方を考察する。

 8.フリードハイム版は先に引用したように述べているが、それ以外には「どの版を参考にした」などという説明はしていない。校訂者による指使いを多く指示している。
 9.ブルニョーリ版は練習方法を含め指使いも多く指示しているが、指使いに関する説明はしていない。  10.カゼッラ版では「指使いに関しては、私はほぼ全面的に(ショパン)本来の指使いに従っている。その大部分は偉大なる巨匠(ショパン)の演奏スタイルの典型である」[31]と述べている。しかし、すべての指使いがショパンの指使いと同じかというとそうでもなく、違っている箇所も多く見られる。10.カゼッラ版の特徴は、具体的な練習方法やペダルが細かく指示されていることであるが、その練習方法に「(C)」と記載されているものがある。これはコルトー版から転載していることを意味している。このことから、10.カゼッラ版の指使いにおいてショパンの指使いと違う指使いを指示している場合、コルトー版を参考に含んだ可能性があるといえる。
 11.ペータース版は3.ショルツ版の新版であるが、指使いは3.ショルツ版からさらに変更されている。校訂者による報告はない。
 12.『ショパン全集』では「ローマン体で印刷された数字は、ショパンの運指法を、イタリック体で印刷された数字は、パデレフスキによる運指法を示す。」[32]と説明しているように、校訂者の運指を追加している。初版や手稿譜の他に参照したとされる8つの版が挙げられているが、この中にコルトー版は含まれておらず、コルトー版の指使いは影響を与えていないと思われる。
 13.クロイツァー版では発想記号やフレーズ、ペダリングの記載に関しての注意が説明されているが、指使いについてはふれられていない。
 14.井口版は、現在、校訂報告も解説もない楽譜である。しかし、出版された当初は野村による解説[33]が掲載されていた。その解説の中ではコルトー版をはじめ、フォン・ビューロー版、フリードハイム版、など、他の版についても言及している。また井口自身は回想記の中で次のように述べている。

 終戦後すぐに春秋社が再びピアノ楽譜を出版することになった。戦災で楽譜があらかた焼けてしまったので、みんなが欲しがっていたのだ。(中略)これは外国人が校訂した版、曲によっては例えばコルトー版やブゾーニ版、その他を参考にしてぼくの版として出したわけだ。[34]

 これらのことから、14.井口版はコルトー版の指使いを参考に含んだ可能性があるといえる。
 15.全音楽譜出版社出版部編はよく指摘される通り、11.ペータース版を踏襲していることから、コルトー版から影響は受けていない。
 16.『ウィーン原典版』はバドゥラ=スコダ自身が「この版ではパデレフスキ版そしてコルトーやフリードマンの版のよい指使いもいくつか取り入れている」[35]と述べているように、明らかにコルトー版の指使いを参考にしている。
 17.山崎版は「この楽譜にはショパン自身の指使いで初版に印刷されたもののみ載せた」[36]と説明されているように、校訂者の指使いは記載されておらず、明らかにコルトー版の指使いから影響を受けていない。  18.『ヘンレ版』では次のように説明している。

 ヘンレ社の原典版における通常の慣例に反して、この巻においては多数の本来の指使いが通常の字体で、校訂者によって付け加えられた指使いがイタリック体にて示されている。主要な原資料の指使いだけでなく、すべての伝統的な指使いがほぼ例外なく守られている。それは作曲家によって考察された、演奏における重要な手引きを表すためである。[37]

 説明やタイトルから、運指担当者の指使いが追加されていることがわかるが、どの版を参考にしたということまではわからない。
19.『ナショナル・エディション』の校訂報告ではショパンの指使いの特徴や、指使いの取り扱いについて詳細に述べられているが、その中に次のように述べられている。

 「テクニカル technical」な指使いの場合、ショパン的(Chopinesque)な指使いの有効性を最初に試すことは必然である。もし不都合が生じた場合、ピアニストは校訂者の指使いを試す、もしくは彼自身の指使いに取り替えるべきである。[38]

さらに上記の引用部分には次のような脚注が付けられている。

 優れたヴィルトーゾ達が、彼ら自身が考案したエチュードのエディションの中で示した指使いについても参照することは可能である。例えばA.コルトー(Senart-Salabert)、I.フリードマン(Breitkopf&Härtel)、A.ミハウォフスキ(Gebethner and Wolff)。

