ドビュッシー探求

アラベスク第一番

2008/07/18

今回の曲目
音源アイコン アラベスク第一番 4m40s/YouTube

 あまりにも有名なこの作品は、ドビュッシーの初期、すなわち、1890年頃に作曲されています。また、ポピュラーにアレンジされたり、管弦楽に編曲されたり、発表会や子供のコンクールの課題曲になるなど、いろいろなところで耳にすることができます。前半と後半は分散和音が文字通り唐草模様のように組み合わさり、ロマンティックでみずみずしい世界が展開されます。分散和音はあたかも水面下を動くかのように滑らかに表現され、それがメロディーの一部になっています。後年の作品とは異なり、メロディーはとても息の長いものです。中間部分はやはり分散和音がありますが、美しい和声進行が少しずつ形を変えて表現され、これが前後と絶妙なコントラストを作っています。聴いた印象はとても心地よいものですが、ドビュッシーが書いた楽譜の指示の意味を汲み取って表現することは結構難しい作品です。


 
演奏上の問題について
 曲はE-dur、4分の4拍子、Andantino con moto(元気よく、適度に緩やかなテンポより少し速め)です。このテンポはいろいろ考えられますが、私は2分の2拍子ではないので、一般に演奏されるテンポは少し速すぎるように思います。もちろん、流れるように演奏しなければいけないので、あまり4分の4拍子を明白に感じさせる弾き方は良くないとは思いますが、テンポを速くしないで微妙な揺らぎを表現することが大切ではないかと思います。

 1、2小節は、和音が第1展開形で、IV、III、II、Iと順次進行していきながら解決します。これはルネッサンス期のフォブルドン様式です。3~6小節は通常の和声進行ですが、ソプラノのV9の第9音aは本来のgisに解決せずにeに向かうところが新鮮です。また、1~5小節のバスラインは、cis h a gis fis e dis cis h と順次下降進行して6小節のI和音の根音eに解決します。この大きな流れはさりげなく表現するべきでしょう。また、和声としても、例えば1小節目では、eからdisへ、2小節目ではaからgisへの揺らぎを意識したいところです。これらをふまえて、なおかつ線として1本に、滑らかにつながるように演奏しなければいけません。3小節目からは、バスのライン、ソプラノのメロディーの2声をバランスよく歌いながら、中声部の分散和音で色と動きを表現します。5小節では、75小節と異なり、4拍目にdim。 がありません。最後の2つの8分音符はテヌートをかける感じでrit。すると良いのでしょうか。そして6小節目はsubito ppとしなければいけないようです。また、rit。 を早いうちから始める演奏が多いですが、書かれている通りに演奏すると、過度にロマンティックにならないように思います。このように、最初の5小節はとても難しいと思います。

 6~9小節はIとVI和音の交替で安定した揺れを表現し、10~16小節では息の長いクレッシェンドを表現します。6~9小節は上段が5音階で揺れながら下降する旋律、バスはeのオルゲルプンクトの響きの上に、1小節ごとにhとcisの揺れがあります。10小節はVI度上のIV7和音が借用され、クレッシェンドの開始部分を一層効果的にしています。この部分はpoco a poco cresc。とありますが、最弱部分と考えるべきでしょう。12小節では縮節がかかり、これがpoco a poco cresc。の意味だと思います。13小節からはsemple cresc。とありますが、16小節はフォルテではありませんから、感情の高揚を表すものであって音量はあまり大きくしないことが必要です。この部分はドッペルドミナントが長く続き、和音の変化はありませんから、バスライン、すなわち、ais cis e fis ais cisと続く上行音型に注意を払うと良いでしょう。また、上段は、フレーズが徐々に短くなって、16小節の最後では1つずつにテヌートがかかるようになっています。ここも縮節が効果的に用いられています。

