第06回 身体が動く仕組み (5)耳と指は脳でつながる
ピアノを弾いていて、音をイメージするだけで指や身体が反応したり、逆に指を動かすだけで音のイメージが自然と浮かび上がってきたり、といった経験はありませんか?ピアノを弾く人にとって、指と耳がつながっていることは感覚的にごく当たり前に思われることかもしれませんが、その背景にある脳の仕組みはどうなっているのでしょうか。
私たちが指を動かすときには、頭の頂点より少し前あたりにある脳の細胞が活動し、一方、音を聴くときには、耳の上あたりにある脳の細胞が活動します。しかし、ピアノの練習を積むと、音を聴くだけで、指を動かす細胞が活動したり、反対に、指を動かすだけで、音を聴くための細胞が活動するようになることが、この10年くらいで明らかになってきました(1) (2)。つまり、「音に身体が反応する」というのは、「音を聞くと、身体を動かすための脳細胞が活動する」ということなのです。ですから、ピアノを弾くときには、脳から筋肉に指令を送ることで身体を"動かす"と同時に、奏でられた音を聞くことで身体が"動かされている"ことになります。
では、指と耳をつなぐ脳の仕組みは、ピアノを演奏する上で、何の役に立つのでしょうか?この利点についてはいくつか報告されているのですが、その一つに、「ミスをあらかじめ予測することができる」というものがあります。
ピアノを弾く際、指が動く0.1~0.2秒前くらいには、脳は筋肉への指令を既に出しています。ミスタッチをする時も同様で、脳はミスタッチさせる指令を、ミスが起きる前に送っているわけです。しかし、ピアノの練習を積むと、脳は、指を動かす指令によって、これから鳴る音をイメージすることができるので、「どの音を誤って弾いてしまうか」を予測することができます。ハノーヴァー音大のAltenmuller教授らのグループが、ピアノを演奏している時の脳波を測った結果、脳はミスが起こる0.07秒前に、「あ、ミスする!」とすでにミスに気づいていることが明らかになりました(3)。その結果、無意識にですが、ミスタッチの打鍵の強さを弱め、ミスの影響を減らそうとしていることもわかりました。
また、指と耳をつなぐ脳の回路があれば、仮に予期せず意図しない音を鳴らしてしまった時でも、それにいち早く気づくことができることも知られています(4) (5)。その後、ミスを修正しようとする動きは、ミスの約0.3秒後には既に起こることも知られており(6)、意図した音楽を演奏し続けるために必要な脳の仕組みと言えるのではないでしょうか。
なお、この指と耳をつなぐ脳の回路は、20分程度の練習によって作られ始めます。そして、その後の練習を積む中で、指と耳との結びつきは強くなっていきます。しかし、ピアノの音を消した状態で練習しても、この脳の回路は形成されないことが知られています(1)。ですから、指だけ動かしていて、音を聴かずに練習していると、せっかく練習しても、タッチと音を結びつけながら練習するのとは違った脳の回路ができあがってしまいます。だから、音をよく聴きながら練習することは大切なんですね。
【脚注】
大阪大学基礎工学部卒業後、医学系研究科にて博士(医学)を取得。ミネソタ大学神経科学部研究員を経て、現在、ハノーファー音楽演劇大学にある音楽生理学・音楽家医学研究所にてフンボルト財団招聘研究員として勤務。日本学術振興会特別研究員PD、海外特別研究員を歴任。世界に先駆け、ピアノ演奏の脳身体運動学研究を体系的に行い、国内外より注目を集める。主な受賞歴として、Society for Neural Control of Movement (NCM) Scholarship Award、大阪大学共通教育賞、日本音楽知覚認知学会研究選奨など。2009年にはSONY主催「ランランと音楽を科学しよう」において講師を務める。訳書に、ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと(春秋社)、著書に、あなたがピアノを続けるべき11の理由(ヤマハミュージックメディア)など。主なピアノ演奏歴として、和歌山音楽コンクールおよびKOBE国際音楽コンクール入賞、日本クラシック音楽コンクール全国大会入選、兵庫県立美術館にてソロリサイタルなど。これまでに、成瀬修、中野慶理の各氏に師事。「音楽演奏科学」という新しい領域を確立し、ピアノを愛する全ての人に貢献できる教育・研究基盤を国内外に整備することを目指し、研究を行っている。www.neuropiano.net