 以上の引用は、校訂者としてエキエルの指使いとは明確に分けてコルトー版他の指使いに言及しているが、その場合においても数多く存在する校訂版の中でコルトー版を挙げていることは、校訂者としてコルトー版の指使いを参考に含んだ可能性があると考えられる。
 20.東版は「運指の数字は、ローマン体で書かれているものがショパン自身によるものであり、イタリック体は編者によるもので、ショパンの弟子ミクリによるものを最も多く取り入れました」[39]と述べていることから、コルトー版の指使いから影響を受けた可能性は低いと思われる。

 8.フリードハイム版から20.東版までの考察からわかるように、コルトー版から影響を受けた可能性が高い版は10.カゼッラ版、14.井口版、16.『ウィーン原典版』、19.『ナショナル・エディション』、明らかに影響を受けていない版は15.全音楽譜出版社出版部編、17.山崎版、それ以外の楽譜はわからない、ということになる。
 コルトー版の指使いが、ショパンの指使いからどのように変化し、後の版にどのような影響を与えたのかを考察するにあたり、指使い一覧表を作成した(巻末資料として添付)。考察で用いている場合にはその都度参照にされたい。表に示される数字は上声部のみである。また、校訂者により明確に区別の説明がある場合のショパンの指使いに対して(chopin)もしくは(ch)と記載した。各版の記載は表においてアルファベットを用い、考察においては一覧に表示した番号と合わせて、ミクリ版やコルトー版など、校訂者の名前に応じた呼び方、もしくは『ショパン全集』や『ヘンレ版』といった楽譜名で示す。

2.2 第1小節目から第4小節目

 このエチュードは冒頭から重音を伴った半音階のパッセージではじまり、ショパンは4小節のすべての音に対して、綿密に指使いを指示している。20種類の楽譜においても例外なくすべての音に対して指使いの記載があり、校訂者や指使い担当者が半音階の指使いをどのようにとらえているか、ということがわかりやすい箇所である。本節ではこの冒頭部分を考察する。

譜例1 『ナショナル・エディション』第1小節目から第4小節目

譜例1

加藤は《エチュード op.10 No.2》に指示されるショパンの指使いの特徴について次のように述べている。

重音の連続を滑らかに弾くためには指の交差は不可欠なものであるが、ショパンはこれを独自な方法で用いていた。ショパンのこの種の運指法を最もよく示しているものとして練習曲イ短調作品10-2が挙げられる。(中略)白鍵から黒鍵への進行の際に3の指が4あるいは5の指の上を越える方法がとられている。ショパンの運指法は黒鍵をうまく利用してそこに長い指を支点のように用い、手のフォームを保持したままポジションを移動させるものであった。[40]

 また加藤は、半音階に対するショパンの指使いの特徴について《エチュード op.25 No.6》や《エチュード op.25 No.8》における3度や6度の場合の半音階においても、《エチュード op.10 No.2》と同じように黒鍵にはすべて第3指が使用されていることを指摘している。これらの加藤の考察通り、《エチュード op.10 No.2》冒頭部分に指示されるショパンの指使いは、半音階が下降する第4小節目以外すべて黒鍵に第3指が指示されている。
 ではコルトーはこの曲の指使いをどのように捉えたのだろうか。7.コルトー版は4小節全体にわたって多くの指使いを変更している。コルトーは「私は和音になっている部分を弾く時、筋肉の自立性が高くなる指の位置を保てるこの運指を確立した。」[41]と述べているように、和音を打鍵する拍の頭の音には、たいてい第4指もしくは第5指が指示されている。ショパンの指使いと違っている点は、黒鍵に第3指を使用することにこだわっていない点である。例えば第1小節目2拍目や第2小節目1拍目は、6.ドビュッシー版までショパンの指使いである第3指を引き継いでいることに対し、7.コルトー版以降は明らかに第4指を使用するように流れが変わっていることがわかる(一覧表参照)。第1小節目2拍目、第2小節目1拍目ともに8.フリードハイム版、10.カゼッラ版、13.クロイツァー版、14.井口版、19.『ナショナル・エディション』、が7.コルトー版と同じ第4指を指示している。

