海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

感性が変わる時(3) 思想の衝突‐フランス革命に翻弄された詩人を描いた歌劇

2011/10/12
時代を見つめる眼
(3)思想の衝突 ~ブレゲンツ芸術祭・フランス革命に翻弄された詩人『アンドレア・シェニエ』

湖と山に囲まれた街ブレゲンツ

新しい音や響きが生まれる時、新しい思想が現れる時、人々はどのようにそれを受け止めるのでしょうか。後世の歴史家は「○○に革命を起こした人物」と言いますが、当時それはどのくらいの衝撃と好奇心を伴って受けとめられたのでしょうか。価値観の衝突から生まれるエネルギーは途方もなく大きいものですが、そこには創造と再生の力も内包されています。
今年、オーストリアのブレゲンツ音楽祭では、歌劇『アンドレア・シェニエ』が上演されました。フランス革命に翻弄された詩人を描いたこの歌劇は、演出もリアルで過激なものでした。ここで象徴的に描かれる価値観の衝突とは、どんなものでしょうか?

美しい湖に浮かび上がる、フランス革命戦士のトルソー!

高さ25mほどの巨大なトルソー

美しい夕焼けに包まれるボーデン湖。そこに突如、ぬっと現れる巨大な上半身のトルソー。「・・・・これは!?」
実はこれはブレゲンツ音楽祭が誇る、オペラの舞台なのである。今年の演目は、フランス革命に運命を翻弄された詩人を描いたオペラ『アンドレア・シェニエ』。作曲したウンベルト・ジョルダーノ(1867年生)はヴェリズモ・オペラを代表する一人で、同作品初演は1896年。フランス革命は1世紀前の出来事とはいえ、普仏戦争とパリ市民の蜂起(1870-1871年)を経て、近代社会への過渡期を迎えていた当時の「空気」が、彼にこのテーマを身近に感じさせたのかもしれない。

理想と愛を説く詩人シェニエは、貴族の娘マッダレーナと恋に落ちるが、フランス革命に続く恐怖政治の最中で、運命が次第に暗転し最期は処刑される。その末期を予感させるように、死神の登場から始まった。そして、王侯貴族と民衆の対立が激しく生々しく描き出される。貴族と民衆、贅沢と貧困、階級思想と平等思想、理想と現実・・・フランス革命が全ての価値観を一瞬にして転覆したように、ステージ演出もその二面性をはっきりと打ち出していた。


貴族の邸宅になだれ込む革命軍

第1幕では革命が迫っていることさえ気づかぬ貴族の無知さを茶化すように、彼らの衣装はロココ調で可愛らしく、舞踏は様式だけの無意味な動きが繰り返される。そこに突然革命軍が押し寄せ、暴力略奪の末に貴族は幽閉される。その描き方はかなりリアルだ。また第3幕・法廷裁判の場面ではこのトルソーの首がぱっくり割れ(観客どよめく)、開かれた「頭」の中で革命派が焚書を行い、王侯貴族や思想家等を裁判にかける。そしてシェニエは、危険な思想家として断罪される。まさに革命とは思想の弾圧だということを、視覚的に訴える演出であった。


愛と自由を説くアンドレア・シェニエ

断頭台が二人を待つ

シェニエ役(テノール)のヘクター・サンドヴァル(Hector Sandoval)は優男風の誠実さのある声が心地よい。マッダレーナ役のノルマ・ファンティーニ(Norma Fantini)はシェニエへの愛に目覚め、自らの運命を悟るや声に一段と艶と存在感が増してくる。第4幕では恋人と共に断頭台に上ることを決意するが、最後のシェニエとのデュオには潔さと決意が漲り、勝利宣言のように高らかに歌い上げた。革命によって全てを奪われた彼女こそが、皮肉にもフランス革命が目指していた、自ら運命を選択するという精神の自由を勝ち得た存在となったのだ。一方で彼女の真意を知り、元主人であるシェニエを告発した後に自らの過ちに気づいたバリトンのジェラール役スコット・ヘンドリックス(Scott Hendricks)は、その自己憐憫と哀愁を帯びた表現でストーリー展開に厚みを与えていた。オーケストラはウィーン交響楽団(wiener symphoniker)。ジェラールの独白と共に奏でられるチェロも秀逸だった。他、プラハフィルハーモニー合唱団(prager philharmonischer chor)、ブレゲンツ・フェスティバル合唱団(bregenzer festspielchor)共演。

戦後65年間、ブレゲンツの街に人を集めてきた湖上ステージ

ここで少し音楽祭の歴史をたどってみたい。ブレゲンツ音楽祭が始まったのは、終戦翌年の1946年であった。当時この街にはホールがなかったため「観光資源の一つである湖を生かしてはどうだろうか」という提案で、湖にステージを設営することを決めたそうだ(6500席)。それが大ヒットして毎年オーストリア周辺諸国から20~30万人を動員し、現在に至るのである。湖上ステージ以外にも、裏手にある大ホールでは無名のオペラを上演したり、現代作曲家をフィーチャーするワークショップを行ったり、若手アーティストによる公演なども行われる。なかなか果敢なプログラムなのだ。


21時。夕日が沈む頃にオペラが始まる

今年のメインステージである"トルソー"は、19世紀の画家ジャック・ルイ・ダヴィッドが実在の革命家を描いた『マラーの死』に着想を得ている。絶妙なライティングによって表情が七変化し、不気味さ満点である。湖も効果的に生かされ、役者が高所から水中へダイビングするなど、ダイナミックな曲芸シーンも登場する。二度出てくるうち、一度目は貴族の享楽を、二度目は貴族の没落を象徴し、栄華と没落が背中合わせであることを表わしていた。

なお舞台装置は24歳の英国人技師が制作担当している。軽く丈夫で経済的負担が少ないよう、内側を鋼鉄で、外側を木で製作したそうだ。また水や風雪にも長期間耐えられ、2年にわたるシーズンを終えると、再利用分以外は無害で廃棄できる素材を使用している。大掛かりな装置のため、エコノミカルかつエコロジカルな考え方が貫かれているようだ。

なぜ今、アンドレア・シェニエなのか?

ところで、なぜ今年『アンドレア・シェニエ』が選ばれたのだろうか。フランス革命の底流に流れているのは、民衆が真実に目を向け、声をあげ、一個人として自由に生きる権利を勝ち取っていくというストーリーである。これは数年前に英国演出家デヴィッド・パウントニーが決定した企画だが、まるで今日を予見していたかのようだ。特にこの1年は国としてのアイデンティティを根底から問う場面が多かったように思う。今まで沈黙していたアフリカ諸国や北欧などでも激震が走った。これも偶然なのか、中国の前衛芸術家アイ・ウェイウェイの作品展がブレゲンツ美術館で行われていた。彼はその思想が過激であると当局から監視されている存在だが、ヨーロッパでは評価が高い。ブレゲンツ市内の建物には「彼に自由を」とのロゴまで掲げられていた。
対立する思想の間で揺れ動くのは、今も昔も変わらないのである。
(取材・文◎菅野恵理子)

第1回:変化の予兆―今はリスト晩年期と似ている?
第2回:同志の発見‐リスト博物館を訪ねて
第3回:ブレゲンツ音楽祭(同時代人ジョルダーノ作曲・フランス革命を題材にした「アンドレ・シェニエ」)
第4回:ルツェルン音楽祭(ブラームス、ワグナー、マーラーで開幕、東日本大震災プロジェクト等)

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菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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