論文・レポート

研究論文/渡邉さらさ『バルトークの民謡編曲作品における演奏研究』

2001/04/01
バルトークの民謡編曲作品における演奏研究
─ 「ハンガリー農民の歌による即興曲」Op.20を中心に ─

渡邉さらさ

 バルトークは、20世紀近代音楽の発展に、民族的音楽語法の開拓者として大きな影響を与えた。その独自の音楽語法 ─ 中心軸システム、黄金分割 ─ 等は今日多くの音楽学者達に論ぜられている。しかし当のバルトークは自身の作品について多くを語りたがらず、自らの作品は「本能的にして感覚的なもの」であり、「私はそう感じ、そう書いた」だけだと主張していた。そうした主張に、バルトークが影響を受けた民謡の研究を通じて接近しようとしたのが、当論文である。
 『ハンガリー農民の歌による即興曲』Op.20は、民謡の編曲や、民謡を主題に使うことの多かった創作活動前半期(1920年まで)の集大成的、総括的作品である。
 第1章では、Op.20で主題に使った8曲の民謡を、バルトークが著した民謡研究の理論書を通して考察した。この理論書ではそれまでに採集してきた民謡の一部を、個々の特徴(音構成、曲構造、リズムの要素)から、古い様式の民謡、統一性のない民謡、新しい民謡、と選別している。この理論書から、Op.20の8曲の民謡は、7曲の古い様式の民謡と1曲の統一性のない民謡である事がわかった。そして「すでに埋もれてしまった古い遺産の中から"新しいもの"を発見したいと願っている」と述べたバルトークが古い様式の民謡を音楽価値の高いものだと評価した事が改めて確認できた。
 第2章では、民謡の記譜の際に記録された歌詞と曲想との関連を考察した。
「ハンガリー民謡の歌詞には音楽と違って内容的にあまり見るべきものはない」という演奏家もいる。しかし作品をみていくと、その音構成、フレージング、ダイナミクスには、歌詞からの影響であろうと思われる箇所が数多くみられた。

Bela Bartok (1881-1945), one of the most important figures of 20th-century music, made major contributions to the development of music of his time. His pioneering research with peasant music was extremely influential to his work. Although his work has been the subject of much debate and discussion, Bartok himself never discussed his work, so I have made my considerations through his work "Improvisations on Hungarian Peasant Songs Op. 20" which is a compilation and a generalization of the first half of his life's work.

In the first chapter, I examined the eight peasant songs that Bartok used for the main subject matter of his Op. 20. Of these eight songs seven were of an older style and one was of undetermined influence. I was able to confirm my understanding that he believed the early origins of Hungarian folk songs to be more valuable and important for the development and discovery of new music than the more contemporary ones.

In the second chapter I examine Bartok's interpretation of the lyrics of the peasant songs to musical notes and Sandor's (another Hungarian pianist) opinion that Bartok's work on relationship between words and musical notes is meaningless and has no value. However, when we look at the sound composition, phrasing and dynamics we can clearly see an abundance of influences from the words of this work.



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<目次>

はじめに
第一章 民謡研究 ─ op.20の主題に使われた民謡 ─
 1.バルトークの研究から_「古い民謡の特徴」
  【五音音階】
  【6シラブルのTempo giusto】
  【6シラブルのParland rubato】
  【7シラブルのTempo giusto】
  【11シラブルのTempo giusto】
 2.OP.20の8曲の民謡について
  【第1曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのTempo giusto
  【第2曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto
  【第3曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのParland rubato
  【第4曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto
  【第5曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのTempo giusto
  【第6曲】「古い民謡」 ─ 11シラブルのTempo giusto
  【第7曲】「統一性のない民謡」 ─ 6シラブルのParland rubato
  【第8曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto
  【まとめ】
第二章 民謡の歌詞と楽曲の関連について
  【第1番】Molto Moderato
  【第2番】Molto Capriccioso
  【第3番】Lento,Rubato
  【第4番】Allegretto scherzando
  【第5曲】Allegro molto
  【第6番】Allegro moderato, molto capriccioso
  【第7曲】Sostenuto,rubato
  【第8曲】Allegro
  【おわりに】
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はじめに

ベーラ・バルトークは20世紀近代音楽において民族的語法の開拓者として大きな影響を与えた。バルトークの音楽語法といえば、レンドバイ著の「バルトークの作曲技法」 による理論 ─ 中心軸システム による和声、フィボナッチ数列 や黄金分割 を用いた曲構造 ─ が注目される。後年の作品は特に、独自の和声や、これらを用いた曲構造等、音楽学者達に論ぜられているものが多い。演奏家としてバルトークの作品を取り上げる時、そういった論文は作品を理解する上で大きな助けとなる。しかし彼はこのような言葉を残している。

「私の和声の世界と言えども結局は、私の音楽全体と同じように本能的にして感覚的なものです。いろいろと説明を求められても私はそう感じ、そう書いたというほかはないでしょう。研究家たちはむしろ私の音楽そのものから説明を要求すべきです。 」

「私は新しい理論を前もっては決して創り出さないし、そのような考えは嫌いである。もちろん取るべき方向への決まった感情は持ってはいるが、作業中はそれらの方向や源に当てはまる指定について気にしない。」
彼自身、自作品の構成原理、作曲技法そのものについては述べていない。そしてドビュッシーと同じく「音楽とは習うものではない」と言い、作曲の授業を決してしようとせず 、自作について語りたがらなかったという。
そこで私は、バルトークが影響を受けた源である民謡や民謡研究を考察する事で、「本能的にして感覚的なもの」を感じ、「私はそう感じ、そう書いた」という作品に近づき演奏に反映する事はできないだろうか、と考えた。