 ショパン自身の指使いが黒鍵に第3指を使用することによって、第3指と第4指の連続を多く使うことに対し、コルトーは第3指と第5指を用いることによって、必然的に指は伸び、手首の高さを確保して弾くことが出来る指使いを指示している。このようにショパンの死後ピアノ自体のアクションや鍵盤も変化し、指使いの変化はショパンの持つ指使いの特徴だけでは対応することが難しくなる、という時代の移り変わりとも関係して、ショパンの指使いではレガートが難しいと思われる箇所で新たな指使いを指示している。
 7.コルトー版による第3指と第5指の合理的な使用は第4小節目に顕著に表れている。1拍目から2拍目にかけてh音とc音が4回繰り返されるが、今日その4回を「3-4」の繰り返しで演奏することは少ないのではないだろうか。記載方法は異なるが、6.ドビュッシーまではすべてショパンが指示した2種類のうちの1つである「3-4」の連続である。これに対し、7.コルトー版は「3-5」の連続を指示している。8.フリードハイム版は「3-5-3-5 3-4-3-4」、9.ブルニョーリ版はショパンと同じ指使いと共に「3-5-3-4 3-5-3-4」という指使いも指示している。7.コルトー版と同じ指使いを示しているのは10.カゼッラ版、14.井口版、16.『ウィーン原典版』の校訂者の指使い、18.『ヘンレ版』の校訂者の指使い、である。

 第1小節目、第2小節目のフレーズは曲の中で何度も反復されるが、いずれの場合にもその後に続く音型が感情の方向を決めている。よって、むしろこの2小節は音の高さの上昇とその流れに必要なcresc. を伴いながらいかにレガートで弾くかということだけでなく、どのような音色で和音を打鍵するか、というこのエチュードが持つ練習曲としての最も重要な課題に、校訂者が指使いを決める要素が表れているといえる。楽譜を見ると一見単純に半音階のテクニックのみの練習にも見えるのだが、その半音階のうねりの中で様々な心の移り変わり、迷いがある。その一瞬一瞬の感情に必要な軽やかさや洗練された響き、美しく揃った音色の繋がりを表現する1つの手段として第3指と第5指の使用があるのではないだろうか。目的は徹底したレガートでの演奏であるが、コルトーの指使いには決して体重をかけ過ぎずに軽やかな打鍵をする、手の置き方そのものに美意識のようなものを感じずにはいられない。

 また本論の目的とは直接関わることではないが、一覧表において誤解が生じる可能性がある部分についてふれておく。この第4小節目は別の微妙な問題を持っているのだが、II.フランス初版の校正刷にはショパンにより2つの指使いが指示されており、1つはフランス初版にそのまま反映され、後の楽譜が使用している「3-4-3-4 3-4-3-4」の指使いである。ショパンは第4小節目のc音以降3つの音には「4-3-4」の上に「5-4-5」と書き込んでいる。しかしなぜかIV.フランス初版では第4小節目の1音目h音から3つの音に「5-4-5」と記載されているのである。そしてショパンは弟子の楽譜にもこの箇所については何も書き込んでいない。そのせいか、16.『ウィーン原典版』、18.『ヘンレ版』といった、比較的新しい原典版においてもこの指使いは反映されず、また校訂報告にも説明がない。原典版ではなくてもII.フランス初版の校正刷の存在自体にふれている楽譜はあるのだが、改善されないまま今日に至り、ようやく19.『ナショナル・エディション』によって指示されている。

 

2.3 第15小節目から第18小節目

 第14小節目までは冒頭4小節が変化した音型が続き、第15小節目に至ると「ナポリ6」の和音が使われ、展開部への移行がうかがわれる。次にこの移行する箇所にあたる第15小節目から第18小節目を考察する。
 第15小節目から2小節にわたって半音階が上昇し、下降するが、発想記号はcresc. のみ指示され、dim. は第16小節目に指示されている。音型自体は冒頭2小節と似ているが、音が異なるので当然ながら指使いも変化している。

