19世紀ピアニスト列伝

ヨハン・バプティスト・クラーマー 第3回:作曲家としての評価

2014/05/13

J.B.クラーマー(1835年)
J.B.クラーマー(1835年)
作曲家としての評価

クラーマーの作品は、今日では「クラマー・ビューロー」の名前で知られるハンス・フォン・ビューロー編の60の練習曲で残っているに過ぎません。19世紀後半に彼の作品が次第に演奏されなくなったのは、芸術の進歩を信じるマルモンテルが指摘するように、1850年を過ぎても依然、古典的様式を捨てなかったからでした。しかし、それは彼が「鈍感」だったからではありません。次回に紹介することになりますが、モーツァルトを崇拝し、大音量を嫌ったクラーマーの繊細な芸術的感性ゆえなのでしょう。

さらに付け加えよう。クラーマーの作品は、誠に実際的な利点と異論の余地なき音楽的価値があるにもかかわらず、クレメンティ、デュセックの作品と比べれば、はるかに時代遅れである。慣用的な言い方をするなら、これらの作品は、興味を掻き立てずにはおかないものの、それらを無視させてしまうような「凡庸」な雰囲気を持っている。とはいえ、堅苦しい(スコラスティック)教育の現在のレパートリーに残っている作品から、次のものを挙げよう。ピアノとオーケストラのための7つの協奏曲。これらの素晴らしい出来栄えの作品には、高貴な様式、上品な和声、輝かしく、よく手に馴染むように書かれた走句の、まことに多様な構成を認めないわけにはいかない。3つの4手用デュオ(作品24,34,50)1は、人々に知られてしかるべき作品だ。ノクターン(作品32,54)2とソナタ(作品8,49,58)3についても同じことが言える。クラーマーが105曲4のソナタを書いたことは既に述べたが、両手の一貫した協奏的な面白味があるおかげで、読譜の課題としてこれ以上優れたものは思い当たらない。さらに、ピアノと弦楽器のための五重奏曲と四重奏曲一曲ずつ(作品61と28)5、3つの三重奏曲6を挙げておこう。

クラーマーは、クレメンティと同様、その見事な練習曲、とりわけ最初の2冊の練習曲集7、その続編を成す16の練習曲8、さらに《甘美にして有用なもの》9と題されたド・モンジェルー婦人10に捧げられたカプリースを書いたことで、音楽芸術の真の記念碑を打ち立てようとした。[各曲が] 2頁、3頁以上にわたるこれらの感嘆すべき小品において、音楽的なフレーズは簡潔かつ正確で、余計な装飾は全くなく、小さな枠組みの中に凝縮されており、純粋でしばしば創意に富み、豊かな和声を伴っている。それは指の独立と均等性を獲得するために極めて有益なメカニスムの定型、そして真の才能を獲得せんとするピアニストが決して無視してはならない趣味と様式の模範となるものだ。

これらの練習曲集が途方もない人気を博しているのは、長期間にわたる[練習曲集の]成功が芸術家たち―数々の有益な着想を表現するために調和のとれた形式を見いだせる芸術家たち―を誇らしげに報い続けているからにほかならない。大変引き締まった線、特別な面白味をもつ各種の練習曲の扱いには、稀に見る足取りの自由さと極めて均整のとれた展開を妨げない簡潔さがある。両手は、常に音楽の語り口に対して均等に関わり合い、主要なイデーには巧みに転調され、メカニスム[演奏技巧]の難所にやたいへん独特な優美さを纏って提示される旋律的なフレーズの節回しに対して生徒の注意を向けさせるために何度も現れる。

  1. 作品24のタイトルは現在未確認。作品34、58は、いずれもピアノの為のソナタであり、ピアノ・デュオとしての出版は確認できない。
  2. 《ピアノ、ヴァイオリン、チェロの為のノットゥルノ》作品32、《ピアノの為のノットゥルノ》作品54。
  3. 作品8 ヘ長調(1792-1793)作品49 変ホ長調(1811)、作品58 変ロ長調(1817)。
  4. 実際には少なくとも118曲のソナタを出版している。作品番号つきのソナタの中には、作品番号なしで出版されたより古いソナタを再出版したものもあるので、118は延べの曲数である。
  5. 実際には、ピアノ五重奏曲は作品60(1817以前)と作品69(1823)。いずれもピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスのための作品。ピアノ四重奏曲は作品28(1803)の他に、作品35がある、後者はピアノ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスのために書かれている。
  6. この3つの三重奏曲がどの作品を指すのかは不明。クラーマーは、多くのピアノ・ソナタをヴァイオリンとチェロの伴奏つきで書いている。
  7. 《42の様々な調性による訓練課題としての練習曲》Étude pour le piano en 42 exercices dans les différents tons(1804)、《42の訓練課題形式としての一連の練習曲》Suite des études pour le piano-forté en 42 exercices(1809)。日本で知られる「クラマー=ビューロー」の60の練習曲はこの曲集からハンス・フォン・ビューローが後年60曲を選んで編集した曲集。
  8. 「16の練習曲」と題された練習曲集は作品81と95の2作がある。上記の続編として書かれたのは前者(1835)で、ドレスデンの宮廷オルガニストで作曲家のアウグスト・アレクサンダー・クレンゲルに献呈された野心的な練習曲集。
  9. 「甘美にして有用なもの」というフレーズはホラティウスの『詩学』から引用された一節で、詩は味わい深く教育的なものであるべきだとの考えを示している。クラーマーにとっては、教育的な作品のあるべき姿を言い表した金言であったであろう。
  10. モンジェルーHélène de Montgerout (1764-1836)はフランスのピアニスト兼作曲家で、パリ音楽院創設期のピアノ科教授の一人。後に教授となるL.-B. プラデールやオルガニストとしても名高いA.P.F. ボエリーら優れた男性ピアニスト兼作曲家を教えた。女性が職業音楽家として自立するのが難しい時代にあって即興の名手として名高く、作曲家としても《3つのソナタ》作品5など、数点の作品を出版した。1820年ころに出版した 《完全ピアノ教程》には70の練習曲が含まれている。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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