本論では8曲の民謡を主題に用いた『ハンガリー農民の歌による即興曲 』Op.20〔以下、「Op.20」と略す〕を中心に考察していく。バルトークはこの曲を作曲した1920年の後5年もの間ピアノ作品の創作活動が途絶える。1926年にはそれまでの民謡研究から培った独自の語法による後期の代表的ピアノ作品『ソナタ』や『戸外にて』を作曲し、その後、今日彼の代表作品と言われる多くの傑作を生み出していく。
彼は1920年まで、オリジナル作品にのみ作品番号を付し (『組曲』Op.14、『14のバガテル』Op.6等)、民謡編曲作品(『3つのチーク県の民謡』等)には作品番号を付さなかった 。作品番号付きの民謡編曲である『ハンガリー農民の歌による即興曲』Op.20は例外的なものであり、また自身が番号を付した最後の作品番号つき作品である。バルトークは長年の民謡収集とその民謡編曲を通してきて、自身に溶けこんでいった民謡の音楽語法と民族的な特徴とが区別できなくなってきたのだという。オリジナル作品、民謡編曲作品と区別する事もあまり意味をなさなくなったのだ。
民謡編曲ではあるもののもはや編曲にとどまらないこの即興曲は、数多くの編曲を行ってきたバルトークの、編曲の集大成的作品であり、彼の創作活動前半期の総括的作品といえる。

第1章ではop.20の作曲された翌年1921年、彼自身が書いた民謡研究の理論書である『ハンガリー民謡』をもとに、編曲の主題に使われた民謡について考察する。バルトークが愛した民謡とは一体どのようなものだったのだろうか。第2章では、第1章でみてきた歌詞の付された民謡にたち返り、そこから演奏者として感じる曲のイマジネーションをOp.20の曲想と比較してみていきたい。


第1章 民謡研究 ─ op.20の主題に使われた民謡 ─

バルトークの作曲技法に民謡研究が深い影響を及ぼしている事は言うまでもないが、では彼が生涯、作品を生み出す源となった民謡とはどのようなものだったのだろうか。Op.20の楽譜には編曲に使われる8曲の民謡譜が記載されている。実質的にその8曲を例にみていこう。

彼は1921年にそれまで自ら収集してきた民謡と、それまで収集されてきたコレクション 、またコダーイやヴィカール らによって収集された8300余曲の資料から、論文『ハンガリー民謡』 を発表している。その中では323曲の民謡が、
    (1)古い様式によるハンガリー農民音楽 〔以下、「古い様式の民謡」〕
    (2)様式上の統一性をもたないもの 〔以下、「統一性のない民謡」〕
    (3)新しい様式にによる農民音楽 〔以下、「新しい民謡」〕
の3種類に分類され、ハンガリー農民音楽の緻密な分析と音楽上の特質が挙げられている。
この『ハンガリー民謡』の研究分析をもとにop.20の主題に使われた8曲を検証すると、7曲(第1 ─ 6曲、第8曲)が「古い様式の民謡」であり、1曲(第7曲)が「統一性のない民謡」である事がわかった。ここでは、バルトークの研究を引用し、民謡の主題になった8曲の特徴をみていく。

1. バルトークの研究から ─ 「古い民謡」の特徴 (五音音階、各シラブル、スタイルの特徴)
2. Op.20の8曲の民謡について

1.バルトークの研究から  ─ 「古い民謡」の特徴

 8曲の民謡の大半が「古い民謡」であると断言するのは『ハンガリー民謡』で挙げられたその特質から判別できる為である。ここにその特質を簡潔に引用する 。それを後の各曲の検証に参照されたい。民謡の旋律構造は大別してParland rubato(言葉調のルバート )、Tempo giusto(厳格なルバートのないリズム)に分けられる事をここに注記しておく。
バルトークにとって非常に興味の高かった 五音音階は「古い民謡」全てに共通する。そして「古い民謡」の中でまたさらに分類された各シラブルごとの曲構造、リズム定型の特徴をあげる。

【五音音階】 「古いスタイルの旋律の音階は、次のような半音のない五音音階にもとづいている。」

 また五音音階の3種類のフォームをあげている。第1曲、第3曲、第5曲、第8曲ででくる2度音、6度音についての記述もここにある。

「 (1) 純粋な五音音階
(2) 七音音階でいえば2度と6度の音が副次的な装飾音としてのみあらわれる五音音階〔後略〕
(3) 五音音階の基礎は認められるが、2度音、6度音も実質的な音階構成音として、つまり独立した音節がうたわれるような音階(それらの2度音、6度音は大抵弱拍にあり〔中略〕)

(2)と(3)での2度音は通常a又はa♭、6度音はe又はe♭であり、もとの五音音階から、ドリア、エオリア、又はフリギャ音階に変わる。」

第2曲、第4曲、第6曲にある3度音と7度音についての記述はこうある。

 「もう一つ別の種類の五音音階の変化が次第に生まれて来ていて、それはすなわちI地域〔ドナウ河以遠の地域をさす〕に特徴的である〔まさしく第4曲は「ドナウ河」を歌っている〕。すなわち、3度音、あるいは3度音と7度音の両方のピッチが高くなるものである。この上昇は時には半音に満たないもので、結果は中間的な3度や7度になる。〔中略〕その結果、長音階のように〔中略〕なる。それでもなお、どの音階にも五音音階的構造が非常にはっきり残っているので、その根をみあやまることはない。」

ここにバルトークが五音音階の変型として認めていたドリア、フリギアの音階譜をおいておこう。

五音音階

ドリア旋法

エオリア旋法


【6シラブルのTempo giusto】
該当する民謡 ─ 第1曲、『ハンガリー民謡』37番(第1曲ヴァリアント)、第5曲。

  『ハンガリー民謡』からの引用
曲構造 「ほとんどがABCD」〔第5曲〕
「ABACが1例(No.37)」〔第1曲〕
リズム定型 「テンポ・ジュストの曲には以下のようなリズム型がある。〔中略〕」