譜例2 『ナショナル・エディション』第15小節目から第18小節目

譜例2

 第15小節目において、ショパンの指使いではfis音から「3-4 3-4-3-4」というように第3指と第4指を3回繰り返して頂点に達し、その後第5指と第4指を3回繰り返して下降するという、指が疲れやすいと思われる指使いの繰り返しが指示されている。h音からa音、gis音の3つの音に指示される「4-5-4」というショパンの指使いに対し、4.プュニョ版では「5-4-3」というように、頂点に第5指を指示してそのまま指の順番通りに下降するようになっている。同時に第3指と第4指の繰り返しを2回に減らすことにもなっている。この指使いは7.コルトー版以降、後に出版された楽譜のほとんどに影響を与えている。7.コルトー版はこの箇所以外にも、第15小節目2拍目d音に第5指、第16小節目1拍目4音目のfis音に第3指を指示している。前者は黒鍵を第3指で指示した後、ショパンの指使いである第4指よりも、第5指のほうが安定して受け継ぐことができ、また和音も打鍵しやすい。後者の場合では第3指で指を高い位置に保つことによって、その後の第5指へ引継ぎ、和音を打鍵する、というように、ここでも第3指と第5指を合理的に使うことによって、レガートと和音の安定を得ることができるといえる。前者と同じ指使いを指示している楽譜は13.クロイツァー版、14.井口版、16.『ウィーン原典版』、19.『ナショナル・エディション』、後者と同じ楽譜は9.ブルニョーリ版、16.『ウィーン原典版』、19.『ナショナル・エディション』である。

 一覧表からもわかるように、この箇所では多くの版が部分的に独自の指使いを生み出している。なぜこれほど指使いの多様性が見られるのであろうか。2小節の間に半音階が上昇し、下降するという意味では冒頭とそれほど大きく変わらない音型である。しかし、展開部の前兆として、大きな盛り上がりを見せる部分でもあり、ここで行われるcresc. が目指す先はfではないが、これまでで最も大きな音を必要としている。曲のはじめから、ある意味で感情を内側に押し殺しているような印象を持つこの《エチュード》がようやく少し感情を表に見せ始めるという、心の移り変わりを感じさせる重要な部分となるからこそ、校訂者達はこだわった指使いを考察したといえるのではないだろうか。第15小節目の最高音であるh音とその前後の指使いが校訂者によって大きく違うのも、この箇所で表現するべき感情の幅に対する考え方の違いといえるのではないだろうか。感情の幅もまた指使いと密接な関連を持っている。

2.4 第25小節目から第28小節目

 本節では、このエチュードの中で唯一「3.同じ指の連続」[42]が行われる箇所とその周辺を考察する。
 「同じ指の連続」の考察の前に、その周辺について先に考察しておく。第25小節目、第26小節目において16.『ウィーン原典版』には 'facilitation'(簡易化)と記載された指使いが括弧書きで提案されている。これは本来右手で弾くはずの和音を左手で弾くことにより可能になる指使いであり、校訂者による独自の指使いであると思われる。第25小節目4拍目の「3-2」、第27小節目3拍目2音目の「5」は7.コルトー版から影響を受けている。その後の4音目の「5」、また第28小節目2拍目に括弧書きで指示される「3」バドゥラ=スコダ独自によるもの、もしくは本論では入手できなかった楽譜からの影響、もしくは7.コルトー版がよく用いる第3指と第5指の合理的な使用、のいずれかであると思われる。16.『ウィーン原典版』の指使いは可能な限り楽にレガートすることを目指しており、手首の回転運動を伴って第25小節目と第26小節目を繋ぐような指示である。

 続いて「同じ指の連続」が行われるのは第26小節目1音目es音と次のd音である。それぞれには第5指が指示されている。指を滑らせてレガートを試みる方法であるが、他の楽曲においても用いられることの多いこの手法は、特にショパンの指使いの特徴として挙げられることが多い。にもかかわらずVII.ザレスカの楽譜にはd音と次のcis音に対して「4-3」と書き込み、7.コルトー版は「5-4」を指示している。結果として共に「5-4-3」の指使いとなる。ただし7.コルトー版は括弧書きでショパンの「5-5」の指使いにも配慮している。19.『ナショナル・エディション』は他の原典版と違い、ショパンの2種類の指使いと共に、VII.ザレスカの楽譜の指使いも反映させている。この箇所では校訂者の指使いであることを示すイタリック体でありながらショパンの指使いの横に括弧書きで記載するという、一見判断が難しい記載になっている。このように非常に「ショパン的である」といえるような指使いさえも弟子の時代から変更は行われていたことがわかる。また同時に、7.コルトー版は他の版が変更を行わないような箇所においても、ショパンの指使いには配慮しつつ、合理的な指使いを考察したといえるだろう。コルトーは「5-4」の指示の後、「3-5」を指示している。これまでにも述べたように、他の版と比べてコルトーの指使いは「3-5」もしくは「5-3」と指示されることが特に多い。この箇所についても、同様の考え方によって、速いパッセージでは危険も伴う指使いのため、下降する際の半音階に求められるレガート、またこの箇所に求められるf を表現しやすくしているといえる。

