ロンドンレポート

ウィグモアホールの教育プログラム 第2回 幼児のための室内楽

2009/12/18

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ウィグモアホール、幼児のための室内楽「チェンバー・トッツ」 chambertots

ウィグモアホールの教育プログラムで最もポピュラーなものの1つが、2歳から5歳の幼児を対象にした音楽プログラム「チェンバー・トッツ」である。年間15日ある全てがすぐに完売するという人気企画の様子をのぞいてみよう。

イベント情報
名称:チェンバー・トッツ(Chamber Tots)
場所:Wigmore Hall - Main Hall, Bechstein Room
時間:10:00-11:00(2-3歳対象)/11:30-12:30(3-5歳対象)
料金:子ども1人あたり6ポンド(約900円 ※1ポンド=150円)

幼児対象の音楽企画を
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ウィグモア・ホールへ入る親子

1998年にスタートした「チェンバー・トッツ(Chamber Tots=幼児のための室内楽)」は、11年目を迎えた今では最も人気のあるシリーズの1つだ。プロの音楽家が幼児と関わり、その間の溝を埋めるため、そして50歳以上が大半というホールの聴衆を若い世代にも拡大し、関係を作るために始められた。対象とする2歳から5歳という幼児期に音楽活動がもたらす影響は大きく、感受性、集中力、他者への敬意、自信など多くの資質を養うことが研究によっても示されている。この年齢層の子どもたちに、生の音楽を聴き、楽器に触れ、創造的な音楽アクティビティに参加する機会を与えることを目的としている。

「生の音楽に触れるといっても、幼児に通常のコンサートは堅苦しすぎるし、1時間半もじっと座って聴いているのは無理なので、短いお試し版としてこの年齢層の子たちが聴けるものを、もっとインタラクティブな形も加えて工夫して提供しています。」と説明してくれるのは、ラーニング部門のプロデューサー、ジュリア・ロダリックさん。

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入口にはベビーカーがいっぱい

この日の「チェンバー・トッツ」は、2~3歳向けと3~5歳向けの2回に分けて1時間ずつ行われた。開始近くなると、荘厳なウィグモアホールの建物に、子どもを抱いたお父さんやお母さんが次々とやってきて、ホールの入口は見るうちにベビーカーでいっぱいになった。入口では今日のプログラムと、座席を高くするクッションを配っている。各回の定員は約35名。申し込み数はさらに多く、もちろんホールの収容力はまだあるのだが、インタラクティブな効果を求めるには、ある程度人数を絞る必要がある。

まずはホールで15分のコンサート

前半はホールでのミニコンサート。「こんにちは!」と現れたのは、2人の歌手と1人のピアニスト。「最初はデュエットで歌います。この歌では、私たちの声である楽器の音をまねします。それはトランペットとオーボエです。どんな音が出てくるか、聴いてみてね。」と、パーセルの『サウンド・ザ・トランペット』を歌う。喋っていたのと違う声がすぐ頭上の舞台から響いてくるので、子どもたちはぽかんとして歌手たちを見つめている。

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子ども用座席クッション

次はピアノ。「口をふさいでもぞもぞ言うのが、手を取るとはっきりと声が聞こえるでしょう?ピアノもこの大きなふたを開けると、大きくはっきりと聞こえるようになるのよ。」と、ドビュッシーの『水の反映』を演奏。静かな所と盛り上がる所のコントラストが激しい。続いて短い歌のソロ。「赤ちゃんが寝たくないとぐずった時、どうする?そう、ララバイを歌ってあげます...」と、ゆっくりと穏やかに子守唄を歌い出す。歌手のメリットを生かし、子どもたちの目を見て、身体、表情全体で雰囲気を作って注意を惹きつける。

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ホールの中へ

4曲目は『キング・デービッド』。ほんの少しお話をして歌を披露していると、ゆったりした曲の間に小さな子どもはそろそろ我慢ができなくなり、お母さんに話しかけたり、歩きだしたり。そろそろ時間のようだ。「ではみなさん、今度は一緒に歌ったり踊ったりしましょう。下の階に5分後に集合!」と声をかけて前半を終了。お話を含め約15分の短いコンサートだが、幼児には十分の長さだ。

コンサートの曲目を使ってワークショップ
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ウィグモアホールにはメインホールの他に地階の多目的室「ベヒシュタイン・ルーム」がある。ここでトークやワークショップなど多くの教育イベントが実施される。「チェンバー・トッツ」は、前半15分程のミニコンサートと後半15~20分程のワークショップの2本立てで構成される。このスタイルは開始以来基本的に変わらない。歌ったり動いたりインタラクティブに参加できるものを、との基本姿勢は共通だが、曲目やアクティビティの詳細なプログラミングはアーティストに任されている。

「チェンバー・トッツ」を率いるリーダーは「ギルドホール・コネクト」でも登場したナターシャ。「チェンバー・トッツ」はギルドホール音楽院と提携し、ワークショップ・リーダーやアーティストとして出演する学生の提供を受けている。学生にはこれが実地活動の単位となる。ここではナターシャの指導のもと学生たちは3回出演する。1回目はナターシャが中心となって実施し、2回目はより学生のアイディアを取り入れ、3回目は学生が中心、と徐々にリーダーシップを学生へ移行させていく。

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(左から)ジュリア、ニナ、ナターシャ、ディアナ

今日はこのグループの3回目。ナターシャは傍で様子を見守る。さて、部屋には先ほどの子どもたちが床に円を描いて座っている。「ディアナはさっき何を弾いていたか覚えてる?」すると子どもたちは「ピアノ!」と答える。「この部屋にピアノある?そう、これ、でもさっきのと何か違うね?」と尋ねると、「さっきのは大きかった!」「これは四角い」と色々な声が飛ぶ。

