「チェルニー30番」再考

31. 和声を学ぶための練習曲集~作品838

2014/12/09
第二部「30番」再考
31. 和声を学ぶための練習曲集~作品838

前回チェルニーの練習曲のうち、ピアニストがピアノで和声を学び、即興や変奏に役立てるための《根音バスのあらゆる和音についての実践的な知識を得るための練習曲集》作品838(1854)の目的を見ました。実は、即興がピアニストの重要な能力として認められていた19世紀、この種の教本は何人かのピアノ教授によって書かれています。ところが、既に世紀中葉、急速なピアノ学習者の増加とともに即興のできない生徒も増えていました。

●カルクブレンナーの嘆き

和声の学習とピアノの演奏を結びつけるメソッドは、すでにチェルニーよりも早く、1849年にF. カルクブレンナー(1785~1849)によって出版されています。カルクブレンナーの絶筆となった《ピアニストの和声教程―前奏・即興をするための転調の合理的な原則》作品185(1849)は、チェルニーの試みの先駆をなすものです。この著作の序文で、カルクブレンナーはピアニストの現状について次のように述べています。

作曲の教育法には悪習が存在します。それは、生徒が諸和音とそれらの転回形を学びながらも、しばしばこれらをどのように使うのか知らないということです。筆者は、ここに挙げる実例を数字の規則の上に基礎付けながら、まさにこの欠陥を埋め合わせようとしているのです。今日の優れたピアニストたちの中で、一体どのくらいの人が多少なりとも満足に前奏をすることができるでしょうか?生徒たちに関して、即興において完全終止以上のことができる人は千人に一人も見られません。ゆえに、筆者はこんにち、まじめな愛好家たちに捧げる本著が、音楽の技術的な部分を覆い隠し、芸術に深く通じていない全ての人にはこの部分を殆ど不可解なものにしてしまっているヴェールの角を少しめくることで芸術の一助となるだろうと考えたのです。

カルクブレンナーは完全和音や七の和音の基本的な連結を提示した後に、同じ和声に基づいてそれを分散和音やオクターヴなどピアノの演奏技巧と結びつけ変奏の手法を、和音の種類ごとに提示しています。チェルニーも基本的な方針はカルクブレンナーと似ていますが、更に手の込んだ極めて知的な技芸というべき手法で和声とピアノ実践を結びつけます。
チェルニーの練習曲集は25の練習曲からなり、2部で構成されています。下の表は、チェルニーの25曲の概要を示したものです。

表:《根音バスのあらゆる和音についての実践的な知識を得るための練習曲集》作品838の構成
第1部 日本の一般的な和声表記 第2部:ピアノの訓練として用いられる諸和音 日本の一般的な和声表記
1 各調の完全和音 基本形 10 完全和音 基本形
2 完全和音の2つの転回形(六と四六の和音) 第1転回形
第2転回形
11 完全和音 基本形
3 七の和音と3つの転回形(五六, 三四六, 二四七の和音) 七の和音の第1,2,3転回形 12 六の和音、四六の和音上で 第1転回形
第2転回形
4 3種の二の和音(短、長、増) 七の和音の第3転回形 13 七の和音上で 七の和音上
5 減三和音とその展開   14 五六の和音上で 七の和音の第1転回形
6 4度と9度による不協和音   15 三四六の和音上で 七の和音の第2転回形
7 七と九の和音、減三度と減六の和音   16 長2の和音上で  
8 あらゆる種類の和音からなる連結   17 増七[正しくは減7]の和音  
9 係留音を生じる特殊な音程と和音   18 長2, 短2の和音上で  
    19 減4上で  
  20 不協和音としての4度上で  
  21 増5上で  
  22 増6上で  
  23 9の和音上で  
  24 異名導音による様々な解決  
  25 経過音上の前奏  

第1部は第1番~第9番までを含み、和音の種類別に、同時に鳴らされる和音のみで構成された曲が提示されます。例えば、第1番では、全ての調の主和音の基本形が順に連結されます。

第9番までは、より高次の和音(展開形や七の和音等)を導入しながら複雑化していきます。
 一通りの和音の連結を提示したあとで、第2部では、第1部で提示された和声モデルに、ピアニスティックな音型が適用されます。下の譜例27は右手の分散和音の練習で、独立しにくい4と5の指の反復にテクニック上のポイントが置かれています。和声的には、上でみた第1番どうよう、完全和音がハ長調、イ短調、ヘ長調、ニ短調、変ロ長調・・・の順に提示されます。

以降、各種和音の連結に基づく和声とオクターヴ、アルペッジョ、トリオ、ポリフォニーなど、多種多様なピアノの技法が結びつけられ、一連の練習曲として第2部が提示されています。この種の練習曲集は、ピアノを受動的に弾くのではなく、和声の知識と身体感覚を結びつけることで主体的な創造的演奏、つまり即興や前奏の実践を促すものでした。そればかりか、ピアノ曲の作曲にもこのシステムは有用であることは明らかです。「芸術家に捧ぐ」というタイトルページに掲げられた献辞には、作曲、演奏、あるいは知性と身体性の双方を一体化させ、高度な次元に押し上げてこそ一人前の芸術家だという彼の信念が見てとれます。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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