ピアノの19世紀

04 都市のピアノ音楽風土記  ウィーン その1

2008/01/28

 ベートーヴェン が1827年に亡くなり、その翌年にシューベルトが亡くなった後、ウィーンのピアノ音楽界はどのようになっていたのでしょうか。そもそも、シューベルトという作曲自体がウィーンにおいてどのように評価され、演奏されていたのかという根本問題があります。ふと考えてみますと、1820年代のウィーンにおいて、ピアノの演奏家やピアノの愛好者は何を演奏したのでしょうか。ベートーヴェンのピアノソナタは明らかに難解であり、演奏技術も高度すぎます。シューベルトの作品を人々が広く演奏していたわけでもありません。彼の作品の出版が限られていたからです。 1823年の「音楽一般新聞」(第25巻)の新譜案内を覗いてみましょう。このころはすでにベートーヴェンが32曲のピアノソナタを作曲を終えた時期で、シューベルトが後期のピアノ作品の作曲段階に入る時期です。

ビルンバッハ:3つのピアノソナタ。ボイネブルク:ピアノのための行進曲(4手)。ジョルジュ:ピアノのための24の大練習曲。ゲルケ:ピアノの楽しみ(4手)。グロスハイム:ピアノのための6つの小幻想曲。エル:ピアノのためのディヴェルティスマン。ケルツ:スポンティーニのプロイセンの民謡による変奏曲。クライン:ピアノソナタ。クライン:ピアノのための10の変奏曲。クーラウ :ピアノソナタ。クーラウ:ピアノのためのディヴェルティスマン。ラウスカ:ピアノソナタ。ラウスカ:ピアノのための心地よいソナタ。モシェレス :幻想曲。モーツァルト :弦楽四重奏曲のピアノ4手用編曲。ミュラー:6つの小品(4手)。ノイコム:悲歌。ノイコム:リオ・デ・ジャネイロの友人に送る告別。リース :エコセーズと変奏曲。リース:序奏と変奏曲。リース:モーツァルトの合唱曲の編曲。リース・ピアノのための2つのアレグロ・ディ・ブラヴーラ。リース:お気に入りの旋律による幻想曲第5番。リース:ポロネーズ第2番(4手)。リース:お気に入りの旋律による幻想曲第6番。リース:ピアノソナタ第47番。ロンベルク:交響曲第1番のピアノ4手用編曲。シュヴェンケ:変奏曲。シュヴェンケ:行進曲第6番。ジーゲル:平易な変奏曲。シュポーア :交響曲第1番ピアノ4手用編曲。シュタイベルト:新幻想曲による嵐。ヴィンネヴェルガー:ピアノの初心者のための平易で心地よい練習曲。ヴェッツ:ピアノのための大ソナタ。ツェルナー:ピアノのための2つの主題による変奏曲

 ちょっと長いかもしれませんが、この新聞に掲載された独奏曲の部分を採録してみました。これがすべての出版譜はありませんので、この年のピアノ曲の全体像というわけではないのですが、これを通して全体の傾向を知ることはできます。ピアノソナタは一定の人気は得ていますが、幻想曲がとても多くなっています。どうもこの年、人々に人気のあった作曲家は フェルディナンド・リース のようです。ここに掲載されたリースの作品を見ますと、変奏曲と幻想曲とピアノソナタがメインになっています。ピアノソナタについては、何と「第47番」と記されていますが、これは誤記と思われます。リースについては事典の項目には必ず登場しますし、ベートーヴェンとの関係でも、シューマン との関係でも必ずその名前が登場する作曲家ですが、彼は19世紀前期のピアノの分野でどのような存在だったのでしょうか。

 1784年に生まれて1838年に没したリースは、ピアノソナタ14曲、ロンド39曲(ロンドレット3曲も加わります)、変奏曲49曲、幻想曲19曲、ワルツ22曲等、その他ピアノ4手用の作品がこれに加わります。連弾用としてソナタ3曲、変奏曲11曲、ポロネーズ5曲、行進曲11曲等々。まさに恐るべき人気です。リースの作品の作曲的な意義が論じられることは現在ではありませんが、1820年代から30年代にかけてのウィーンのピアノ界を風靡していたことは明らかです。

 変奏曲が大変な人気を博していたことはこの出版譜からも明らかです。だからこそ、ディアベッリ は1824年、自作のワルツによる変奏曲を50人の作曲家に委嘱して「50の変奏曲」をまとめることになります。ピアノソナタはどうなのでしょうか。ウィーンにおける楽譜出版点数の推移を見ますと、大きな変化がこの時期に始まっているのが分かります。変奏曲の出版点数は1818年に40%に達します。そして1823年に52.5%になり、過半数が変奏曲で占められます。しかし、その後、徐々に変奏曲の出版点数の割合は下降線をたどり、1840年頃には急速に人気を失っていきます。ピアノソナタも面白い傾向をたどります。1828年、つまりシューベルトが亡くなった年をピークに急激に人気を失い、1833年には5%程度まで下落してしまうのです。

 この時点のピアノ界あるいは音楽界に身を置いてみた場合、遠い未来の私たちの視点から見る像とは明らかに異なる現実があります。1820年代のこの傾向は1830年代に入るといどのように変質していくのでしょうか。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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