ここが知りたい、音楽と楽器

第06回 鍵盤音楽の新ジャンル

2006/06/12

 前回は、表現としての装飾音について、まず、そのリズム的な側面を論じました。今回はそれに続いて、と言いたいところなのですが、ここでちょっと閑話休題。というのも、実は、交響曲の連弾版のお話をしたいのです。いかにも唐突な、と思われるかも知れません。しかし、全く繋がらない話でもないのです。

 私がチャイコフスキーの『悲愴交響曲』に、ピアノ連弾版が存在していることを知ったのはほぼ一年前のことでした。チャイコフスキー最後の傑作であるこの曲を、勿論私はオーケストラの演奏で、何度も聞き知っておりました。しかしそのスコアーの隅々まで熟知していた、とはとても言えませんでした。それでも、この途方も無い曲には魅了され続けていました。そのピアノ連弾版、しかも作曲者自身による編曲があると聞き、早速その初版本を持っていらっしゃるコレクターの方にお願いして見せていただいたのでした。すぐさま取り付かれたようになって、20の指で音にしてみたときの驚きを何と言い表したら良いでしょうか。私がまず驚嘆したのは、チャイコフスキーの音楽語彙の空間的時間的広がりでした。ご存知のように『悲愴』の中心テーマの一つに4度下降の音型があります。このテーマが様様に変形され、異なる衣装を纏って、循環モティーフとして全曲に渡って現れるのですが、バロック音楽に親しむ者にとってこの音型は、あの「涙の音型」に他ならないのです。

 「涙の音型」は、ダウランドの名歌「流れよ、我が涙」に端を発します。この歌が殆ど4度の動き、特に下降4度だけでできているのです。当時の哲学では、涙は「土」から生まれた人間が、「空気」を呼吸し悲しみの「炎」に身を焦がして、涙という「水」が生まれる、つまり、自然界の四大元素を含む稀有な物質と考えられたのでした。ダウランドはそれを音楽で神秘的に表そうとしたわけです。この音型はバロック時代を通じて、しばしば悲しみの比ゆとして引用され、バッハもこれを多用しました。

 バッハと言えば、『悲愴』の冒頭部分のアダージョは、全曲がロ短調なのに、なぜかホ短調で始まるのですが、ここに洗われるモティーフは、バッハの『マタイ受難曲』の冒頭のモティーフそのものなのです。また、『悲愴』第1楽章の展開部、フェローチェの指示から始まる部分では、駆け巡るような音型と激しい連打が何度も現れますが、これは「戦争」を現すためにルネッサンス初期以来用いられてきた典型的な音型です。それがクライマックスに達すると今度は、人が倒れて絶息していくかのようなゆっくりとした、しかしフォルティッシッシッシモの下降、そこに、これまたバロック時代以来西洋音楽の重要な語彙として使われてきた「溜息の音型」が繰り返されているのです。

 ここに挙げたのはほんの僅かな例に過ぎません。実は『悲愴交響曲』には、過去数百年間にヨーロッパ各国で蓄積された音楽語彙が全曲に渡ってふんだんに詰め込まれているのです。チャイコフスキーをロシアの作曲家として、少しローカルなイメージを持っていた私の偏見は完全に吹き飛ばされてしまいました。そしてそれらの語彙を駆使して、ある壮大なドラマが語られていることが、だんだんに見えてきたのです。それは1人の男の人生。戦いに敗れて非業の死を遂げる。しかし、死に際に人生の様様な場面を回想する。最後は、心臓の鼓動が一段と激しく打った後に停止する、その様子までもが極めてリアルに描かれているのです。

 ここまで読んでくださった方の多くはたぶん、「本当かなあ」と訝っておられることと思います。私もオーケストラ演奏で聴いただけであれば、こんなことは思わなかったでしょう。ピアノ連弾版を自分の指で弾いている内に、チャイコフスキーが渾身の力を込めて伝えようとしている遺言が、直に聴こえてくるような気がして仕方がない、そんな気持ちに囚われたのでした。ピアノで弾く場合、オーケストラの持つ多彩な音色、音量の豊かな変化はある程度諦めなければなりません。しかし、その代わり各々の細部に使われたモティーフとその変形、内声部の彫琢の様子、作曲家がそれを通して何を言おうとしたのか、それを一層明瞭に聴くことができる、と言えるでしょう。

 実は、モーツァルト以後の有名交響曲の殆どが、ピアノ独奏、ピアノ連弾、2台ピアノのどれかの形に編曲されています。しかも、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ドヴォルジャーク、そして、このチャイコフスキーなどは、作曲者自ら筆を取り、念入りな編曲を施しているのです。これはピアノ音楽の新しい、価値あるレパートリーとして、これからますます注目されて良い分野だと思うのですが、いかがでしょうか。



武久 源造(たけひさげんぞう)

1957年生まれ。1984年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。

91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)に審査員として招かれる。07年および01年、第7回及び第11回古楽コンクール(山梨)に審査員として招かれる。00年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、指揮・編曲活動にも力を注いでおり、毎年数多くのアンサンブルによるコンサートを行い、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年および03年には韓国からの招聘により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。

91年よりプロディースも含め20作品以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1?6)、チェンバロによる「ゴールドベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、コンヴェルスム・ムジクム「バロックの華?ローマからウィーンへ」、ほかの作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。02年、著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得ている。現在、フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師。

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