ドビュッシー探求

夢想(夢)

2008/07/04

今回の曲目
音源アイコン 夢想(夢) 4m33s

 とても美しく、文字通り「夢見るような」この作品は、演奏機会が多く、編曲も数多く存在します。しかし、ドビュッシーは、この作品をとても嫌っていました。1890年以前の作品で、彼の生活がまだ豊かでなかった頃に「生活のために」書かれたため、本人は不本意だと思っていました。しかも、出版社は楽譜を受け取ってから出版するまでに何年もたってから、しかも、ドビュッシーに何の断りもなく出版していました。しかし、作品に対する作曲者本人の評価と人気は全く一致しません。例えば、この「夢想」と、最晩年の12の練習曲集の第10曲「対比音のための」を比べてみれば明らかです。後者は、前者に比べ、響きに対する表現において、全く次元の違う段階に達したピアノ音楽の最高傑作の1つですが、多くの人にとっては未知の作品です。こういうことは絵画の世界をみてもいくらでもあります。そういえば、料理でもそうですね。牛丼チェーン店の名前は誰でも知っていますが、東京の表参道のいくつかの素晴らしいフランス料理店の名前はそうではありません。もちろん、それらを比較することは無意味ですが、気軽に楽しめるものとそうでないものは同じ作曲家の作品の中にも必ずあります。しかし、これらを同じカテゴリーで評価しなければいいのです。ぼくはこの作品をとても魅力的な作品だと思っています。メロディーはとても美しく、伴奏は、ショパンのノクターンの最高傑作の1つ、Es-dur作品55~2を彷彿とさせるようなもので、若い頃の作品であるのにとても考えぬかれています。 そういえば、誰でも作曲できるような作品ではないので、チェーン店の牛丼と「夢想」を比較することも無意味ですね。

演奏上の問題について
 ドビュッシーの多くの作品の特徴として、和声や調がめまぐるしく変化し、また、調を特定することが困難であることが挙げられますが、この作品の冒頭では、同じ和音、同じ伴奏が6小節続きます。和音としては7小節の和音に解決することを考えれば、F-durのIV和音(6音付加、5音省略)になっています(c音は経過音)。しかし、3~6小節のメロディーはF-durとは感じません。Dを主音とするドリア旋法(教会旋法)に感じます。同じ繰り返しの伴奏と、このメロディーの旋法が組み合わさって、文字通り夢見心地な雰囲気が表されています。また、バスの部分は冒頭を除けば1拍目に音がありません。これも拍子をあまり明確にならず、不安定感を表現することにつながっています。あまりゆっくりしすぎないこと、とても柔らかく表情豊かに弾くことなどの指示がありますが、過度にロマンティックな表現は避けるべきだと思います。6小節後半からF-durを明確に感じ、以降、10小節までの範囲でF-durを確 定します。また、7小節以降はバスの1拍目に音があり、1小節ごとに変化するバスのライン、a g fの流れはフレーズを閉じる意味でもとても大切です。9、10小節の上段の8分音符では、dがトニックの6音ですが、これと2つ後のc音を組み合わさったラインで水の揺らぎのようなニュアンスを出すと良いでしょう。ドビュッシーがこの作品を嫌った理由を私なりに考えてみると、ドビュッシーの素晴らしい作品の特徴として、長いドミナントやサブドミナントの後には、決して素直にトニックに解決しないということが挙げられるのですが、この作品は、そういう意味では正直に解決しています。これがドビュッシーの気に入らない部分の1つだったかもしれません。

 11~14小節はF-durのVI和音とII和音の交替と考えることもできますが、 d-mollのI和音とIV音の揺らぎと感じます。10小節までと異なり、メロディーにはっきりした調性を感じます。meno p 、mfはそれを意識したものでしょうか。15小節から4小節かけて滑らかにdim. をかけます。17小節で小さなゼクエンツァを経てF-durのカデンツを形成しようとしますが、19小節では解決せずにB-durに転調しま す。この部分は冒頭の10小節と同じメロディーですが、和声がV9からI和音とはっきりしているため、教会旋法をあまり感じさせません。また、とても広い音域のアルペジオで2小節で1単位となっています。17、18小節と、19、20小節を比べればわかるように、このアルペジオの長さがメロディーの質の変化や和声変化にあわせて微妙に変化していることで単調さを避けています。19小節ではトニックに向か わないので、subito pp で、しかも音色を変えると良いでしょう。また、22から23小節にかけては、esからdへの進行を響きの中の変化として感じると良いと思います。

