19世紀ピアニスト列伝

F.ショパン 第5回:仮面のショパン

2012/12/25
仮面のショパン

 今日ご紹介するのはマルモンテル『著名なピアニストたち』の第一章、「F. ショパン」から人間としてのショパンを描いた部分です。一般に認識されているショパンの優美な音楽と以下にマルモンテルが示すショパンの人物像のギャップはかなり大きいものだと思います。
 何年も前の話ですが、私は大学で分析の授業に出てました。その時、ショパンのある楽曲を初めて詳細に分析しました。矛盾を孕む複雑な和声の構造を前にして、ショパンの冷笑を感じ取った担当教授はおもむろに「ショパンの音楽の手触りはごつごつしている」の述べたのを記憶しています。人と作品―その双方をよく見ていくと、そこにはやはり矛盾はないのかもしれません。

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認識しておくべきは、平等的精神が欠如したショパンの性格、とりわけショパンの世界には属さない下級芸術家に対する侮蔑的な態度である。こうした感情の上での貴族的意識とフェティスの判断・示唆1とは全く別の事柄である。人は筆者に本心を隠してまでショパンを優しい人物だと説明するが、彼は生涯、最良の友に対してさえ偽善的で完璧な抗い難い仮面を付け接した。あるいはこう言ってしまえばいっそう簡潔で正確かもしれない。ショパンは神経質で感受性が強く病気がちで苛立ちやすい人物であり、従順なへつらいに甘やかされた子どもの持つが如きかりそめの空想に安易に身をゆだね過ぎてしまう人だった。それ故に警句の数々は時に残酷な様相を帯び、誠実で深い友情は心の奥底で傷つき、正しき感受性を宿した心は凍てついた。想い出を探れば、この種の攻撃の二つや三つを見つけることもできようが、この不快なブラック・ユーモアの衝動はショパンの高貴な心から来るというよりも、彼の慢性的な激しい苦しみに口実を求める方が自然である。
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我々はショパンの才能に対して常に深い賛嘆の念を、もっとはっきり言うなら、彼の為人(ひととなり)に強い共感を抱いていた。彼の親しい門弟たちを除けば、いかなる芸術家といえども彼の作品を学ぶ機会はなかったし、演奏してもらうことも望めなかった。いくら彼に共感を抱いたところで、この偉大な音楽家と我々との関係は疎遠ではかないものでしかなかったのだ。ショパンは少人数の熱烈な支持者である友人の一団に囲まれ、褒めそやされ、監視されていた。彼らは煩わしい訪問客や半端な賞賛者たちから彼を保護していたのだ。彼に面会するのは至難だった。ステファン・ヘラーというもう一人の偉大な芸術家が自ら語っていたように、彼との面会に漕ぎ着けるまでには何度も「挑戦」しなければならなかったのだ。この「挑戦」は、ステファン・ヘラーほどは私の心を捉えなかった。私は信仰が狂信へと転ずるあの信徒たちの小さな教会の一員にはなり得なかったのだから。
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それでも、私は彼の人相をざっと描くことができるくらいショパンをよく知っている。それに、私は目下にドラクロワの描いた素晴らしい肖像画があるのだ2。これは苦しみに苛まれ、打ちひしがれた晩年のショパンを描いたものだ。既に崇高さの刻印が刻まれた顔つき、天地の狭間を漂う夢想的で陰鬱な眼差し、夢の、そして末期の朦朧とした状態。縦に伸びた面長の顔立ちが非常に際立ち、凹凸ははっきりと目立っている。だがそれでいて顔の輪郭は美しく、楕円形の顔、鷲鼻と調和のとれた鼻の曲線は、この病んだ人相にショパン特有の詩的気品を刻印している。
  1. 前回の翻訳を参照のこと。
  2. 図1に示すウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)による有名な肖像画。

図1 ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)によるショパンの肖像。1838年頃の作とされているが、それが本当なら必ずしも最晩年のショパンを描いたものではない。もともとジョルジュ・サンドとショパンの二人を描いた一幅の絵画として制作されたが未完に終わり1863年〜74年の間に切り離されて現在の状態に至る。この絵画はマルモンテルの義理の息子で同じくパリ音楽院ピアノ教授となったアントナン・マルモンテル(1851~1907、マルグリット・ロンの師としても知られる)に渡り、彼の没後パリのルーブル美術館蔵に遺贈された。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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