ディアナはピアノで色々な音を出してみせる。「私はこれで、とっても高い音が出せるし...とっても低い音も出せる。やさしく弾くことも、悪く怖い感じに弾くことも、指1本ずつでメロディを奏でたり、指をたくさん使って一度にたくさん音を出すこともできます。声でそれができるかしら?」と尋ねると、歌手のニナが「それは歌手にはできないわね。それはピアノの代わりに何を使ってるから?」と聞くと、「口!」「そう、みんな口あるわよね、だから歌は誰でも歌えるのよ。大きな口を開けて見せて!息を大きく吸って声を出してみましょう。せーの...」「あーー!」そして、短く鋭い声や長い声、高い声や低い声、笑い声や熊の真似などをしてみる。

「さっきの歌では、こうやって楽器の音を真似していたのよ。トランペットってどうやって演奏するかわかる?」と絵を見せながら聞くと何人かは顔の前で手を動かす。3人がトランペットを持つジェスチャーをして「ブルブルブルー!」とやると子どもたちも真似して「ブルブルブルー!」。「歌の中ではこんな風に出てきました。」と『サウンド・ザ・トランペット』の一部をちょっと大げさにやってみる。

『水の反映』では、ピアニストが弾く傍らで皆は立ち上がって思い思いの水の様子を身体で表現してみる。海のゆったりとした波をイメージしたり、魚が泳いで来たり、「嵐が来た!」と身体を大きく動かしたり。『キング・デービット』では、とても悲しい気持ちの王様が、慰めにハープを聴いたり庭で鳥の鳴き声を聞いたりするお話を語って聞かせる。

少しお話を始めると、じっとしていられなくなった子どもたちが1人1人とぐずりだす。その様子を敏感に察知したナターシャは「じゃあ、みんな立って、お話を一緒にやってみようか!?」と助け舟を出す。ピアノと歌の音楽と語りにあわせて、ナターシャと一緒に「おぉ、悲しい...」と渋い顔で首をふったり、ハープを弾く真似をしたり、夜の森をさまよい歩いたり、鳥を真似たり。動き出すと、子どもたちは「次は何をするんだろう?」とナターシャや音楽の変わる様子に集中し始める。最後は『きらきら星』など子守唄を一緒に歌ったり、鈴、太鼓、マラカス、ギロなど好きな楽器を持って、ピアノにあわせて小さく、大きく、やさしく、短く、はねて、と一緒に音楽を演奏して元気に終わった。

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チェンバー・トッツ当日のプログラム
保育園へ出張「チェンバー・トッツ」

「チェンバー・トッツ」の圧倒的な支持の中で、ホールに足を運ぶには遠い地域や、保育園からの需要も増えて来た。そこで2000年には「チェンバー・トッツ・イン・コミュニティ」という、地域へ出かけていくプロジェクトも始まった。開始以来9年間で、ロンドンの11の市区、のべ51の幼児教育機関において実施され、1000人以上の幼児が参加した。加えて2009年は、ウェストミンスター区5つ、ハックニー区4つの保育園や児童センターで実施されている。これらの施設は公募ではなく、ウェストミンスター区議会、ハックニー区音楽教育機関などのパートナーと注意深く選んでいる。

このアウトリーチ・プロジェクトでは、6か月の間に8回のワークショップを行う。今年は4人の20年ほどの経験を持つワークショップ・リーダーと、3組のアンサンブルが9つの施設を回っている。アーティストたちは日中に2時間ほど保育園などを訪れる。最初の45分間は全員で一緒にアクティビティ。ここでリーダーを中心に様々なアクティビティを通して、歌ったり、打楽器で遊んだり、生演奏を聴いたり、音楽つきのお話に参加したり、動きながら音の高低、大小、遅速を学んだりする。

後半はいつもの保育園の設定に戻し、その中で子どもの要求にあわせて、子どもが中心になって演奏をしたり、色々な楽器を試したり、楽器を作ったり、外で遊びたい子は遊んだり、と自由な時間にし、アーティストはそこにいて子どもたちの活動をサポートする。半年間の最後は、ウィグモアホールのステージで子どもたちが歌や演奏を披露する。

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保育園のためのリソース・パック

ジュリアによると、単発のホールイベントと異なり、子どもたちの属する保育園で半年に亘り密な関係を築くため、子どもたちの成長も確実だと言う。それに加え、最初・中間・最後の3回、保育園スタッフに対するトレーニングも行っている。多くの保育園では効果的な音楽活動のための十分なスキル、素材、自信がないために音楽教育が進まないことが多い。そのため、半年後には保育園スタッフが自信をもって自分たちで運営できるよう、スタッフ向けのトレーニングを実施し、ワークショップでもスタッフの積極的な参加を促し、日常に近い状態で実施し、保育園の活動へ取り入れられる音楽アクティビティの例や効果を記したリソースパックを渡したりしている。

この「チェンバー・トッツ・イン・コミュニティ」は1施設に注ぐ力は非常に大きいが、これにより幼児期の効果的な音楽活動のアイディアやスキルが幼児教育に関わる人たちに広まれば、恒常的に享受できる子どもたちの範囲も広がり、結果的に非常に大きな変化を生むことになる。またホールでの「チェンバー・トッツ」は、幼少の間は遠のきがちなホールに、子どもがどのくらい音楽に興味があり何ができるのかまだ分からないうちにも、気軽に親子で足を運んで試せる貴重な機会であり、その後の親子の音楽への関わり方へ影響を与えるきっかけになり得る。子どもと音楽の長期的な関係を作り、根づかせ、広めるためにはこうした応用性、継続性というものも大切なのだ。(続く)

(取材・執筆 二子千草)


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