譜例3 『ナショナル・エディション』第25小節目から第28小節目

譜例3

3 まとめと今後の課題

 本論の目的は、現在も参考にされることが多いコルトー版の指使いにおける歴史的な位置付けと、コルトー版が後に出版された楽譜にどのような影響を与えたのか、を考察することであった。ショパン自身に起因する指使い、ショパンの弟子が使用した指使い、そして多くの校訂者によって楽譜に示された指使いの3つの角度から考察した。《エチュードop.10 No.2》には楽譜によって様々な指使いを見ることができた。ひとつの楽譜から複数の楽譜へと受け継がれると思われる指使いもあれば、たったひとりの校訂者だけが指示している指使いもある。また反対に、どう考えても1種類の指使いしか適応しない箇所もある。原典版においても校訂者は独自の指使いを楽譜に示しているように、指使いはそれぞれの校訂者が「最善である」と思われる数字を考察し、指示している。一覧表にしてわかったことであるが、ある新しい指使いが指示された後、まるで流れを変えたかのように、その指使いと同じ指使いをその版以降に出版されたいくつかの版と一致している場合がある。それぞれの楽譜が示す指使いは、決して無関係ではなく、その時代の共通認識や、時代の流れの中で受け継がれていくものを表しているといえるのではないだろうか。
 本論ではコルトー版に見られる特徴的な指使いについて考察したが、第3指と第5指の合理的な使用をはじめ、多くの指使いは後のいくつかの版に大きな影響を与えたことがわかった。「2.1 校訂者たちの指使いに対する考え方」においてコルトー版から影響を受けた可能性があると推測した楽譜は、たいていの場合、コルトー版における特徴的な指使いを示す箇所において一致していた。
 コルトー版の指使いは、後に出版された楽譜では目的に応じて選択され、使用されていると言っても過言ではないだろう。考察から得たコルトー版の特徴と歴史的な位置付けは次のようにまとめることができる。

1.20世紀はじめから中頃に出版されたプュニョ版、フリードハイム版、ブルニョーリ版等と共に、独自の指使いを多く指示している楽譜のひとつである。同じ時期に出版された楽譜と同様に、ショパンの指使いと校訂者の指使いを明確に区別していない。
2.ショパンの指使いを明確に区別しないながらも配慮は見られ、ショパンの意図も反映されるように努力している。またショパンの弟子の指使いと一致している箇所がある。
3.ショパンの半音階における特徴である黒鍵に第3指を置く指使いについて、「筋肉の自立性が高くなる指の位置を保てる」ことを優先し、独自の指使いを指示した。その指使いは後の版に影響を与えている。
4.コルトー版の指使いは第3指と第5指の使用方法が特徴的である。その使用はコルトー版以降、急激に増加している。
5.コルトー版によってはじめて変更された指使いは、カゼッラ版、井口版、『ウィーン原典版』に明らかに影響を与え、フリードハイム版やクロイツァー版、そして『ナショナル・エディション』におけるエキエルの指使いとも一致する場合が多い。