【6シラブルのParland rubato】
該当する民謡 ─ 第3曲、『ハンガリー民謡』40番(第3曲ヴァリアント)

  『ハンガリー民謡』からの引用
曲構造 「A B ABが3例」〔40番が含まれている〕
リズム定型 「基本リズムは。しかし、この基本図式は
〔中略〕変形されることがはるかに多く〔中略〕終止音の´のばし´  〔中略〕が典型である」
〔第3曲、40番〕

また別の個所 に、パルランド形式の曲は「詞の各詩節においては、最後の二つのシラブルに歌われる音は独自の形で引き伸ばされる」とあり第3曲もその典型だろう。
バルトークが1907年の民謡収集で「興味ある発見」と語った五音音階の要素に加え5度構成という特徴がある。それはある旋律の前半と後半で、後半は前半の5度下で、同じ旋律型をもつというものである。これは第4曲にもみられる。


【7シラブルのTempo giusto】
該当する民謡 ─ 第2曲、第4曲、第8曲、
『ハンガリー民謡』46番(第8曲と記録は全て同じ、同一曲

  『ハンガリー民謡』からの引用
曲構造 「ABCD ─ 13例(No.46)」〔第8曲、第2曲〕
リズム定型 「<7音節は>常にテンポ・ジュストである」「もともとはダンス曲としてのみ使われた可能性がある」

 この曲は『ハンガリー民謡』に挙げられた11シラブルのリズム定型に当てはまらないが、「No.64は例外的な現象である」と特筆されている。「顕著な特徴として特筆すべきなのは、厳格なはずのダンス、リズムにあらわれるルバートの形である。〔中略〕5連音符のリズムは厳密なものではない。」
第6曲と64番はヴァリアントの関係にあり、それを比較すると5連音符、3連音符の記譜に違いがみられる。

【11シラブルのTempo giusto】
該当する民謡 ─ 第6曲、『ハンガリー民謡』64番(第6曲ヴァリアント)

特徴民謡 旋律構造 分 類 シラブル 音構成 曲構造 リズム定型 備考
第1曲 Tempo giusto I 五音音階 ABCD 2/3拍子。
『ハンガリー民謡』37番 Tempo giusto I 五音音階 ABAC 第1曲のヴァリアント。2/4拍子。
第2曲 Tempo giusto I 五音音階 ABCD 第3音、第7音の半音に満たない上昇
第3曲 Parland rubato I ドリア旋法 ABABの5度構成 調号はB、ドリア旋法。
『ハンガリー民謡』40番 Parland rubato I エオリア旋法 ABABの5度構成 第3曲のヴァリアント。調号はE♭、エオリア旋法。
第4曲 Tempo giusto I 五音音階 ABABの5度構成 第3音、第7音の上昇。
第5曲 Tempo giusto I 五音音階 ABCD
第6曲 Tempo giusto I 11 五音音階 } 例外的
『ハンガリー民謡』64番 Tempo giusto I 11 五音音階 第6曲のヴァリアント。11シラブルの例外的な民謡。
第7曲 Parland rubato II エオリア旋法 ABCD Op.20でドビュッシーに献呈。
第8曲 Tempo giusto I 五音音階 ABCD 記録にヴァリアントなし。
『ハンガリー民謡』46番 Tempo giusto I 五音音階 ABCD 第8曲とまったく同一曲。

2.Op.20の8曲の民謡について

【第1曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのTempo giusto

『ハンガリー民謡』の46番に収められた譜


〔曲構造〕ABCD 〔音構成〕五音音階。2度音(A)、6度音(E)は刺繍音、経過音として弱拍にのみ表れる。最後の小節でCとBの違いが一箇所(編曲ではOp.20の譜のとおり)認められる。

〔備考〕この2つの譜は記録された年、場所、歌詞、は全て同じである。拍子についてはOp.20にある民謡譜は3/2拍子で4小節からなり、『ハンガリー民謡』では2/4、8小節で記譜されている。バルトークは「編曲の題材」として扱った時に3/2拍子で記譜した方が、音楽の流れに適していると考え拍子をとり直したのだと考えられる。


【第2曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto

Op.20にある民謡譜

〔曲構造〕ABCD 〔音構成〕五音音階。第3音(H)、半音に満たないピッチの上昇。原譜が『ハンガリー民謡』にない為不確かではあるが、そういった不確実なピッチの記譜の際音符の上に↑と書き残されているものがあり 、これもその類なのであろう。

〔リズム定型〕

〔備考〕歌詞は民謡譜に「Text Fehlt」とあったが、発見する事ができた。第2章で詳細を述べる。


【第3曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのParland rubato

『ハンガリー民謡』の40番に収めらた譜

Op.20に収められた譜

Op.20第3番冒頭をGを基音に置き換える

〔曲構造〕ABCDの5度構成 〔音構成〕40番 ─ 音階は第6音EがEsに変化しエオリア旋法となっている。
第3曲 ─ 民謡譜は調号がE♭からBに戻され五音音階。

〔リズム定型〕

〔備考〕Op.20ではエオリア旋法(40番)を用いている。歌詞の影響は第2章で述べるが、エオリア旋法(短調)の方がこの楽曲に好ましいと考えたか、今まで五音音階で第1曲第2曲ときて、異なる音階を使う事で色合いを変えたかったのかもしれない。


【第4曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto

Op.20に収められた譜

〔曲構造〕A B ABの5度構成 〔音構成〕五音音階。第3音(H)、第7音(Fis)の上昇。歌詞に「ドナウ河」がでてくる。この地域で歌われた曲は五音音階に変化が出るのが特徴的だとある。


