海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リーズ国際コンクール(1)いよいよ開幕!1次予選初日・2日目

2012/08/31
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全世界を熱狂させた夏季オリンピックが終了し、初秋の気配が漂うイギリス。首都ロンドンから電車で約2時間半ほど北上すると、リーズにたどりつく。

ここで、8月29日に2012年度リーズ国際ピアノコンクールが開幕した。このコンクールはファニー・ウォーターマン女史(Dame Fanny Waterman)によって1961年に創設され、3年に一度開催されている。これまでラドゥ・ルプー(1969年優勝)、マレイ・ペライア(1972年優勝)、アンドラーシュ・シフ(1975年入賞)等の名ピアニストを輩出し、その芸術性の高さが多くの若手ピアニストを魅了している。日本人では内田光子さん(1975年2位)、小川典子さん(1987年3位)、大崎結真さん(2003年3位)が上位入賞している。(写真は2012年度参加者とウォーターマン女史 photo:Vaughn Ridley SWPix)

今年の開催期間は8月29日より9月16日まで。全世界より61名の精鋭が参加、日本からは阪田知樹さん(2011年度ピティナ特級グランプリ)、須藤梨菜さん(2005年度福田靖子賞)、渡辺友理さんが出場している。参加者名・演奏順などはこちらへ。
審査は一次予選、二次予選、セミファイナル、ファイナルの4段階で、優勝者には賞金18,000ポンド(約225万円)、金メダル、レコード契約が副賞として授与される。また優勝者を含む入賞者には、英国内外でのソロリサイタル、オーケストラ共演、音楽祭出演等が予定されている。さらに今年から「オーケストラ賞(Terence Judd-Halle Orchestra Prize)」が加わった。ファイナリストの中から1名が選ばれ、マーク・エルダー指揮ハレ管弦楽団と共演する(賞金5000ポンド&最低3公演)。

また今年ミャンマーの政治家アウンサン・スー・チー女史とピアニストのラン・ランが、リーズ国際コンクールの公式アンバサダーに就任した。スー・チー女史の名前は、優勝者の金メダルに冠される。

●一次予選の模様から

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さて、一次予選が8月29日より始まった。J.S.バッハ、モーツァルト、クレメンティ、ハイドン、ベートーヴェン、ウェーバーより1曲、それ以外に1曲以上を組み合わせ、25分以上30分以下のプログラム(休憩時間も含む)が課題となっている。
もちろん誰もが高水準の実力を備えているのだが、「良く弾けている」以上の印象を残すには、丹念な読譜から導き出される楽曲解釈、多彩な音色や音質、深い呼吸、その曲に合った表現法など、一歩踏み込んだ音楽へのアプローチが望まれる。そこで今回はPerspective(パースペクティブ)、Program(プログラム)、Personality(パーソナリティ)の3点から、初日・2日目に印象に残った演奏を振り返ってみた。

1. パースペクティブ(視点・考え方)の面白さ

アレクサンダー・ウルマン(Alexander Ullman、英・21歳)はバッハのパルティータ第5番、リストのハンガリー狂詩曲第10番、超絶技巧曲第11番でユニークな個性を見せてくれた。音楽を客観的に眺め、そこに映し出される情景や物語を描きだすように、フレーズと間を絶妙に生かしながら、起伏に富んだストーリーを展開していった。他にショパンの英雄ポロネーズ。

アリスト・シャム(Ching-Toa Aristo Sham,中国・16歳)はバッハの半音階的幻想曲とフーガ、シューベルトの即興曲Op.90-3、バルトークのソナタ。バッハはフーガの各声部の旋律に生命力があり、フレーズが有機的に繋がりながら音楽が前に進んでいく。パイプオルガンのような重厚な音と繊細な表現の対比も意図されている。またシューベルトは全体像を見据えた見事な音楽の運び。必要以上に抑揚をつけず自然に旋律を歌わせ、ほぼpとppの間で起こる和声や調性の変化を音質だけで表現し、それが何とも心憎い。最後のバルトークは非常にメリハリの効いた演奏で締め括った。

キム・ドンギュ(Dongkyu Kim、韓国・26歳)はバッハの平均律第1巻BWV853で、各声部がきちんと独立しており、フーガでは一つのフレーズが次のフレーズの動機となって音楽が推進していく、とても整理された演奏だった。その理性はドビュッシーの練習曲11番では少々コントロールが行き過ぎ、ふわりと空間に音を投じてなすがままにするくらいでもいいと思われた。ストラヴィンスキーのペトルーシュカは少しテンポを抑えた演奏。まだ顕在化されていない、新しい音響の存在を探っているようでもあった。