 27~32小節はC-durのV音のオルゲルプンクトの上に、IV和音(5音上方変位)とドミナントが交替することで緊張感を表し、それがf とp のsubito の交替になっています。31小節から34小節は大きなカデンツを表現します。

 35小節からはg-mollで中間部分が始まります。ここまで、メロディーは右手で、伴奏は左手、しかも、バスのラインに特徴的なものもあまりありませんでした。しかし、ここからは、メロディーが左に出てきますから、少なくともそれまでと左右の響きのバランスを交替するべきです。また、37小節のように、全音符の和音が響いている上にソプラノの分散和音とバスのラインが乗ってきます。こういう部分を多層的に表現しなければいけません。つまり、前半部分に比べ、ソプラノのラインが2分音符ごとに変化し、テノールのメロディー、和音などが対位的に表現されるべきです。41小節では増和音で緊張感が増えますが、頂点の43~45小節はmf なので、大げさなクレッシェンドは避けるべきです。dim. とrit. は、45~49小節バスのライン、gis g f g c fに対して十分かけるべきです。また、48小節では、中声部にあるメロディーが左手から右手に引き継がれます。この部分は滑らかに連結するべきで す。51~58小節では2小節単位で提示とエコーが2回繰り返されます。強弱の指 示はそういうイメージで表現するとよいでしょう。51小節はa-mollで始まります が、44小節では一瞬F-durの響きが入りますから、さりげなく音色を変えると良いでしょう。また、47小節では、その前のa-mollからE-durに転調しますから、暖かく柔らかい音色で表現すると良いでしょう。いずれにしても、ここの8小節は、完全な4声体で書かれていますから、ソプラノだけを表現するのではなく、4声すべてをバランスよく表現するべきです。

 59小節からはバスがE-durのV音のオルゲルプンクトで、上声部に3和音でメロディーが奏でられます。PP ですが、ここはオルゲルプンクトの響きを利用して、霞がかったように演奏すると良いでしょう。65~68小節はH-durでIV和音とI和音の交替とともにさりげないクライマックスが築かれますが、ここでもmf が頂点ですから、大げさにはしない方が良いでしょう。69小節では、スティリー風タランテラの再現部でもそうだったように、頂点ですがsubito p となります。

 69、70小節はとても難しいところです。まず、C-durに転調しますから、音色を変えながらsubitoでp にします。右手はgのオクターブトレモロを軽やかに弾きながら、2分音符のライン、すなわちf eの揺れを4,3の指で演奏します。しかし、トレモロでこの2分音符がかき消されないようにしなければいけません。一方左手ですが、ドミナントとトニックの揺れをつかさどる2分音符のハーモニーをきれいに出しなが ら、バスに現れているメロディーを浮かび上がらせなければいけません。しかも、69小節ではsubito p にしなければいけません。この2小節は5声体で書かれているので、バッハの作品を演奏するような声部の独立性の表現が必要となります。71小節では、70小節のメロディーが右手に滑らかにひきつがれなければいけません。また、subito piu p にすることも大切です。72小節後半で中声部のbをきっかけにF-durに転調します。76小節で再現部に入ります。メロディーを左右でうまく配分しながら演奏するのが一般的ですが、その際、滑らかにメロディーをつなげることが大切ですが、4音の8分音符のグループの最初の音がポジションの跳躍によって堅い音にならないようにすることも大切です。そして、和音の変化をペダルで表現する際、ハーフペダルなどをうまく使ってメロディーが切れないようにしなければいけません。なお、このメロディーを右手だけで演奏し、8分音符をすべて左手で弾く方法も考えられます。その場合、メロディーを滑らかに弾くことは簡単ですが8分音符を柔らかい音で弾くことが難しくなります。しかし、メロディーを切らずに和声の変化を表現するのは簡単になります。91小節までは前半部分とほぼ同じような再現ですが、強弱などが微妙に異なりますから、違いを表現するべきです。

 92小節からはコーダです。92~95小節では、d-mollでIV和音とV和音の交替があったあとにトニックに解決します。和声の揺らぎを、縦の響きのバランスをうまくとりながら表現します。96小節からの部分も音域が高くなって同じような繰り返 しになりますが、rit. e perdendosi と同時にF-durに転調しますから、この部分は突然暖かくなったような感じで音色を変えると良いでしょう。

 全体にフォルテのニュアンスがないので、微妙な強弱や微妙なフレーズの出し入れが必要になります。とてもデリケートで、後のドビュッシーの音楽の質を勉強するのにとても良い作品だと思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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