【第5曲】「古い民謡」 ─ 6シラブルのTempo giusto

Op.20にある民謡譜

〔曲構造〕ABCD 〔音構成〕五音音階。Aが2個所、経過的に使われる。

〔備考〕歌詞は「Text Fehlt」とあり、見つけれなかった。横井氏によるとガーライの採譜による歌詞の断片だけ残っているらしい。(詳細は第2章を参照のこと)


【第6曲】「古い民謡」 ─ 11シラブルのTempo giusto

〔曲構造〕ABCD〔音構成〕バルトーク採譜のものは第7音、ヴィカール採譜のものは第7音(ほぼ64番を同じ場所に)と経過音として第2音が一箇所、あとは完全なる五音音階で成る。
〔リズム定型〕この曲は「11シラブルのTempo giusto」というカテゴリーの中でも「例外的な現象」として扱われている。「厳格なはずのダンス・リズムにあらわれるルバートの形」として、

などの5連音符、3連音符になるという。2つの民謡は、64番はバルトークの採譜、第6曲の民謡譜はヴィカールによるもので、どちらも5連音符が使われている。しかし、採譜に細心の注意を払ったバルトークによる民謡譜は、より3連音符、5連音符の記譜が細かい事がみてとれる。
〔備考〕Op.20では3回旋律が繰り返され、一度目は彼自身の採譜のもの、二度目はヴィカールの採譜のものが使われている。三度目は後半が省略形でどちらの記譜をもとにしたのかを決定するのは難しい。もうひとつあるヴァリアントがここで使われたのだろうか。もう一種のヴァリアントは確認できなかった。2つの民謡はチーク県で収集されたものという記録だけが同じで、ついている歌詞は全く違うものである。

【第7曲】「統一性のない民謡」 ─ 6シラブルのParland rubato

Op.20に収められた譜

〔曲構造〕ABCD 〔音構成〕エオリア旋法。調号がB,Esに置かれている事からわかる。〔備考〕「古い民謡」ではアーフタクトが絶対に使われない事、「新しい民謡」に特徴的な建築的曲構造ではなくABCD形式である事から、「統一性のない民謡」であることがわかる。


【第8曲】「古い民謡」 ─ 7シラブルのTempo giusto

『ハンガリー民謡』の46番に収められた譜

 〔曲構造〕ABCD 〔音構成〕五音音階。第2音(A)が1個所、第6音(E)が3箇所が、経過音、い音として認められる。

〔リズム定型〕2/4 

〔備考〕解説によると老男性による演唱でヴァリアントはない。この『ハンガリー民謡』記載の民謡と全く同じ民謡がOp.20の譜にある。


【まとめ】

Op.20の主題に使われた8曲の民謡でハンガリー民謡の特色を見てきた。これまでの考察で第7曲を除いた8曲中7曲が、音構成、曲構造、リズムの要素から古い民謡の特徴をもったものだという事がわかる。今回『ハンガリー民謡』の譜例の中から、Op.20に主題に使われた民謡を探す作業の中で、他にも多くのバルトーク作品の中で使われている民謡を見つける事ができた 。が、やはりその多くも古い様式による特徴をもったものであった。
バルトークはOp.20を作曲した1920年、音楽誌に「ハンガリーの農民音楽」という論文を発表した。その中で、

「多くの音楽家が、すでに埋もれてしまった古い遺産の中から"新しいもの"を発見したいと願っている 」

と述べている事からも、「古い民謡」が音楽価値の高いものだと評価し、8曲中7曲が「古い民謡」から選曲された事も当然だと思われるが、改めてそれを確認する事ができた。唯一「古い民謡」ではなく「統一性のない民謡」に属すると検証した第7曲は、彼がとても高く評価していたドビュッシー の思い出に捧げられている。そのような理由から主題を発展させる上でいくらか自由度が高い「統一性のない民謡」を選択したのであろう。


第2章 民謡の歌詞と楽曲との関連について

1.ハンガリー語による民謡の歌詞
バルトークは、自身が民謡採集にあたる意義をこう述べている。

「もし私たちが自己の創作に当たって、民族音楽がその行くべき道を示すものであってほしいと願うなら、その民族音楽のもっている内的な力は、いささかでも減少されることなしに私たちの上に効果を現さなければならず、その為にはメロディーを学ぶことだけでは充分ではない。これらのメロディーが生きている環境を見ること知ることが同じように必要である。民謡を歌っている時の農民の顔を見、踊りを見、彼らの結婚式、葬式、クリスマスその他の祭日の催しものにでてみなければならない。」

勿論これは、作品を創作する立場にあるバルトークの心情である。しかし、作品を演奏する立場にある私達にとっても、これはやはり重要な心情ではないだろうか。「メロディーが生きている環境を見ること知ること」によって演奏は生かされ、初めて音楽に血が通うのであろう。
しかし、なかなか簡単にその環境を見、知ることはできるものではない。それでも、演奏の立場から少しでも「生きている環境」を感じる事ができないか、と考えた時、私は民謡の歌詞に着目した。歌詞からその環境を感じる事はできないだろうか。

前述ではあるが、Op.20の楽譜には主題に使われる民謡譜があり、同時にハンガリー語による歌詞も記載されている。その中で、第2曲、第5曲は「Text Fehlt」とある為、歌詞は6曲に残されている事になる。第1、3、(6b)、8曲は、第1章で比較した『ハンガリー民謡』と照らし合わせ、伊東信宏氏による歌詞訳がわかった。そして、そこで手に入れる事のできなかった第4、6、7曲の歌詞訳、また「Text Fehlt」とあった第2曲の歌詞もあらたに民族音楽研究家である横井雅子氏にご協力頂き手に入れる事ができた。これらをもとに楽曲との関連を見ていきたい。

