「チェルニー30番」再考

3.練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)

2014/05/07
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
3.練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)

ふつう、ある音楽ジャンルは、時を経るにつれてその内実や意味合いが変化していきます。鍵盤楽器のソナタでさえ、スカルラッティの時代から大バッハの息子C. P. E. バッハベートーヴェンリストへと進むにつれてどんどんと規模が拡大され複雑な構造を持つようになりました。演奏される場所も、社会の変化とともに、宮廷から公開の演奏会へと変わっています。練習曲も同じです。
「練習(étude)のための曲」という素朴な名称は、次第に様々な意味を含むようになります。

規範となった初期の練習曲~J. B. クラーマーの練習曲
「訓練課題と練習曲は 非常によく似ている」 (byカスティル=ブラ―ズ, 1825年)

 ここで練習曲の起源や発展について詳述することはしませんが、ヨハン=バプティスト・クラーマー(1771~1858)の二巻からなる練習曲集が、このジャンルとしては最初期の典型例がであることは押さえておきましょう。
みなさんは、「クラマー=ビューロー」による『60の練習曲』という教材をご存知でしょう。「クラマー=ビューロー」は、一人の音楽家の名前ではなく、このクラーマーの84の練習曲からハンス・フォン・ビューロー(1834~94)というF.リストの弟子が60曲を抜粋してまとめた曲集です。19世紀から現代に至るまで、この曲集はずっと受け継がれてきているわけです。

下に示すのは、パリで出版されたクラーマーの練習曲集(初版)のタイトル(フランス語原題)と初版年です。

タイトル 刊年
1 42の様々な調性による訓練課題としての練習曲
Étude pour le piano en 42 exercices dans les différents tons
1804
2 42の訓練課題形式としての一連の練習曲
Suite des études pour le piano-forté en 42 exercices
1809

まだ「エチュード(練習曲)」というジャンルが一般的ではなかった19世紀初期、表記の一貫性はありませんでした。この2冊は、いずれも42曲からなる曲集ですが、第1巻は「練習曲étude」が語尾に複数を表す「s」なしの単数形で書かれています。さらに、これは第2巻とも共通しますが、タイトルは単なる「練習曲」ではなく「42の練習課題としてのen 42 exercices」という語句を伴っています。つまり、単数形で表される「s」なしの「練習(曲)étude」は、特定の一曲を指すのではなく、42曲全体に与えられた名称で、「練習曲」というよりは「ピアノの練習」というほどの一般的な意味として捉えられます。

一方、第2巻は「一連の練習曲Suite des études」という、語尾に「s」つきの複数形による表記です。この場合、 《études》は単体の《étude》(sなしの単数形)の集合体を指すわけですから、42曲の一曲一曲が《étude》であって、「練習曲」という意味を持っていると考えられます。

以後、カルクブレンナーベルティーニショパンなど、多くの作曲家たちは、「一連の練習曲Suite des études」という意味で複数形の「練習曲études」という語をタイトルに用いるようになり、様々な表現上の要素を取り込んでいくことになります。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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