3.特集記事

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鍵盤づくし チラシ

8月31日第一生命ホールでピティナ・ピアノフェスティバルvol.62「武久源造の鍵盤づくし -君は音楽史を生かせるか- 8台の楽器で駆け抜ける鍵盤音楽500年」が行われる。それに先立って、講師をおつとめ頂く武久源造先生とフェスティバル委員長の播本枝未子先生にお話を伺った。
都内の武久先生の練習スタジオにお邪魔すると、ワンルームタイプの部屋の壁際はほとんど楽器で埋め尽くされ、それ以外にも部屋の真ん中に大きな楽器がデンと張り出している。その楽器を実際に演奏しながら、武久先生は次々と興味深いお話を聞かせて下さった。



歴史への興味を現代のエネルギーへ 武久源造先生 武久源造先生インタビュー

◎ここにある楽器は当日お使いになるものですか?

★大半はそうです。しかし、まだここにはありませんが、現在久保田氏が鋭意製作中の楽器、ツンペのスクエアピアノが面白いですね。これはJ.S.バッハの末息子ヨハン・クリスティアン・バッハが使った可能性が高い。彼の最初のソナタもこの楽器を使って演奏されたのでは、と思われますし、あと声楽の伴奏などにも愛用していたようですね。そのソナタの演奏を当時9歳のモーツァルトも聴いたはずです。でもモーツァルトが実際にピアノに打ち込むようになるのはもう少し後のことになります。そして、彼が自分の楽器としてピアノを手に入れるのは、26歳の1782年を過ぎてからのことで、そのピアノが、ここにもある、そして、当日も使用する「ヴァルター・モデル」です。


◎ジルバーマンのピアノ、というのもチラシに掲載されています

★はい、ジルバーマン(ゴッドフリート・ジルバーマン 1683-1753)のピアノ、というのは現在のピアノの実際の原型と言っても良いでしょうね。もちろんピアノの機構を発明したのは皆さんご存知のようにイタリアのクリストフォリ(バルトロメオ・クリストフォリ 1655-1731)です。楽器を見てみると分かりますが、卓抜なアイディアに加え、何度も試行錯誤を繰り返したであろう努力の跡、全体と細部に宿る「美術品としての」品格!...まさに彼は天才です。
これに対して、ジルバーマンのピアノは機構上は何らクリストフォリと違う所はありません。ほとんどコピーしたのではないか、と思われるほど同じです。しか しクリストフォリがピアノをいわば、強弱の出るチェンバロと発想してそのアイディアを形にしたのに比べて、どうもジルバーマンはそれ以上のイメージ、未来 の楽器、ピアノというイメージを持っていたのではないかな、と私は思います。極端に言うと、ショパンなどの一部を弾いてみても、それほど違和感のないサウンドを持っているのです。だから機構としては同じでもクリストフォリのピアノとジルバーマンのピアノでは、響きの可能性、方向性が大きく異なるのです。

また彼らを取り巻く環境にも違いがありました。クリストフォリは確かにすごい天才だったのですが、彼の弟子の系譜というものが、あまり繁栄しなかったのです。また不幸にして大作曲家の創作現場になかなか直結しなかった。彼のピアノを最も喜んだかも知れないスカルラッティは、残念ながら早くにスペイン・ポルトガルに移住してしまって、緊密な関係があったかどうか疑わしい。
それに比べるとジルバーマンは多くの弟子に恵まれ、それらが後に大挙イギリスに渡って「ピアノ・ブーム」を起こします。さっき言ったツンペもこの系統に属するわけです。しかし、我々にとってもっと面白いのは、ジルバーマンとJ.S.バッハとの緊密な交友関係です。つまり、J.S.バッハの円熟期の作品は、このピアノで弾かれた可能性が高いわけです。また、バッハはご存知のように子沢山でしたが、その中で才能とまた営業力も持ち合わせた2人の息子、カール・フィリップ・エマヌエルヨハン・クリスティアンによって、その系譜はつながっていきました。また、ゴットフリート・ジルバーマンの兄、アンドレアスも楽器製作者でその弟子から、有名なシュタイン(ウィーン・ピアノの原型を創った人)が出ています。つまりここから新しい波が、国際的に広がっていったわけです。
という訳で本人そのものの資質だけでなく、周りの環境というものが、いわばその後の音楽史に大きく影響した、と言えるかもしれませんね。