民謡は青年の恋の歌、誕生日や結婚の祝歌、子守歌、厳しい冬の寒さに立ち向かう人々の歌、等当然の事ながら、素朴な村人達の生活に密着したものである。そこで歌われる歌は誰もが共通して持っている喜び、悲しみではあるが、都会から離れたある意味閉鎖された村で生きる村人達 ならではの力強い生命力、溢れんばかりのエネルギーが場所も時代も超えて、こちらにひしひしと伝わってくる。私達日本人も昔のわらべ歌を聞いて、例えそれが自分の中で記憶のないメロディーであっても、何か懐かしい郷愁の念を覚える事がある。バルトークもそんなものを感じながら採譜していたのだと考えられる。

2.歌詞と楽曲との関連-演奏のイマジネーションを広げる為に
8曲の民謡は一連の意味を持ったものではなく、一曲一曲の意味は全く別のものであり、歌詞の流れではなく、旋律の流れから個々は連結、統合されている。バルトークがOp.20を作曲する上で、数多く採集された民謡の中からこの8曲の民謡を選択したのは、民謡の歌詞の意味を汲んだのではなく、自身が好んだ古くからあるハンガリー民謡の旋律だからである。バルトークが民謡を主題に使用したのは、歌詞によって何かを訴えたいという事ではなく、あくまでその特徴的な音楽によって、真の芸術音楽の創造を果たす為の材料でしかないであろう。ベートーヴェンの『告別』ソナタ、ラヴェルの『夜のガスパール』といった作品のように、旋律に特定の語を付し意味を持たせたり、詩から受ける霊感を作品に投影させるというような意図は、この作品にはない。
しかし、バルトークはハンガリー人であり、勿論民謡の採集時にそこに付された歌詞の意味を知っていた。バルトークが作品を創作する時に、母国語であるハンガリー語の民謡を、鼻歌を歌いながら作曲するという事もあったと容易に考えられるし、逆を返せばそういった状況で影響を受けない事がありえるだろうか。やはりなんらかのインスピレーションを受けただろうと考えるのが自然である。現に作品を考察していくと、歌詞から連想されるようなモチーフは至るところに見つけることができた。演奏する立場にある人間が、このハンガリーの農民音楽を基におく作品にとりかかるとき、歌詞の意味を汲む事はイマジネーションを広げる1つの手がかりになるだろう。

では歌詞と楽曲の関連が見られるモチーフを見ていこう。それぞれの旋律は曲中数回繰り返される事が多い。ここでは1度目の提示を(1)、2度目の提示を(2)、以下も同じ扱いとする。大文字アルファベットはそれぞれの旋律の基音である。


【第1番】 Molto Moderato

(1)C 4小節 (2)C 4小節 (3)C 4小節 コーダ 4小節

〔構成〕旋律を3回繰り返し、4小節のコーダで結ばれる。わずか16小節から成り、この作品の中で最も短い。シンプルな構成で変拍子もコーダの3小節間だけであり、いわばイントロダクション的な曲である。
〔歌詞〕恋の歌。

この曲はバルトークの記録に「老婦人の演唱」とあるが、「僕」という歌詞を読むと淡い恋心を抱いた青年の心を表わした歌のようである。歌詞の内容からも、左手の単旋律によるシンプルな導入からも、淡い恋のせつなさが感じられる。 (1)

(1)の右手のカノン は心の中で繰り返される様が表わされる。右手の3小節目5拍目でリズムの変化、節の終わりに向かい「poco rall」とあるのは、「僕のではなかった、しかも彼女は行ってしまった、行ってしまったのだ...」という青年の気持ちに即した曲の流れである。

2番の歌詞ででは話が生々しさを帯びてきて、「彼女にキス」をする叔父さんが登場する。
(2)


(2)は(1)と同じく左手で旋律が奏でられるが右手は3度の伴奏、左手はオクターブの装飾がつき、そこで形成される長、短3度和音の混在は民謡自体の長調、短調の曖昧さを感じさせ、青年の複雑な胸の内を表わしている。

(3)(2)は最初の構成音でF-dur調だったのが(3)ではd-moll調になり、ここでも調性の曖昧さを感じさせる。3番の歌詞はないが、ここでも青年の想いはメロディーになっている右手オクターブでせつせつと歌われ、ほろ苦い思いが和声の不協和に表れている。(1)(左手単旋律)→(2)(左手旋律、音域に広がり)→(3)(オクターブによる右手旋律と不協和)と徐々に積極性を増し、青年の気持ちは膨らんでゆく。


 

コーダはメロディーの最後の1小節間を倍に拡げ、更にもう一度繰り返す。バスの半音下降は曲の結尾にむけて落ち着きを感じさせ、青年の気持ちも少し現実を受け入れたか。最後は「これで本当に第1曲が終結したのかどうか」と曖昧な響きであとをひき、何か言いたくても言えない、といった引きずった印象が残る。

コーダ

 長調とも短調ともつかない曲の雰囲気、次第に積極的になってゆく曲の展開は、青年の彼女を想う気持ち、コーダで2倍に拡げられて繰り返される曲の終わり、バスの半音の下降進行は、青年が彼女に言いたくても言い出せない、何か引きずる思いを表現しているようである。歌詞が曲に直接的な意味を与えているとは言い難いが、歌詞から霊感を受け創作に影響をあたえているのではないか。

【第2番】 Molto Capriccioso

導入1小節 (1)C 8小節 移行部 5小節
  (2)E 8小節 移行部 7小節
  (3)As 8小節 移行部 2小節
  (4)C 8小節  

〔構成〕旋律を4回繰り返し、基音を(1)C→(2)E→(3)As→(4)Cと長3度音程ずつ上昇させ、曲の高揚感を誘い出している。〔歌詞〕楽譜には「Text Fehlt」とあったが、横井氏によるともとになった民謡には歌詞が記録されている。誕生日を祝う祝歌か。