ペンペン・ゴン(Peng Peng Gong、中国・20歳)はゆったりと深い呼吸、落ち着いたテンポ、ハーモニーに対する鋭敏な感覚、自然なフレージングがモーツァルトのアダージオK540に生かされていた。落ち着いたテンポは、全体像を見据えた余裕から生まれるもの。続くショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズでは、アンダンテ・スピアナートを一つの長いフレーズで捉え、弱音の微妙な変化のみで表情をつけていく。ポロネーズは意外にも粗いタッチになってしまったのがやや惜しい。


2. プログラム構成の妙

ショーン・チェン(Sean Chen、米・24歳)はリゲティのエチュード第2巻第13番「悪魔の階段」から始まり、バッハのフランス組曲第5番BWV816、スクリャービンのソナタ第5番。曲順から各曲の表現など全てが対比的に構成されており、そのコントラストを最大限に引き伸ばして表現する。地底から突き上げるようなリゲティでは最後の音が鳴り終わるまでじっと姿勢を崩さずに音の消滅を聞き届け、そのまますぐバッハに入り一転して無垢な表情を引き出す。ゆったりとした第3曲サラバンド、第4曲ガヴォットで可憐さの頂点に。第7曲ジーグは激しさを強調してスクリャービンへと橋渡しし、激しさと静けさを思い切り対照的に弾き分ける。度を超える一歩手前で踏みとどまっているのは、様式感を踏まえているからだろう。

知的な構築力を示したのは、エリック・ズーバー(Eric Zuber、米・27歳)はハイドンのソナタHob XVI/34とラフマニノフ前奏曲4曲抜粋というプログラム。ハイドンのユーモア精神にもシリアスな表情で臨んだが、見通しがよく効いている演奏だった。ラフマニノフはop.32-10,12, 5, op.23-2の4曲を起承転結のように見立てて配置し、個々の曲の性格を描き分けていた。特にop.32-5*は落ち着いたテンポと美しい音色で魅了。難曲はないがプログラムの曲順で、美しさがさらに強調されたと思われる。

ワイイェン・ウォン(Wai Yin Wong、香港・19歳)はハイドンのソナタHob.XVI/41、メンデルスゾーンの厳格なる変奏曲、モレルの練習曲第2番、グルダのPlay Piano Play第6番。古典からジャズ風の現代曲まで、その曲にふさわしいアプローチと表現ができる器用さをもつ。

3. パーソナリティの反映

ミカ・マクラーレン(Micah McLaurin、米・17歳)は特にバッハのパルティータ第2番(1,4,6番)とワグナー=リスト『イゾルデの死』で優れた演奏を聴かせてくれた。内側から湧き出る音楽に、全体を見据えた客観性、安定した左手と自在な右手から繰り出される躍動感ある表現、速めのテンポの中にも整理された和声の捉え方、様々な感情を柔らかいタッチで表現できる繊細さ、決して没入しすぎずに音楽を描き出す姿勢などは17歳とは思えない。ラヴェル『ラ・ヴァルス』はもう少し艶やかさや弾むようなリズム感がほしかったが、良い才能を示した。

フェイフェイ・トン(Fei-fei Dong、中国・22歳)はクレメンティのソナタ第5番、ショパンのロンド、リーバーマンのガーゴイル。自己のインスピレーションもあると思うがそれに任せすぎず、楽譜を丁寧に読み込んだ上で、アーティキュレーションの扱いにおいても一つ一つ表情の違いを出していた。先の2曲は様式感を踏まえて、最後のリーバーマンもルールを踏まえた上で思い切り爆発して、と表情の違いも印象的。

ジェイソン・ギルハム(Jayson Gillham、オーストラリア・26歳)も呼吸が安定して落ち着いている。はJ.S.バッハのトッカータ、リストの超絶技巧練習曲第5番「鬼火」、スペイン狂詩曲。全体的に優雅で節度のあるアプローチであり、音楽の運び方が丁寧。各フレーズの性格を丹念に表現しており、様々な表情を盛り込んでいた。

スタニスラフ・クリステンコ(Stanislav Shristenko、ウクライナ・28歳)はスカルラッティのソナタK87とK547、ハイドンのソナタHob.XVI/20、リストのハンガリー狂詩曲第2番で、いずれも内省的かつ叙情性溢れるアプローチを見せた。ハイドンは狭いディナーミクレンジの中で、音質やテクスチュアを変えて表情をつけていく。ともすると単調になりがちだが、ダイナミズムとは正反対の極致もまた、追求していくと奥深い世界が見えてきそうだ。

なお、一次予選は毎日10時、14時半、19時に開演する(日本時間の18時、22時半、翌3時)。参加者・演奏順はこちらへ!

※訂正とお詫び:正しくはラフマニノフ前奏曲op.32-5です。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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