海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

モーツァルト国際コンクール(4) モーツァルトの家が伝える想像力と冷静さ

2011/03/08
20110220_mozartwohnhaus.jpg

モーツァルトの生まれ育った街ザルツブルグ。モーツァルテウム付近のマルクト広場に、彼が住んだ家があります。ここは「舞踏教師の家」とも呼ばれ、モーツァルト直筆の手紙や家財、家族の肖像画、本人が弾いた1780年製フォルテピアノのオリジナル等が展示されています。またゲトライド通りに面したモーツァルトの生家にも、8歳の頃に作曲したメヌエットK1や絶筆となったレクイエムK626などの自筆譜ファクシミリや、6歳の時に使っていた子供用のヴァイオリン、遺髪などが見学できます。こうした遺品はモーツァルトのどのような一面を伝えてくれるのでしょうか。

モーツァルトの息遣いが伝わる自筆譜や手紙

モーツァルトは36歳に満たない短い生涯に、22のオペラを含む600曲以上の曲を書いた。まさに疾風のごとく人生を駆け抜けたその人は、ザルツブルグの目抜き通りに面した建物の3階で生まれた。表玄関を出れば目の前にはザルツァッハ川が悠々と流れ、奥の窓から外を見れば丘の上にはホーエンザルツブルグ城がそびえる。ザルツブルグ特有の地形は昔から変わらない。モーツァルトはこの地で幼い頃から頭角を現し、6歳にして初めて父と演奏旅行に出かけ、ヨーロッパ中の宮廷や貴族に熱狂的に迎え入れられた。この時1歳上のマリー・アントワネットにも会ったというのは有名な話である。以後モーツァルトは生涯に17回旅に出て、その日数は計3720日にのぼる。ちなみに当時ザルツブルグからミュンヘンまで馬車で29時間かかったそうだ(現在は電車で2時間半)。

その旅先から、モーツァルトはよく家族や友人宛てに近況を知らせる手紙を書いた。姉や親しいいとこに宛てた手紙には愉快な冗談や他愛ない語呂合わせ、妻コンスタンツェへの手紙には惜しみない愛情溢れる言葉が並ぶ。また父レオポルトには仕事の受注状況や作曲の進み具合、金銭状況なども細かく報告している。モーツァルトの手紙は晩年期には深刻さを増し、晩年友人に認められた手紙には度重なる借金の申し入れが記されている(総額42,450ユーロ相当。モーツァルトの死後、再婚したコンスタンツェが完済した)。

こうした直筆の手紙は自筆譜等と共に、モーツァルトという愛すべき一人の人間が確かにそこに息づいていたことを実感させてくれる。天上の音楽を書く一方で、手紙では人間らしさをさらけ出し、自分の置かれた立場や心境をまるで会話するように包み隠さず綴っている。しかし想像力が豊かでお人好しが過ぎたためか、現実志向の父からは紳士然とした振る舞い方や現実的な金銭感覚を持つようお小言を言われることが多かった。「しゃぼん玉のように空中で砕けてしまうお前の大好きなあさはかな思いつきやもくろみに没頭するならば、父親としての私の誠実な心からなされる戒めなど、なんの役にたつだろう」という手紙もある(柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙」より)。果たして、モーツァルトは浮ついた性格だったのだろうか?


溢れる想像力から、冷静に書き出される音と文字

その疑問に答えるべく、ある一通の手紙がモーツァルトの本質を照らし出してくれる。それはパリ旅行に同行していた母の死に際し、父レオポルトに事実を知らせる前に、ヨーゼフ・ブリンガー神父にあてた手紙である(1778年・オリジナルはモーツァルトの家に展示)。「最良の友よ!」で始まる手紙には、母がどのような経過で亡くなったのかが細かく書かれ、モーツァルト自身の悲しい心情も吐露している。しかしそれ以上に胸を打つのは、父に心の準備をする時間を与えるよう、事実を伏せ、今は重篤であると伝えてほしいと優しい配慮が見えることだ。その書面には細かく美しい文字が、整然と一切の乱れもなく綴られている。母が亡くなるという人生最大の悲しみに打ちひしがれる中、感情をぶちまけることなく、自らの悲しみを人に共有してもらうためでもなく、全ては神の思し召しとして、父や姉を慮りながら冷静に紙に向かうモーツァルトの姿が浮かぶ。

その一糸乱れぬ書面から察するに、楽譜を書く時も同じではなかっただろうか。いかなる悲しみや怒りの感情や満たされぬ想いがあったとしても、頭の中にある音楽は冷静に引き出され、流れるように五線紙に綴られていく。何者にも邪魔されない音楽。世俗の何事にも影響を受けない音楽。そこには私情と切り離された天上の音楽があった。それは紛れもなく、彼が父に宛てて書いた「本当の財産は頭の中にあります」という言葉が示しており、モーツァルトが自身の人生を賭けて守り抜いたものではなかったか。

どこまでも広がり続ける想像力は、彼の筆を最後まで休めることはなかった。書いても書いてもほとばしる楽想、神から与えられた無形の財産を、モーツァルトは一切の躊躇なく出しきった。そのことを、モーツァルトの家は現代に伝えてくれる。

リポート◎菅野恵理子

公式ホームページ


モーツァルト国際コンクール優勝者 来日公演決定!

  • 出演者:フェデリコ・コッリ(ピアノ)、セルゲイ・マロフ(ヴァイオリン)
  • 日程・会場
    ・2011年9月21日 日経ホール
    ・2011年9月22日 武蔵野市民文化会館小ホール

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

【GoogleAdsense】