(1)
(2)
(3)                                              (4)

(譜例 旋律を導く短2度)

せつない恋の歌から誕生、健康を願う祝歌へ。場面はガラリと変わる。不協和音程の多用は中心軸システムを中心にしたバルトークの作品をめぐる多くの論文で取りあげられるがここでも例外ではなく、冒頭の2度の衝撃的な重音は聴く者の耳を驚かす。第1番が「何か言い足りない・・」状態で結尾を迎えるので尚更、インパクトは強烈である。

7シラブルの曲はいつもTempo giustoだと第1章で述べた。Tempo giustoならではのテンポの運びの良さから村人達のお祭り騒ぎが目に浮かんでくる。(1)、(2)のメロディーをシンコペーションで煽っていた伴奏が(3)では8分音符で刻まれるが、日本版でいう「わっしょい、わっしょい!」とも言わんばかりである。


(3)

(4)で人々のテンションはピークに達し、家族でのお祝いが村を上げてのお祝いに。メロディーはユニゾンで奏でられ、不協和の装飾は犬猫の鳴き声か。


(4)

【第3番】Lento,Rubato

導入  2小節 (1)D 13小節 移行部 2小節
  (2)F 8小節 移行部 5小節
  (3)D 8小節  

〔構成〕原曲がパルランド・ルバート形式の民謡の為、拍子が安定しない。Op.20の中でも最も変拍子が多く、同じ拍子で進行するのはほとんどコーダにしかみられない。ここでの旋律はOp.20にある民謡譜ではなく『ハンガリー民謡』にある旋律の方が使われている。したがって、エオリア旋法(短調)になっている。
〔歌詞〕

(1)は導入が変拍子の上に動きが少なく、完全4度、短2度の組み合わせ、リズムの不確定さで、不安定感、不気味さを与える。「黒い雲が湧き上がる」の情景が浮かびあがる。

冒頭 ─ (1)

(2)への移行部では「黄色いカラス」の鳴き声が聞こえてくる。

                 (1) ─ (2)の移行部

(2)では旋律が左手、伴奏部が右手に移る。ここでの音構成に注目したい。
大部分が次の音で構成されているのがわかる。
 右(d、e、fis、gis、ais、D)  左(des、es、f、g、a、Des) から成る全音音階

(2)

厳密なる全音音階から成るわけではないが、異なる(短2度)全音音階を組みあわされている。この全音音階は第3曲を印象主義的に感じさせ、曲の歌詞から感じられる幻想的なシーンを彷彿とさせる要因になっているだろう。

(3)は今までにない4声体書法になり、第3曲の終焉に向け、旋律はソプラノとバスのユニゾンで厳粛に奏でられる。場面は「ジェールの墓地に眠りたい」。

(3)

この曲はいわゆるピアノ曲『戸外にて』(1926)の第4曲《ナイト・ミュージック》の先駆だという 。《ナイト・ミュージック》では夜の描写 を彼独自の手法で描いている。ここでは完全な描写音楽にはなり得ないが、やはり「黒い雲」や「カラス」「病気」「墓地」等歌詞の内容から感じられる幻想的なイメージからの影響を感じずにはいられない。

【第4番】Allegretto scherzando

(1)G 12小節 移行部 4小節
(2)E 15小節 コーダ 9小節(40小節)

〔構成〕民謡はTempo giustoの場合、4行詞の曲が使われていたが、これは2行詞が終わった所で歌詞のRefrainが入るという特殊なものである。その為、1フレーズが6小節単位となりそれが標語にあるscherzandoの性格を感じさせる。
〔歌詞〕厳しい冬を迎える前の村人の歌 。

この曲はドナウ川から冷たい風が吹いているという意の歌詞がついている。冒頭の右手は風のモチーフのようだ。冷たい風は2フレーズめでさらに動きが出てきて勢いが増す。

(1)1フレーズめ

(1)2フレーズめ

(2)では右手に旋律、左手に伴奏部となるが、伴奏部は、(1)と(2)の間の移行部で刻まれていた8分音符の音型に影響を受けてシンコペーションの音型に変わり、全体的に音楽の流れが前に前にと感じられて、曲の終結に向けて緊張が高まっていく。歌詞の意から、長い冬を迎える貧しい農民のせわしない冬仕度がイメージされる。

(1) ─ (2)の移行部

(2)

【第5曲】Allegro molto

導入 4小節 (1)G 16小節 移行部 6小節
  (2)G 16小節 移行部 5小節
  (3)G 10小節 コーダ 11小節(58小節)

[構成] Op.20の中間曲にあたる第5曲は、躍動感溢れるシンコペーションのリズムで強いインパクトを与えられる。一個所の16分音符と、装飾音を除けば、あとは全て4分音符と8分音符で構成され、7シラブルTempo giustoの活気に溢れ、躍動感のある曲である。歌詞は「TextFehlt」とあるが、横井氏によると、民謡はガーライによる採譜で歌詞の断片がわずかに記録として残されているという。が手に入れる事はできなかった。


【第6番】Allegro moderato, molto capriccioso

導入 5小節 (1)Es 6小節
  (2)Ges 6小節 移行部 2小節
  (3)Es 7小節 コーダ 6小節(32小節)

[構成]民謡の編曲とはいえども、かなり形式は自由に複雑になっていく。第1章ではこの曲に関して、ヴァリアントの有無を述べた。手に入れる事のできた2曲の民謡は音型、リズムは似ているものの、歌詞の意は驚くほど違いがあるものだった。ここでは楽譜にある民謡譜を6a、『ハンガリー民謡』でみつけた民謡を6bとしよう。

