ピアノ連弾 2台ピアノの世界

第12回 デュラン社訪問記

2010/02/11
第12回

2000年2月、私はフランスのデュラン社を訪問しました。本格的なコンサート活動を始める前年のことでもあり、この折のことは、これまで周囲の内々の人にしかお話したことはなく、一度も文章にしたことがありませんでした。3回にわたって書かせていただいたサン=サーンスの2台ピアノ作品にまつわる話として、ここで「デュラン社訪問記」としてご紹介致したいと思います。

デュラン社は、フランスを代表する名門楽譜出版社として広く知られています。1869年に作曲家のオーギュスト・デュランが創立して以来、サン=サーンスドビュッシーラヴェルフォーレ、ルーセル、デュカスメシアンデュティユーといった大作曲家の多くの作品がデュランから出版されました。フランス近代・現代音楽の輝かしい発展を側面から支え続けてきたのがデュラン社であったとも言えるでしょう。楽器の演奏にたずさわる人間にとっても、デュランはフランス音楽そのものと表裏一体の存在であり続けてきました。一例を挙げれば、ラヴェルの著作権が未だ存続していた時代、誰もが、デュラン社の「ソナチネ」「夜のガスパール」「クープランの墓」「ラ・ヴァルス」といった楽譜を手にとりました。他のどのエディションとも違う、独特の手触りと風格に魅せられた方も多かったのではないかと思います。デュティユー「ピアノソナタ」メシアン「みどり児イエスに注ぐ20のまなざし」「アーメンの幻影」といった高価な楽譜を購入するときには、今でも皆、清水の舞台から飛び降りるような気分を味わわれていることでしょう。

サン=サーンスの一部作品は、ルデュックやユジェールといった出版社からも出されましたが、大半の作品は、デュランから出版されました。私たちがサン=サーンスの2台ピアノ作品に本格的に取り組もうとしたときに最初に直面した問題は、市販されていない曲があまりにも多いということでした。デュラン社の楽譜は、カタログに載っていても、必ず取り寄せられるとは限らないということもわかってきたのです。思い余ってデュラン社に直接手紙を書いてみると、幸いにも、複写譜を作ってくれるという返事をいただくことができました。半年ほどの間に何度となくエアメールのやりとりを繰り返し、サン=サーンスの譜面が次第に手元に揃いつつある状況に至ったとき、私は、是非一度デュラン社を訪問し、リクエストにご対応下さった方に直接お会いしてお礼を申し上げたいという気持になりました。その意思を伝えたところ、先方からも御快諾をいただくことができ、かくて、あわただしく渡仏の予定を段取る仕儀とあいなりました。



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パリ郊外、アニエールにあるデュラン社書庫を訪問したのは、2000年2月11日、午前9時のことです。その日は冬のパリにしては好天に恵まれ、朝の冷え込みも厳しくない小春日和の日であったことをよく憶えています。パリ市内に宿泊した私は、メトロを乗り継いでアニエールの駅で降り、歩くこと約10分。アニエールは、ルイ・ヴィトン社の工房があることでも知られる美しい高級住宅街です。"DURAND & CIE"とのプレートのある二階建ての瀟洒な建物の玄関の左手にある事務所に、約束したジャン・ムートンさん (Monsieur Jean Mouton) は待っていて下さいました。お茶を御馳走になってさまざまのお話をした後、別棟の書庫に案内して下さいました。写真からは見づらいのですが、裏手にある細長い煙突のある三角屋根の建物がデュラン社の心臓部というべき書庫です。地上三階、地下一階、ワンフロアの広さは日本の小学校の体育館ほど。中央が吹き抜けになっており、業務用の自動昇降装置が設置されていました。 吹き抜けを取り囲むように広がるロの字型のフロアには、図書館のような書棚が整然と並び、褐色の油紙に包まれた楽譜が上から下までぎっしりと収納されています。書庫の片隅に、サン=サーンスの胸像が無造作に置かれていたりするので、見飽きることがありません。地下には、メシアンデュティユーブーレーズといった売れ筋の現代曲の楽譜が巨大なコンテナに荷積みされ、これから世界中に出荷されるのを待っていました。2階の一隅には、世界中から依頼される複写譜を作成する工房もあり、新しい紙とインクの香ばしい匂いがたちこめて心地よく嗅覚を刺激します。3階では、ここでアルバイトをしているという近所の少年たちが、地べたに置ききりのラジカセでロックを流しながら何かの整理に精を出していました。一時間半ほどの訪問を終えて事務所を去る私に、ムートンさんは、出版されたばかりのノエル・リー校訂「ドビュッシー・ピアノ作品全集」の第1巻をプレゼントして名残を惜しんで下さったことが今でも忘れられません。

その後、デュランには厳しい経営難の波が容赦なく襲いかかり、私が訪問した直後には、サラベール社、マックス・エシック社と合併してデュラン=サラベール=エシック社と名前を変え、さらにイタリア資本のBMGの傘下に入りました。最近のデュランの楽譜を見ると、Made in France ではなく、 Made in Italy となっています。アニエールのデュランの書庫も、現在では大きく様変わりしていることでしょう。それを思えば、私が訪問したデュラン社の社屋こそは、古きよき黄金期の輝きを残したフランスの老舗出版社の最後の象徴であったのかもしれません。それにつけても、あらためて痛感するのは、楽譜というものは、ただ高額なお金を積めば手に入るものではないということ。また、自分の足で動くことを怠る人のもとには、決して望む楽譜はやって来ないということです。昨今、机の上で小器用に端末をたたきさえすれば世界中の楽譜が思うがまま手に入ると思っている人も多いようですが、それは大きな間違いなのです。この鉄則は、十年前、デュラン社のご厚意をいただき渡仏することを通し、身をもって学ばせていただいたと思っています。


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