ルイのピアノ生活

第22回 愛着/曲:ベートーヴェン:ソナタ7番2楽章

2006/05/16
♪ 演奏
ベートーヴェン:ソナタ7番2楽章  動画 動画:(9,23s)
 

皆さんはチェロやバイオリンを持って歩いている人をうらやましいと思いませんか?楽器のケースを持って歩いている人は「かっこいい」ですね。「いいな~」と思いながら、歩いている人を見つめています。電車にバイオリンを持っている人が乗ってくると、ケースの中にはどんな楽器が入っているのかな?どんな演奏をするのかな?これから練習?それともレッスン?もしかしてコンサートで弾くのかな?色々考えてしまいます。

毎日、重いチェロを運ぶのは大変だと思いますが、「ぶつけないように注意しながら、守りながら」まるで自分の子供か分身のように扱っているようです。でもそんな苦労を感じる事で、楽器に対する愛着が沸いてくるように思います。それに比べてピアノを弾く人は楽器に対する態度が他の楽器の奏者と違う気がします。持ち運ぶ事が出来ないばかりか、子供の頃から、練習は自宅のピアノ、レッスンでは先生のレッスン室や学校のピアノ、発表会やコンサートでは会場のピアノ・・・。そして、調律に至っては、専門家に頼るほかありません。楽器を綺麗に拭いたりする事もほとんどないし・・・。ピアノをまるで機械を扱ように、楽器の前に座って、ボタンを押すように弾く事に陥りやすいのも、そのせいかもしれません。

管楽器の人は演奏後は必ず、自分の楽器をていねいに拭いたり、磨いたり、その様子から自分の楽器を本当に大切にしていることがうかがえます。(1回テレビで、管楽器と一緒にお風呂入る少年も見た事があります!)楽器にこだわる人も多いですね。求めている音や響きを持った楽器を探して、世界中を回っている奏者もいます。そしてやっと見つけた楽器を、自分のパートナーとして肌身離さず優しく扱って、その楽器と共に一緒に音楽を「創る」のです。楽器の音にこだわりを持つのは管・弦楽器の世界では普通ですが、ピアノを弾く人では意外と少ないようです。楽器の音色より、鍵盤やタッチを気にする人の方が多いようです。楽器全体を鳴らすより、目でしか見えない所(鍵盤)だけに集中しがちです。

ピアノの人は残念ながら楽器との「愛着」が少し薄いのでしょうか。楽器を手で持ったり、口に付けたり、拭いたりする機会がない事が、一緒に音楽を創るという感覚を希薄にしているのかもしれません。一緒に奏でる、というより、機械の前に座って、鍵盤を叩いている事もあるくらいです。自分のピアノに対して全く愛情がないわけではないのですが、私達はなぜか皆それを忘れがちです。

私の小学校時代のピアノレッスンは毎週金曜日の12時半からでした。オランダの子供たちはほとんど皆が自転車通学。私は6歳から毎日16キロを自転車で学校まで走りました(雨でも、雪でも!)。金曜日は学校で昼食をとらずに、パンをかじりながら、自転車で音楽学校に通っていました。私はその日一番の生徒だったので、学校に着いたら、先生が来る前に教室のグランドピアノを開ける係でした。思えば、毎回慎重に、大きくて重い蓋を開ける度、自分がこのピアノを管理しているような、誇らしいような気持ちになったものです。それは大きな木目の茶色の美しいピアノで、足が綺麗に曲がっていて、しゃれた楽譜スタンドも、今でもよく覚えています。私はそのピアノが大好きでした。開けると、ピアノの感触や音色と共に出てくる「香り」や魔法のようで、まるで生きているようでした。

古い楽器、新しい楽器、手作りのピアノ、大量生産のピアノ。自宅にあるピアノ、レッスンに使うピアノ、ホールに置いてあるピアノ。色々なピアノがあります。そしてそれぞれの楽器から違う音が出ます。しかし、どんなピアノでも、一番大切なのは、ピアノを大事にする事です。特に、この「使い捨て」の社会では、これを絶対に忘れてはいけないと思います。

以前、テレビのドキュメンタリーで、パリにある傘の修理屋さんについての番組を見た事があります。おばあちゃんの傘をずっと大切に使っていた、女性が店に来ました。傘が壊れたので、修理に出しに来たのです。修理代より、新しい傘を買った方が全然安いのに、この傘を大切に使っていました。私の近所にある100円ショップでは傘をたくさん売っています。駅や道に捨ててある傘もたくさんあります。東京の道を歩くと、放置された自転車もたくさんあります。タイヤがパンクしたら、環境を考えずに自転車を捨てる人がいます。食べる物さえ無い人間がたくさんいるのに、大食いコンテストのテレビ番組を見ますと、私は少し疑問を感じます。マスコミは全ての物の「値段」を考えているようです。この指輪はXXX万円、このブランドの物はXXX万円、この絵はXXX万円です。値段が高ければ高いほど「すごい」と言う反応が出ます。とても心が貧しく聞こえます。本当の価値はお金で表せないと思います。

物はいくら小さくても、大切にしなければならないです。それは音楽でも同じこと。小さなスタッカートの音、息を飲み込むような休符、切ない事を語っているメロディ、美しい旋律。作曲家が指示した事を読んで、この人はどんな気持ちでこれを書いたか、他人の気持ちも考えなければなりません。音楽を大事にすると、自然と楽器も一緒に大事になってきます。敬うという気持ちです。そして作曲家の気持ちも、楽譜も、音も、自分の気持ちも、楽器も敬うと、他の物に関する考え方も少しづつ変わります。

自分のピアノを持って歩けないからこそ、弾いている楽器を大事にしなければならないです。ピアノの先生がレッスンを通じて、物の大切さを教えてくれれば、とても良い教育になると思います。社会も少しづつ変わって行くのではないでしょうか。

今回の録音(以前の連載も)は1820年のRosenbergerというウィーンのピアノメーカーの楽器です。すべての部品はオリジナルの物!私にとって、これは最高の楽器です。ほとんど200年立った代物ですが、まだ元気。うっとりするような美しい音で奏でてくれます。長い年月を経て、作曲家・音楽家たちに演奏され、育まれてきたこの楽器に、気のせいかとても深い魂を感じます。楽器を見るだけでも、鳥肌が立ち、そして、実際に触れると、まるで語って来るかのようです。そして音色はまさに「幻の音」。響きの中のうねりは素晴らしく、音そのものに「心」があるように思えます。低音は、大きなSteinwayのフルコンより豊かに感じます。楽器全体が一緒に響き、その振動が体に伝わってきます。このフォルテピアノに座ると、一緒に音楽を創る気分になります。音の深さやバランスを聴いてから、その後に現代のピアノを弾きますと、音に少々物足りなさを感じます(ごめんなさい!)。

私はフォルテピアノ奏者ではありません。でもこのフォルテピアノの音の美しさに、深い感銘を受けました。前回・今回とも、曲と楽器の年代が離れていますが、「ベートーヴェン が当時どんな楽器で弾いていたか」ということではなく、この楽器に出会った感動を皆さんに伝えたくて、ベートーヴェンの最も美しい曲を選びました。この古い楽器の音を聴きながら、皆さんのピアノへの愛がますます深まりますように。

それでは、また!

ルイ・レーリンク

楽器:Rosenberger(1820年)/ピッチ:431Hz/調律:古典調律バロッティ/調律師:加藤正人/場所:ユーロピアノ(八王子)/録音:実方康介/演奏:私です・・・





ルイ・レーリンク

オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。

NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。

ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp

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