 17、18小節は冒頭と同じですが、ソプラノに2分音符の下降音型があります。これはバスのcis h a gisのラインと6度の関係になっていますから、この2声をバランスよく響かせると良いでしょう。19小節からはめまぐるしく転調しながら26小節に落ち着きます。細かいテンポの揺れなどを転調や和声の揺らぎと関連づけて表現することが求められます。19小節では、3小節と異なりバスがfisisになっています。19小節から20小節2拍目まではgis-moll(III度調)で、この部分は少し憂いのある表情で演奏すると良いでしょう。そして、20小節3拍目から21小節2拍目まではE-durで突然明るくなりますが、21小節3拍目から23小節2拍目まではcis-moll(VI度調)のIV和音とV和音の交替になっています。この部分は19小節からの部分よりもさらに憂いの感じを強く表現するところでしょう。23小節3拍目から26小節の冒頭まではA-durのII和音とV和音の交替です。ここは下属調ですから落ち着いた雰囲気になります。そして26小節の冒頭でI和音に解決し、これが2拍目の上段gによってD-durのV7和音に変わり、29小節で元のE-durに戻ります。そして、31~38小節は大きなカデンツで前半を閉じます。この部分はバスの長いラインの響きの上に旋律が乗っているように演奏するべきで、そうしないとソプラノばかりが目立つ薄っぺらい演奏になってしまいます。特に35、36小節の右手のラインを滑らかに演奏するのは難しいですが、それを克服するだけでなく、35小節の冒頭の下段のhの響きを聴きながら、これが37小節の冒頭の下段のeに解決するように演奏するべきです。

 39小節からは中間部分で、下属調のA-durですから、前半部分よりも落ち着いた表現にするべきです。ドビュッシーはそれを強調するために、「少し遅くして」と指示しています。ここからの部分は4声の多声音楽ですから、バッハなどの対位法的作品を演奏する場合と同じような表現が求められます。この部分で結構難しいのは、39、40小節、43、44小節、55、56小節、59、60小節が、同じフレーズですが少しずつ、すべて異なることです。よく比較検討して違いを認識するべきです。まず、前2つと後ろ2つで異なるのは、2番目の小節の2回目の和音です。前2つはシンコペーションで2拍目にありますが、後ろ2つは3拍目にあります。この違いは、活発さの違いとして表現できます。1回目はA-dur:II7 V7 VI V度上のV7、2回目はA-dur:II7 V9(借用)VI7 E-dur:II7 V7、3回目はA-dur:V7 IV7 V9(根音省略、借用) I V度上のV7、4回目はA-dur:II7 V9(借用)VI7 E-dur:II7 V7となっています。これらの和声進行を考えると、1回目ではtenorのd cisのラインでV VIの和声感を表現すること、2回目では43~44小節にかけての中声部のf eのラインで借用和音特有の陰りを表現することです。3、4回目も同様ですが、さらに3回目では55~58小節のアルトでfis f e dis d cisという半音階下降ラインがあります。4回目では、ここまでの全体のフレーズを閉じるために、60、61小節で、44、45小節にあった強弱の指示がありません。ここはsotto voceでフレーズを閉じることと、63小節の盛り上がりの準備の両方を表現すると良いでしょう。なお、曲全体を通して、47小節のバスに代表される、4分休符、2分音符、4分音符を連結したモチーフが用いられていることで、曲の有機的なまとまりを感じさせます。50小節のrit。は、遅くするというよりも1つずつの8分音符にテヌートをかけるような感じです。ここでは指示通りに演奏するとすれば、dim。なしで51小節はsubito pで演奏するべきです。54、55小節も同様です。

 63小節からは、ソプラノのメロディーも大切ですが、和声進行としての表現を大切にするべきでしょう。なお、ここには、39小節からの部分と異なり、レガートがありません。1つずつの和音をテヌートで表現することも一案でしょう。67小節に入る前にdim。する演奏がとても多いですが、dim。のあるところはまだdim。をしてはいけない、という重要な表現上のルールを守れば、67小節は頂点です。音域としても最高音であるから妥当な解釈だと思います。

 71小節からは前半部分の再現です。異なる部分を詳細に調べ、違いを明確に表現すると良いでしょう。例えば、75小節の4拍目のdim。や76小節のp、77小節のフレーズ、84小節のstringendoの位置などです。89、90小節は87、88小節の変奏ですが、小さなクレッシェンドがあります。91小節ではA-dur(下属調)に転調しますから、ここはsubito pにして曇った感じが出ると良いでしょう。93小節は一瞬II度調和音を借用していますが、99小節に向かってE-durの大きなカデンツになります。93、94小節は縮節になり、95小節はバスのfisと上段のaを97小節のhとgisにつなげ、これらを98小節のhとfisにつなげながら、細かい8分音符を演奏するべきです。98小節は少しリタルダンドをしてもよいかもしれません。

 99、100小節はpで上段は高音域、101、102小節はppで上段はIオクターブ下がりますから、エコー効果を出すと良いでしょう。103小節からですが、クレッシェンドは104小節からであることに注意して抑揚をつけるととても上品なふくらみを表現できます。107小節は長く音を延ばしすぎないようにするべきでしょう。

 とても上品な作品ですが、表面的なだけでなく、細部にわたってとても工夫され、考え抜かれた作品であることがわかります。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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