「チェルニー30番」再考

7.練習曲étudesと訓練課題exercicesの再定義 (1839) その1

2014/06/02
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
7.練習曲étudesと訓練課題exercicesの再定義 (1839) その1
ショリュー

練習曲をとりまくめまぐるしい状況の変化を受けて、1830年代には練習曲と訓練課題が再定義され、明確に区別されるようになります。ベルギーの音楽著述家、理論家、作曲家であるF.-J. フェティスは、愛好家向けに書いた―とはいえかなり専門的な―『万人にわかる音楽』(1830初版)という音楽解説書の増補改訂版(1839)の「訓練課題exercices」項目で、練習曲と訓練課題の違いを次のように説明しています。「訓練課題exercices:声楽の練習または楽器演奏用の難しい走句を集めたもの。訓練課題は、一般的に、多かれ少なかれ旋律的な曲の形式を一切とらない点で練習曲étudesとは異なる1。」さらに同書の「練習曲」の項目では、特に声楽の練習曲は「ヴォカリーズ(母音唱法)」と呼ばれる、と書かれています。1830年代を経て、「練習曲」は器楽特有のジャンルとしての格が備わり、訓練課題とは、旋律的であるか否か、という点で概念上、決定的に区別されるようになったのです。

ここで、訓練課題と練習曲の違いを端的に示す実例を見てみましょう。以下の譜例は、1831年にパリで出版されたカルクブレンナーの《手導器の補助を借りてピアノを学ぶためのメソッド》作品108に収められているオクターヴの訓練課題と練習曲です。まずは譜例1の訓練課題をご覧下さい。

譜例1

F.カルクブレンナー:『手導器の補助を借りてピアノを学ぶためのメソッド』作品108より、オクターヴの訓練課題

最初の訓練課題は、オクターヴの連打と二度、三度までの音程を扱います。右下の説明欄にはこう書かれています。「他の走句を練習するまえに、この訓練課題を何度も練習しなければならない。それは、手首でそれらを十分確実に演奏できるようにするためである。」オクターヴを「手首で」演奏するという美学はこの当時、パリの音楽家たちに支持されていました。リストに代表される若い世代から状況は少しずつ変化し、19世紀の後半には、パリでも腕の使用が推奨されるようになります。
この訓練課題に続いて、幾つもの音階のバリエーションが提示されます。

譜例2

F. カルクブレンナー:『手導器の補助を借りてピアノを学ぶためのメソッド』作品108より、オクターヴの訓練課題


フレデリック・カルクブレンナー
(1785-1849)

ご覧のとおり、2オクターヴにわたるオクターヴの音階が一段目に提示され、二段目からは両手の下方、上方に三度が加えられます。三段目の最後は両手が対照的な動きをします。このように、訓練課題は短く簡潔で、機械的な反復練習のことを指します。フェティスの指摘するように、決して「旋律的」ではありません。このあとには、オクターヴのグリッサンドや跳躍、分散和音の訓練課題が続きます。
 それでは、次回はこの練習課題のテクニックが、実作品としての練習曲でどのように用いられたのか、カルクブレンナーのメソッドに収められた練習曲を例に見てみることにしましょう。

  1. F.-J. Fétis, La musique mise à la portée du tout le monde, Paris, Brandus et Cie, 1839, p. 333.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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