◎今回8台もの楽器を舞台に置いて頂きますね、いらしたお客さんにどんなことを感じていただきたいですか。

★ピアノの出現の前にはチェンバロの時代が実は300年以上も続いていたのですが、それから現代のピアノまで、と考えるとすごい変化をしていると思いませんか?何もかも手作業だった縄文時代から、全てがオートメイションのロケット時代への変化といってもいいくらいです。幾人かの作曲家の場合、その創作のプロセスの中で鍵盤楽器はどんどん進化している。ベートーヴェンのソナタの作られ方とピアノの発達史が連動していたというのはご案内の通りです。つまり楽器が発達すればそれにインスピレーションを得て作曲家が新しい作品を書く、また作曲家がああだ、こうだ、と要望を出す事によって、楽器製作者が奮起する、その繰り返しです。そこが当時すでに完成された楽器であったヴァイオリンとは違うところです。

だから現代のピアノを見ても、それだけで当時の音を想像する、というのはちょっと難しい。もちろん昔の楽器は残っていますが、いろんな理由で、当時ののままの音が出せるものが少ない。そうなると楽譜や文献から類推・論証するしか無いわけです。ところが楽譜にしても、ベートーヴェン以前は、出版される事を視野に入れて作曲されている訳ではありませんので、ちょっとした写譜ミスかもしれないものも含めて、何種類も楽譜が存在する事はざらにあります。そうなると、我々が演奏する上で、解釈に確たる自信を持つことはなかなか大変ですね。
ところが、ありがたいことに、これだけハイテクが発達している現代の日本において、実際に当時の楽器を手作業で、つまり、ローテクで、作ってしまおう、という人が少しずつ出て来ているんですね。今回のジルバーマンだって、これを他で見ることは困難です。もちろん海外に存在はするけれどもおいそれと触れられるものではない。我々の友人である若い製作家が粋狂にも作成してくれた(売れる見込みも無いのに-笑)からこそ、実際の音を出してみる事ができる。その楽器を眼前に見て、また音を聴いて頂くと、皆さんの心象が膨らみ、きっと楽譜や文献だけでは腑に落ちなかった何事かが、ストン、と納得されると思います。昔の音を立派に再現してああ、良かったね、素晴らしいね、ではなく、その出会いから現代のピアノすら変えていってしまう強靭なエネルギーが生まれてくる、という気がするんです。前から思っていることですが、ピアノというのは今なお現在進行形の楽器なのです。

─ ありがとうございました。




播本三恵子先生

─ 播本先生がそもそもこの企画をやりたい、、と思われたきっかけ、今回の企画への抱負をお聞かせ下さい。

武久先生の講座は今までに何回か聞いていますし、色々な楽器が置いてある工房のような武久先生の音楽室にも伺っていますので、これはいつかは多くの方々に聴いて見て頂きたいと前々から考えてはいました。チェンバロ制作者の久保田さんの倉庫のように広い工房を去年の真冬に見せて頂き、その後で武久先生を交えて楽しくお話をして行く内に来年実行しようと話が盛り上がったのです。何しろ久保田さんの工房には制作途上の興味深い楽器がごろごろしていて、一日中いても飽きない。その時は真冬でしたので凍えて来てほうほうの体で退散しましたが。。お話していても工房を見ても楽しい、しかしこれを舞台の上で再現するとなるとどうしたら良いか。考えた末にホールの上に乗せられるだけ乗せようということになったのです。それで鍵盤づくしなんて変なタイトルを付けました。これだけ一度に楽器を運搬し調律を午前中で済ませるにはかなり無理があるようでこの企画は赤字覚悟であるだけでなく準備の手間など考えると二度目は無いという滅茶苦茶な企画です。チェンバロからフォルテピアノに移行して行く時代が見えるように体験して頂ければと願っています。武久先生と楽器制作の久保田さんは最高のコンビで元は絵描き志望だった久保田さんが、チェンバロにのめり込んで行きチェンバロ制作者になり、その久保田さんのもとで修業したお弟子さん達も競って興味深い楽器を制作しておられ 今回の企画はその皆さんのご協力があって成立します。この方々と接していると昔の偉大な作曲家達と楽器制作家達がどのように関わって楽器を次々に改良して行ったかその姿を彷彿とさせられる気が致します。あぁこれが原点だったのだなと。
武久先生は鍵盤楽器は何でも弾くという超人です。ピアニストが知らない奏法の色々チェンバロ曲をピアノで弾く上での肝所など、有意義なサジェスションをご教示頂きます。この類いのお話はとかく四角四面になりがちですが武久先生の軽妙な語り口ではお勉強していることなど忘れて古い音楽もこんなに生き生きしていて楽しいものなのだということに気づかされることでしょう。無謀なといわれる一度だけのこの企画に多くの方々がご来場下さり武久久保田ワールドを堪能して頂けるようフェスティバル委員一同真夏の暑さに負けず準備して参ります。

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