19世紀ピアニスト列伝

カール・チェルニー 第5回(最終回):厭世的だが社交的精神を備えていたチェルニー

2016/09/09
カール・チェルニー
第5回(最終回):厭世的だが社交的精神を備えていたチェルニー

 今回でチェルニーの章は最後になります。今回は、チェルニーの人柄、そして、お決まりの人相描写です。一日中、家でレッスンと作曲の仕事をしていたというチェルニーですが、決して人間嫌いというわけではなく、マルモンテルにも、かなりきちんとした、丁寧な手紙を書き送るだけの、社交的精神の持ち主だったようです。

チェルニー

 カール・チェルニーは1856年17月、ヴィーンで没した。他界に先立つ彼の経歴には、これといった出来事もなく、徹頭徹尾、教育と作曲に捧げられている。教授職に対する使命ゆえに、彼はヴィルトゥオーソとしての堅実な名声を獲得することができなかった。だが彼は華麗で良き流派に属したピアニストであり、おそらく、演奏者の中でも第一流の地位を占めたことは間違いない。

 厭世的だったわけではないが、チェルニーは殆ど屋外で活動することがなかった。彼は自宅で愛想よく、気品あふれ、もてなしの粋を心得た人士の美質を発揮し、立ち寄った芸術家や彼に紹介されたヴィルトゥオーソは丁重にもてなしたが、逆にレッスンや着手した作曲の仕事を中断させる煩わしい訪問客にはぞんざいに応対した。チェルニーの作品目録が間違いなく証明する、あの途方もない創作量を実現するために、どれほど時間の節約が必要とされたかは、容易に理解される。

 同様の労苦は、チェルニーが社交界のマナーに時間の一部を犠牲にせざるを得ない芸術家たちが往々にして耐え忍んでいる、あの月並みな人間関係を免れるための、十分な口実となった。何人かの伝記作家が非難しているように、チェルニーがその中で暮らした、それなりに孤立した生活の理由を、もう一つの別の感情、つまり、極端なまでに推し進められた秩序と倹約の感情に求めてよいものだろうか?ヴィーンの大家には、ここでもやはり、ごく自然な口実があったと考えられる。彼には、恵まれない青春時代――その頃は、日々の糧を得るために労働は欠かせなかった――の思い出と、物質的な心配のない、静かな老後を送りたいという願望があったのだ。善良で高名なハイドンは、その長く勤勉な人生の晩年に差し掛かると、果たして質素倹約によって、日々事欠かない暮らしが立つのかどうかを知ることに、気をとられていた。

 カール・チェルニーの外見は、たいへん素朴で、物腰は、少々ブルジョワ的なところがあった。面長で、鷲鼻で、口が大きく、顎が丸みを帯びた彼の人相は、たいへんドイツ的で人のよさと活力が混ざり合っている。生き生きとして、輝きを放つ彼の目は、大きなガラスの眼鏡の向こう側で、その煌きを和らげていた。

 精神面では、チェルニーは才気を宿し、たいへんよく機転がきいた。孤立した生活にも拘わらず、彼が社交の機微に疎いということは全くなかった。20年前になるが、私は彼から大変、上品に書かれた献辞つきの手紙を頂いたことがある。それは、悲観的な人たちが見たと思った、気難しい世捨て人の姿ではなかった。

 既に示したように、チェルニーの作品には、批判すべき部分が多く残されている。だが、この作曲者の美質を公正に評価するためには、あの途方もない作品群――そこでこの教師は、濫用といってよいほどに生来の速筆を用いた――と、しばしば優れた霊感と、大いなる熟練の手腕、大家らしい見事な仕上がりを示す精選された楽曲とを、切り離して考えなければならない。我々の好む楽曲は、既に示した通りである。チェルニーが残した無数の作品の中には、探究に値するものは他にもある。このヴィーンの作曲家の名は、音楽史からすっかり消えいくだろう数々の名前とは、別物である。彼が生前に一角を占めていた割には、彼が死後に残した喪失感はそれほど大きくない[それだけ彼は有名なのだ]。だが、有名であることは、[すでに]彼にはたいへん高くついているのだから、そのことで彼をいつまでも非難するのは酷だろう。ごく普遍的な性質をもつ彼の作品の総体によるのではなく、ある特殊な側面、おそらく作曲家の思考においてはもっとも取るに足らない側面によって、[死後も]生きながらえることは、この無尽蔵の才能に対する報いともなり、また救いともなるだろう。

  1. 原文では1855年となっているが、1856年が正しい没年である。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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