ピアノの19世紀

04 都市のピアノ音楽風土記  ウィーン その2

2008/02/15

19世紀前期ウィーンのピアノ音楽(承前)

 19世紀の音楽史においていくつか大きな変動の時期があります。一つは1815年です。そして次が1830年、そして1850年ころです。実はこの時期は社会の変動と軌を一にしています。つまりウィーン会議とフランス7月革命、そして3月革命です。社会の変動は単に政治体制の交代にとどまる問題ではなく、社会生活や文化にまでも影響を及ぼしているといえます。
 ベートーヴェン やウェーバー、シューベルトが没し、それに代わってベルリオーズ が「幻想交響曲」によってセンセーションを巻き起こし、ショパン がピアノ協奏曲第1番 と第2番を発表し、シューマン が「アベッグ変奏曲」(作品1) によって音楽界へのデビューを果たし、メンデルスゾーンが「3つの幻想曲、またはカプリッチョ」(作品16)を、リスト が「パガニーニの『鐘』による華麗な大幻想曲」 を作曲した1830年前後の時期は、音楽様式もさることながら、音楽と聴衆のあり方が大きく変化した時期でもあります。ビーダーマイヤー文化と呼ばれる大衆化社会が開花して、音楽の楽しみがアマチュアへと拡散し、同時にヴィルトゥオーソによる専門化が進んだ時代です。
 1830年の「音楽一般新聞」にはどのようなピアノ作品の新譜が並んでいるのでしょうか。この掲載記事からこの時代のピアノ愛好家の全体の傾向を考えてみたいと思います。

オーベール :「ポルティチの唖娘」のピアノ編曲版。オーベール:「ポルティチの唖娘」のバレエ音楽のピアノ4手用編曲。バッハ:イギリス組曲。ベートーヴェン:弦楽四重奏曲(作品74)のピアノ編曲版。ベルケ:よく知られたオペラの旋律のピアノ編曲。ベルケ:平易なピアノ練習曲。ベッリーニ:序曲。ベルティーニ:ロンド(4手)。ベーナー:管弦楽のための幻想曲のピアノ編曲。ベーナー:16の前奏曲とフーガと幻想曲。オルガンかピアノ用。ショリュー:変奏曲。ショリュー:オーベールのオペラの編曲。シャヴァテル:変奏曲。チェルニー:幻想曲。チェルニー:ロンドレット。チェルニー:ロンド。チェルニー:序奏と変奏曲。チェルニー:変奏曲。エリオット:変奏曲。エリオット・ワルツの形式による6つのディヴェルティスマン。エアフルト:華麗なロンド。ゲッツェ:エコセーズの形式によるサ・イラ(4手)。ゲッツェ:幻想曲。ホク:パ・ド・ドゥ(4手)。ハイドン:弦楽四重奏曲(作品76)のピアノ編曲(4手)。ハイドン:弦楽四重奏曲(作品54)のピアノ編曲(4手)。エルツ:変奏曲(4手)。ヘプナー:変奏曲。ヒュンテン:ロンド。ヒュンテン:変奏曲。カール:幻想曲。ケルツ:アレグレット・グラツィオーソ。ケーラー:序奏と変奏曲。クレーゲン:ロンド・ポロネーズ(4手)。クーラウ:序曲(4手)。ローベ:カプリス。ローベ:変奏曲。マイヤー:新舞曲。モーツァルト:協奏曲第8番ピアノ4手用編曲。ミュラー:変奏曲。ミュラー:華麗な変奏曲。ナイトハルト:行進曲。オンスロウ:五重奏曲のピアノ4手用編曲。ピクシス:ロンド・ポラッカ。ピクシス:幻想曲。ピクシス:オペラ序曲の4手用編曲。ピクシス:変奏曲。ポリーニ:スケルツォ、変奏曲と幻想曲。ライシガー:ロンド。リヒター:ロンド舞曲。リース:変奏曲。ロラン:ロンド。A.ロンベルク:ミューリンクの弦楽四重奏曲のピアノ4手用編曲。シュミット:新練習曲。シュナイダー:序曲。シュプリットゲルバー:6つのギャロップ。シュポーア:ノネットのピアノ4手用編曲。フォルラート:行進曲と華麗なロンド。フォルラート:ロンド。ヴュストロウ:12のバガテル。ヴュストロウ。2つの華麗なロンド。

 1830年の「音楽一般新聞」に掲載された新譜案内は明らかに1823年のものとは変化を見せています。その第一の相違はピアノソナタの減少です。変奏曲と幻想曲の人気はますます高まっています。注目されるのはバッハの復活です。すでに1801年にビュロー・ド・ミュジク社からバッハの鍵盤作品がまとまった出版されていますが、1830年のこの音楽新聞に掲載されていることは、バッハが社会に浸透を見せてきていることを示しています。また、ハイドンやベートーヴェン、モーツァルトの作品が編曲の形であれ登場したことは何を意味するのでしょうか。これは明らかに、この時代になると歴史意識が登場していることを示唆しています。ベーナーが「16の前奏曲とフーガと幻想曲」を作曲したのは、この少し前の1826年にメンデルスゾーンが作曲した「性格的な7つの小品」(作品7)、彼がその後の1837年に作曲する「前奏曲とフーガ」(作品35、作品36)と同じ傾向を示しています。変奏曲や幻想曲などのピアノ音楽愛好家への作品が広く登場していると同時に、バッハが出版譜に登場したことはクラシック音楽と呼ばれる傾向が同時に始まっていることを語っているのです。
 取り上げられている作曲家を見てみますと、1823年において人気のあったリースに代わって、チェルニーやピクシスがこの年の出版譜で人気を博しているのが分かります。チェルニーは、今日練習曲の作曲としてしか知られていませんが、ピアノソナタだけではなく、交響曲やピアノ協奏曲、ミサ曲なども手がけた19世紀中期のもっとも重要な作曲家の一人であったことは確かです。彼の交響曲の完成度の高さは驚くべきであり、たとえば。「ピアノ協奏曲イ短調」はショパンのピアノ協奏曲の先駆けをなす見事な作品です。彼の作曲した4手用のピアノソナタはベートーヴェン以降のソナタの注目されなければならない作品です。

《その3》へ続く

西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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