〔歌詞6a〕 ─ ある女の嘆きの歌

〔歌詞6b〕 ─ 結婚を喜ぶ女の歌

5連音符を多用して歌われた6bが(1)と対応している。(1)は基音がEsでかなりの高音部におかれ、5連音符の多用とヴィブラートは、6bの歌詞にある若い娘の結婚を喜ぶ演唱を連想させる。(1)のフレーズは基音であるEs-durのトニックで終わり、終始明るい雰囲気で終える。

が、一転して(2)では短2度のざらついた和声がつき、装飾はヒステリックに緊張を高める。ここでは6aの歌詞「年寄りをどうやって抱きしめたらいいのだ」という内容からの、女の不満、でもどうしようもない嘆きといったものがあるのだろうか。
また(3)ではメロディーが(1)からみて相当の低音部におかれている。これも6aの女の重い気持ちが表れているのだろうか。

                                      (2)


                                    (3)

【第7曲】Sostenuto,rubato


(1)の始め

(1)の終わり
(1)C 11小節 移行部 4小節
(2)G 6小節 コーダ 12小節

[構成]前述にあるが第7曲はドビュッシー追悼の為の作品である。民謡はかなり自由に扱われており、原曲にあるアーフタクト、旋律にある音も省かれている。もともとがパルランド形式の曲の上、即興的な曲の揺らぎから、印象主義的印象が強く感じられる。
この曲は「印象主義の影響と農民音楽の語法が一体となった、バルトーク風印象主義を示している 」という。 〔歌詞〕不倫の間にできた子供への子守歌。

導入を持たず民謡から始まる(1)での音配列に注目したい。ピアノでは想像上の音である「半嬰へ」の音を中心に《オリジナル》の音楽が鏡像のように映し出されるという 。グリフィスは、「ヴァイオリン・ソナタのあるパッセージで静寂さを生み出す一因」として、この鏡像形を用いているのを指摘している。この第7曲でもその「静寂さ」の効果を発揮している。

(1)

 この歌の冒頭の歌詞「Beli」は「Bela」という男の子の愛称ではじまる。内容的には穏やかなものではないが子守りをしながら歌っている母親の歌である。(1)では一部その「静寂さ」を表わすモチーフがあらわれるものの、旋律は「お父さんの子じゃない、お父さんの子じゃない」とsempre ben marcato で奏され、そこに寂しさを感じている、しかし意思の強い母親を連想する。
 そして締めくくりは今までの不協和によるfが嘘だったかのように極めて静かに単音Cで終わる。これもまた「静寂さ」をひきたたせる要因だが、静かな中に穏やかではない激しい母親の情念をも思わせる。


                                    コーダ

【第8曲】Allegro

導入 4小節 (1)H 8小節 移行部 15小節
  (2)D 12小節 移行部 13小節
  (3)E 8小節 移行部 8小節
  (4)C 終結部  14小節  

 [構成] 第8曲では民謡の提示は(1)のみで、あとはモチーフ的に使われ、曲の終盤にかけて次第に民謡の旋律が原型とどめなくなる。音域の大胆な動きや、明らかな形でカノンが出てきて音楽に立体感を持たせたりする事により編曲の域から脱し、このOp20の終曲として相応しいものとなっている。
〔歌詞〕場面は冬、若い男の歌。

使われた民謡そのものが、7シラブルのダンス的要素等から躍動感溢れるものである。終始多用される短3度、完全4度、増4度、長7度音程は、打楽器的に(stepitoso やかましく騒がしく)ffから始まり強烈なインパクトで始まる。若い男の逞しい溢れんばかりのエネルギーが感じられる。彼が打楽器的要素を好んで用いた事は改めて述べるまでもないが、第8曲では他にcon slancio(衝動的に)、rumotoso(雑音ぽく)、marcatissimo、brioso(荒れ狂う、猛烈な)等のあらゆる標語を使い、打楽器的表現を求められている。

冒頭 ─ (1)

(2)ではシンコペーションのリズムモチーフが崩され、歌詞から汲みとれる茶化したような、調子の良さ、ふざけた感がある。標語にもCapricciosoとある。

                                     (2)
 このOp.20の締めくくりは2オクターヴのユニゾンが3オクターヴになり、それにallargandoと伴い、エネルギー全開の一層堂々としたものである。曲の終結にはオスカーが指摘する、テーマを変化させる事による色合いの変化への効果が見られる 。そしてまったく長2度ずれた不協和音がsffで奏でられ、瞬時に休符をもつ。極致の緊張と集中の中、荒れ狂う、猛烈な(brioso)クレッシェンドを経て、sfffで曲を終える。旋律、歌詞ともに若々しい、雄雄しい溢れんばかりのエネルギーが、ここでは不協和、sfffで表現されるのだ。


【おわりに】

青年期のバルトークは1903年9月8日(22歳)付けで母へこのような手紙を残している。

「だれしも、成熟した人間は自分の目標を定め、あらゆる言動をこの目標に向けなければなりません。僕自身は、全人生のあらゆる点において、常に、断固として、ある一つの目的のために尽くすつもりです ─ ハンガリーの為、祖国ハンガリーのために。 」

