脳と身体の教科書

第15回 練習の生理学 (2)早期教育の効果

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2011/03/29
練習の生理学 (2)早期教育の効果

我々の脳や身体には、発達しやすい時期があります。例えば、臨界期というのは、発達におけるある限られた期間のことで、その期間中の経験によってもたらされた脳や行動の変化は、生涯にわたって続きます。つまり、訓練や経験が脳や身体にもたらす影響が、最も強い時期です。よく「子供のうちに英語を習わせないと」といった話を耳にしますが、これは第2外国語の習得に臨界期があることと関連しています。では、ピアノ演奏に関わる能力を育む上で重要な時期というのは、いったい何歳ごろなのでしょうか?ここでは、ピアノ演奏において特に大切な二つの能力、すなわち「運動」と「聴覚」に焦点を当てて、早期教育がこれらの能力にどのような影響を及ぼすのかについてご紹介します。


1.運動機能

モーツァルトのフィガロの冒頭やリストのピアノ協奏曲1番の冒頭といった、両手で同じメロディをユニゾンで演奏する場合に代表されるように、ピアノ演奏では、両手の動きを協調させる技術が不可欠です。左右の手の動きを協調させる上で、右と左の脳の間で情報をやりとりする「脳梁」という部位が重要な役割を果たしているのですが、この脳梁の大きさは、7歳までにピアノの訓練を始めた人の方が、それ以降に始めた人よりも大きいことが知られています(Schlaug et al., 1995)。また、手指を動かすための脳の情報処理の速さを左右する「白質」という部位に関しますと、11歳までの練習の方が、それ以降の練習に比べて、この白質の発達により大きな影響を及ぼすことが知られています(Bengtsson et al., 2005)。これらの結果から、手指の動きや両手の協調に関わる運動機能の臨界期は、どうやら7歳あら11歳あたりだと言われています。

しかし、これは7歳を過ぎると練習をしても意味が無いというわけではありません。脳の情報処理そのものを司る「灰質」という部位は、一般的に7~10歳あたりに発達を概ね終えると言われているのですが、白質に関しては、成人まで発達を続けるということや、最近の研究では、灰質、白質共に、成人以後もトレーニングによって発達することも報告されています。したがって、何歳になっても、練習は脳の発達を促すということを忘れないでください。


2.聴覚機能

音楽訓練を始めた年齢が早いほど、音のピッチ(音程)を正しく認識したり、リズムを正確に感じ取る能力が高いことはよく知られています(Bailey and Penhune, 2010)。事実、6歳の子供に1年間、専門的な音楽教育(ソルフェージュのレッスンなど)を受けさせると、そうでない子供に比べて、リズムを正確に感じ取る能力が高まること、それに伴い、音の知覚に関連する脳領域である聴覚野の体積が増大することが知られています(Hyde et al., 2009)。同様に、音感訓練を子供に1年間施すことにより、音を聴いたときに聴覚野の脳細胞がより強く反応するようになることも知られています(Fujioka et al., 2006)。これらの結果から、早期教育が聴覚機能を育む上で重要な役割を果たしていることが伺えます。

では、聴覚機能の臨界期はいつなのでしょうか?一般に、運動機能と同様に7歳くらいだと言われていますが(Hensch, 2004)、聴覚を司る脳部位の発達は他の感覚器官より長い時間をかけて発達することが知られています。例えば、視覚は生後数ヶ月で白質が急激に発達する一方で(Kinney et al., 1988)、聴覚は生後1歳くらいから白質の発達が始まり、4~5歳あたりに発達のピークを迎えると言われています(Moore and Linthicum, 2007)。また、聴覚を司る脳部位の神経細胞は、5歳から12歳の間にも発達を続けるという報告もあり(Moore and Linthicum, 2007)、正確な答えは出ていません。大まかには、1歳から5歳の間に最も大きく発達し、5歳から12歳までの間も発達を続けると理解していただくのが良いかと思います。




<脚注>
神経科学や心理学の分野では、「臨界期(Critical Period)」に加えて、それよりももっと長い期間続く「感受期(Sensitive Period)」という期間の存在が知られています。これは、臨界期ほどではないのですが、脳に経験の影響が特に強く及ぼされる時期のことです。本章では簡単にするため、両者を同じように扱っていますが、厳密には違うものであると考えられています(Knudsen, 2004)。
<参考文献>
Bailey JA, Penhune VB (2010) Rhythm synchronization performance and auditory working memory in early- and late-trained musicians. Exp Brain Res 204:91-101.
Bengtsson SL, Nagy Z, Skare S, Forsman L, Forssberg H, Ullen F (2005) Extensive piano practicing has regionally specific effects on white matter development. Nat Neurosci 8:1148-1150.
Fujioka T, Ross B, Kakigi R, Pantev C, Trainor LJ (2006) One year of musical training affects development of auditory cortical-evoked fields in young children. Brain 129:2593-2608.
Hensch TK (2004) Critical period regulation. Annu Rev Neurosci 27:549-579.
Hyde KL, Lerch J, Norton A, Forgeard M, Winner E, Evans AC, Schlaug G (2009) Musical training shapes structural brain development. J Neurosci 29:3019-3025.
Kinney HC, Brody BA, Kloman AS, Gilles FH (1988) Sequence of central nervous system myelination in human infancy. II. Patterns of myelination in autopsied infants. J Neuropathol Exp Neurol 47:217-234.
Knudsen EI (2004) Sensitive periods in the development of the brain and behavior. J Cogn Neurosci 16:1412-1425.
Moore JK, Linthicum FH, Jr. (2007) The human auditory system: a timeline of development. Int J Audiol 46:460-478.
Schlaug G, Jancke L, Huang Y, Staiger JF, Steinmetz H (1995) Increased corpus callosum size in musicians. Neuropsychologia 33:1047-1055.

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
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