 それぞれの楽譜に指示される指使いはいかにレガートするか、というテクニックの問題だけではなく、手の置き方に対する美意識、感情の表現方法など、校訂者により様々なこだわりが示されていたことがわかる。合理的な指使いでレガートを可能にすることにより、同時に楽譜に示される発想記号の要求にも応えることが可能となるが、多くの楽譜で指示される指使いの数字は合理性だけではない。様々な校訂者の作品に対する感じ方や感情もまた表現し、主張している。だからこそ後の版に影響を与えるのである。『ウィーン原典版』や『ナショナル・エディション』に示される校訂者による指使いが、結局は多くの楽譜のいずれかに見つけることが出来ることは、その事実を物語っているといえる。現在もコルトー版が多く使用される理由は様々であるが、多くの版に影響を与え、淘汰されずに依然として使用されている、という事実が重要なのではないだろうか。原典版の時代でありながら、校訂者の意見がこれほど前に押し出されている楽譜が厳然と存在すること自体が「どのように用いるか」という課題を示す良い例であるといえる。ショパンの弟子、ザレスカの楽譜に示された指使いからわかるように、作品が存在した時点から、すでに指使いの歴史は始まっているのである。演奏者は楽譜を参考にしつつ、自分の手に合った指使いを自分自身で作り出す可能性を持っているのだ。
 ショパンに起因する指使いの事情は作品によって異なる。例えば本論で考察した《エチュード op.10 No.2》はフランス初版の校正刷りが重要な資料となったが、《エチュード op.10》の残りの11曲にはフランス初版の校正刷りがない。また、他の曲では弟子の楽譜に書き込みがある場合もある。さらに本論で考察した20種類の楽譜がどのような傾向を示すかも作品によって異なる可能性がある。本論において得た結論は、あくまで《エチュード op.10 No.2》における考察であり、ショパンの《エチュード》全般におけるコルトー版の歴史的な位置付けとして普遍性を持たせることは出来ない。今後の課題は、《エチュード op.10》の残りの11曲や、さらに他のジャンルの作品を具体的に考察し、繰り返し進めることによって、コルトー版に指示される指使いの特徴と歴史的な位置付けを明確にすることである。