バルトークが生涯を通し「ある一つの目的」 ─ 真のハンガリー芸術音楽の創作 ─ を果たそうとした時、それは民謡研究からはじまった。バルトークは民謡研究を通して、その特徴的な語法を抜き出し独自の語法を編み出していったのだ。
その語法を編み出すきっかけとなり、バルトークが愛したハンガリー民謡に、ここでたちかえった。バルトークに師事していたシャーンドル は「一般的にルーマニア民謡とハンガリー民謡の歌詞には音楽と違って内容的にあまり見るべきものはないと言ってよさそうで、何よりも音楽に興味を持っていたバルトークは歌詞には関心を示さなかった 」と言っている。しかし作品をみてゆくと、その音構成、フレージング、ダイナミクスには、歌詞からの影響であろうと思われる箇所が数多くみられた。
「メロディーを学ぶことだけでは充分ではない。これらのメロディーが生きている環境を見ること知ることが同じように必要である。」とバルトークは言った。情報に溢れた時世になり、作品の知識、情報は自由に得られる。が本当は情報ではなく肌身で音楽を感じたい。しかしそれがままならなく、バルトークが生きた時間からも、生きた場所からもかけ離れている環境にいる人間が作品に向かう時、これまでの考察は生きてくると思われる。元来民謡は歌詞を持ち当然の事ながら人間が肉声で歌ったものであった。それを感覚的にだけではなく、民謡研究を通しその特色を理論的に把握した。その上で個々に強烈な雰囲気をもつ旋律と、エネルギー溢れる歌詞の意を知る事、それらによってハンガリーの農民生活のイマジネーションが広がってゆく事はすべて、生きた演奏、血のかよった音楽、をつくり上げる要因となるだろう。バルトークが作品を創作する上で、民謡から感じえていた音楽的な訴えの根源に少しでも近づき、演奏にこの考察が助けになれば嬉しく思う。


【参考文献】

ピエール・シトロン『バルトーク』   北沢方邦・八村美世子訳 1969年 白水社
バルトーク『ある芸術家の人間像 ─ バルトークの手紙と記録』
 羽仁協子訳編 1970年 冨山房
エルネ・レンドバイ『バルトークの作曲技法』
 谷本一之訳 1978年 全音楽譜出版社
山崎孝『バルトーク ミクロコスモスの演奏と指導法』    1981年 音楽之友社
バルトーク『バルトーク音楽論集』      岩城肇編訳 1992年 御茶の水書房
フランク・オスカー『バルトーク ミクロコスモスの世界』
 照澤惟佐子訳 1993年 全音楽譜出版社
バルトーク『ハンガリー民謡』
 間宮芳生訳 伊東信宏歌詞対訳 1995年 全音楽譜出版社
ポール・グリフィス『バルトーク ─ 生涯と作品』    和田亘訳 1996年 泰流社
伊東信宏著『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』
 1997年 中公新書
谷本一之・横井雅子『ニューグローヴ世界音楽大辞典』
第13巻 p474 ─ 493  講談社
LAMPERT Vera : Bartok nepdalfeldolgozasainak forrasjegyzeke ,
Budapest : Zenemukiado,1980

論文
金久保明子「バルトークと黄金分割をめぐる諸問題
─ ピアノ作品《Allegro barbaro》《Sonata》を中心に」
1999年 桐朋学園大学研究紀要(桐朋学園大学音楽学部II〔編〕)25巻
平野俊介「バルトーク、ハンガリー農民歌による即興曲Op.20における一考察
                     ─ 中心軸システムを中心に ─ 」
      1996年 上越教育大学研究紀要 第16巻 第1号
平島直子「バルトークの音楽の特質に関する一考察」   1969年『音楽学』15巻/1

吉本隆行「ベーラ・バルトークの作曲技法研究(その4)」
                    1983年 信州大学教育学部紀要 
小河原美子「バルトークのピアノ組曲「戸外にて」について」
               1997年 国立音楽大学研究紀要31号
新倉健「"夜の音楽"における"自然との照応"について
    ─ バルトーク作曲弦楽四重奏曲第四番第3楽章の分析をてがかりとして ─ 」
         鳥取大学教育学部 研究報告人文社会科学部

CD解説書より
バルトーク/ピアノ独奏曲集 ジョルジュ・シャーンドル 
Sony Records 1995 SRCR9977 ─ 80
バルトーク/14のバガテル〈ピアノ・ソロ作品集I〉フェレンツェ・ボーグナー
カメラータ・トウキョウ 1997 30CM-458


【参考資料】

『ハンガリー農民歌による8つの即興曲』Op.20に使われた民謡譜と歌詞訳をここに一覧にして紹介する。歌詞訳は下記の著書からの引用と、民族音楽研究家である横井雅子氏のご協力により手に入れることができた。

Bartok Bela:A Magyar Nepdal Hungarian Folk Music(1924)
『ハンガリー民謡』間宮芳生訳 伊東信宏歌詞対訳 全音楽譜出版(1995)

Boosy&Hawkes『Imprevisations on Hungarian Peasant Songs Opus20』にある民謡譜


『ハンガリー民謡』にある民謡譜


【第1曲と『ハンガリー民謡』37番】伊東信宏訳
1.いとこがパイを焼いた、
けれど食べるのは僕じゃなかった。
彼女はそれを庭に持っていった、
バラのハンカチに包んで。
2.叔父さんが彼女について行く
新しい襟つきのコートを着て、
そして彼女にキスをした、
庭の真ん中で。
【第2曲】横井雅子訳
私は夜、灯りをともした、
ヤーノシュのお祝をするために
ヤーノシュよ、健康でいてくれ、
お前の健康を祝おう。

【第3曲と『ハンガリー民謡』40番】伊東信宏訳
1. ほら、黒い雲が
湧きあがる、
あの中では、黄色い足をした
カラスが毛づくろいをしている。
2.待て、カラスよ、止まれ、
この伝言を届けておくれ
僕の父さんと母さんに、
僕のいいなずけに。
3.もし、僕がどうしてると訊かれたら、
僕は病気だと言ってくれ。


【募集要項】

研究論文
音楽を研究する人が多くの人々の批評を受けることで、知的に洗練される場を提供します。学術的な実績を重ねたい方はこちら
※現在募集はおこなっていません
研究レポート
必ずしも学術的な枠組みにとらわれない、自由な形式のレポートを募集します。ピアノ音楽について、日常感じたり研究していることを発表してください。 ※要項はこちら

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