<注>

[1]現在も広く使用されている『ショパン全集』は出版後、新資料が発見されるなど、現在では原典版とは言い難いという意見も多い。
[2]原典版として有名な『ヘンレ版』は、ショパン作品においては原典版の割に加筆があることや、校訂報告が詳細ではないことがよく指摘されている。
[3]《エチュード》は2007年11月現在、未刊行。
[4]John Rink; Jim Samson; Jean-Jacques Eigeldinger:'NOTES ON EDITORIAL METHOD AND PRACTICE'in The Complete Chopin, A New Critical Edition BALLADES , London, Edition Peters, 2006, p.59
[5]Józef Michał Chomiński;Teresa Dalila Turło:Katalog Dzieł Fryderyka Chopina, Krakow ,Polskie Wydawnictwo Muzyczne,1990,pp.252-324
[6]香川正人:『ピアノ奏法における実用的運指法の可能性』東京、1991、日本私学教育研究所紀要、p.249
[7]多田純一:『ショパン作曲《エチュード op.10》の合理的な練習方法に関する一考察~アルフレッド・コルトーのピアノメトード《ピアノテクニックの合理的原理》を基にして~』奈良 [奈良教育大学 修士論文]、2003、p.158
[8]加藤一郎:『ショパンのピアニスム』東京、音楽之友社、2004、pp.31-63
[9]多田純一:『アルフレッド・コルトー版に見られる指使いに関する一考察~ショパン作品の場合~』東京、2006、日本ピアノ教育連盟紀要22号、pp.95-96
[10]ただしコルトーが指示する指使いが他の版と比べて最も合理的であるとか、正しいという考え方ではなく、数ある楽譜の中の1つとしてコルトーの指使いの特徴を考察する。
[11]Alfred Cortot:Aspects de CHOPIN, Éditions Albin Michel,Paris,1980,pp.42-43(初出 1949)
[12]Alfred Cortot: Éditions de Travail des Oeuvres de Chopin 12 Études Op.10, Paris, Editions Salabert, 1975, p.6 (初出1915)
[13]Cortot:前掲書、p.63 アルフレッド・コルトー 八田惇訳・校閲:『ショパン・エチュード作品10』、東京、全音楽譜出版社、2001、p.63
[14]Bernard Gavoty:Alfred Cortot ,Paris, Éditions Buchet/Chastel,1995,p.287(初出1977)
[15]Józef Michał Chomiński;Teresa Dalila:前掲書 p.84
[16]Jan Ekier; Paweł Kamiński:'Performance Commentary'and'Souce Commentary
(adridged)'in Ekier ed.Chopin Etudes,National Edition,
Warsaw, Polskie Wydawnictwo Muzyczne,2000, pp.8-9 本論1.2および1.3における『ナショナル・エディション』に関する記述は、すべて'Performance Commentary'and'Souce Commentary (adridged)'による。
[17]版によってはショパンが2種類の指使いを提示している箇所において1種類の指使いのみを採用している場合もある。
[18]Paul Badura-Skoda :Chopin Etudes Op.10 , Wien , Wiener Urtext Edition/Universal Edition, Musikverlag Ges.m.b.H & Co.,K.G, 2005, pp.11-14(初出1973)
[19]Józef Michał Chomiński;Teresa Dalila:前掲書 p.25
[20]Jean-Jacqurs Eigeldinger:Chopin vu par ses élèves, Fayard, Paris, 2006, pp245-303
ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル、米谷治郎/中島弘二訳:『弟子から見たショパン 増補・改訂版』、東京、2005、音楽之友社
[21]Cortot:前掲書、p.14 コルトー:前掲書、p.14
[22]Oeuvres de Fr.Chopin. Revues, doigtées et soigneusement corrigées d'après les éditions de Paris, Londres, Bruxelles, et Leipsic par Charles KLINDWORTH 1873-1876 , Moskwa, P.JURDENSONのリプリント版を使用。本論1.4における使用楽譜の詳細についてはカタログ1990を参考にした。
[23]Chopin Complete works for the piano.Book VIII ETUDES. 1879 Leipzig,Kistnerのリプリント版を使用。
[24]リプリント版であるがcopyright等の記載がないためプレートナンバーを記す。 U.E.347.1582を使用。
[25]表紙にReprintと記載されているものを使用。©BMG RICORDI MUSIC PUBLISGING
[26]1974年にリニューアルされた版を使用。
[27]1976年にリニューアルされた版を使用。
[28]Fryderyk Chopin Dzieła Wszystkie II Etiudy Na Fortepiano, Krakow,Polskie Wydawnictwo Muzyczne ©1949 の日本語版を使用。1992年に株式会社アーツ出版より出版された。 
[29]『ショパン・ピアノ全集エチュード』、東京龍吟社音楽部のリプリント版を使用。
[30]Arthur Freidheim: Introductory in Fréderic Chopin Etudes For the Piano , New York:G.Schirmer,1916,p.1
[31]Alfredo Casella :Preface in Chopin Studi Per Pianoforte, Revisione Critico-Tecnica di Alfredo Casella , Milano: Curci, 1946, p.4 括弧内は筆写による。
[32]ルドヴィク・ブロナルスキ、ユゼフ・トゥルチヌスキ、寺田兼文訳:『ショパン全集』II、東京:財団法人ジェスク音楽文化振興会、株式会社アーツ出版、1992、p.164(初出1949)
[33]野村光一による『解説』は井口版第8刷、1970年発行の楽譜を参考にした。
[34]井口基成:『わがピアノ、わが人生』、東京、芸術現代社、1977、pp.168-169
[35]Paul Badura-Skoda:Preface in, Chopin Etudes Op.10 , Wien, Wiener Urtext Edition/Universal Edition Musikverlag Ges.m.b.H & Co.,K.G, 2005, p.X
[36]山崎孝:『ショパン エテュード集 作品10』、東京、全音楽譜出版社、1979、p.17
[37]Ewald Zimmermann:Preface in, Frédéric Chopin Etüden URTEXT , Nach Eigenschriften Abschriften und Erstausgaben Herausgegeben von Ewald Zimmermann, Fingersatz von Hermann Keller, München: G.Henle Verlag, 1983, p.VIII
[38]Jan Ekier, Paweł Kamiński:前掲書,p.3
[39]東貴良:『ショパン エチュード集 作品10、作品25、3つの新しいエチュード』、東京、音楽之友社、2006、p.4
[40]加藤:前掲書 p.38
[41]Cortot:前掲書、p.14 コルトー:前掲書、p.14
[42]加藤によりまとめられた5つの特徴の3つ目にあたる。


巻末資料

《エチュード op.10 No.2》指使い一覧表(PDFファイル)


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