リサーチ・アソシエイト

音楽と思考の意外な結びつき─『芸術体験の転移効果』紹介/杉山昂平さん

2016/03/03
音楽と思考の意外な結びつき─『芸術体験の転移効果』紹介

杉山昂平(東京大学大学院)

はじめに

音楽活動に取り組むと、子どもたちにはどんな変化が起きるでしょうか?ふつう考えられるのは、音楽の領域知識が育つことです。ピアノの練習や本番を経験した子は、演奏技術を身につけたり、楽曲に対する理解を深めていったりします。一方、近年の音楽教育学や音楽心理学では、音楽活動の「転移効果」に着目した研究が増えてきました。転移効果とは、「芸術体験を通して獲得される能力が芸術以外の領域へと『移行』すること」です。転移効果に関する研究は、子どもの発達において音楽がもつ意義を考えるうえで、新しい視野を広げてくれることでしょう。ここでは、C.リッテルマイヤー『芸術体験の転移効果』(2015年, 東信堂)をもとに、音楽活動の転移効果に関する研究成果を紹介します。

音楽活動の「転移効果」とは?

音楽活動の転移効果とは、音楽活動を経験した結果、音楽をしていない状況でも学習者に何らかの変化が起きること、と言えます。例えば、学校で音楽の授業を受けた結果、子どもたちが、一見すると音楽とは関係ない能力を身につけることが、転移効果に当たります。では、いったいどのような能力が、音楽活動の転移効果として獲得されるのでしょうか。
『芸術体験の転移効果』では、次のような能力が挙げられています。1つ目は、言語能力です。これは、文章を理解する力や、会話で相手の感情を聞き取る力を指します。2つ目は、空間認知能力です。これは物体の位置関係を把握する能力です。そして、3つ目が数学基礎力です。計算や幾何学図形を扱う力が含まれます。転移効果の研究では、音楽教育を重点的に受けた子どもたちは、そうでない子どもたちに比べて、これらの能力が優れているという結果が得られています。
実際に、研究ではどのようにして転移効果が確認されているのか、例を見てみましょう。トンプソンらの研究(Thompson et al. 2004)では、6歳の子どもたちが、キーボード、ボーカル、演技レッスンを週に1回、1年間受けるグループと、何もレッスンを受けないグループに振り分けられ、レッスンを受け終わったのちに、人の発話に込められた感情を捉える能力に違いが生じるか、テストを受けました。その結果を示したのが以下の図です。

グラフ

この図は、子どもたちが、発話における「恐れと怒り」の感情をどれだけ正しく判別できたのかを示しています。図から見てとれるように、キーボードのレッスンを受けた子どもたちは、レッスンを受けなかった子どもたちよりも、感情を正しく捉えられたのです。

どうして転移効果がみられるの?

なぜ、上のような転移効果が生じるのでしょうか?実は、音楽と言語、空間認知、数学には共通点があるから、というのが現段階での答えです。例えば、音質やリズム、メロディーは、音楽にも言語(話し言葉)にも欠かせないものです。また、音楽には、音の「高さ」「低さ」というように、空間認知の要素があります。あるいは、音楽(特にクラシック音楽)がもつ構造性や規則性が、数学的に説明できることは、古代ギリシア時代から知られています。最近では脳神経科学によっても、このことが裏付けられるようになってきました。音楽を演奏したり歌ったりしているときに活性化される脳の部位が、言語や空間認知をつかさどる部位と同じであるという研究結果もあります。音楽と、言語や空間認知、数学は「全く別の領域」であるのではなく、何らかの共通点があるからこそ、転移が起きると考えられるのです。

音楽と言語の構造的類似性を示す図 音楽と言語の構造的類似性を示す図 (de Cavey and Hartsuiker 2016)
転移効果を引き出すために

このような音楽の転移効果に関する研究は、音楽を学習することがもつ意味を考えるうえで、より広い視野を与えてくれます。音楽によって得られるものは音楽の領域内でとどまることはなく、さまざまな場面で子どもの成長に関与していくのです。そして、その効果は抽象的な印象論ではなく、ある程度実験によっても計測することができるものです。今後の研究の発展によって、音楽のもつさらなる効果が分かってくるかもしれません。
音楽の転移効果を引き出すにはどうしたら良いのでしょうか?研究では、転移効果は音楽をやれば必ず現れるものでもない、と言われています。重要なのは、「子ども自身が音楽に情熱をそそぎ、熱心に取り組むこと」です。もし、「頭が良くなるからピアノを弾きなさい」と言われるままに音楽をやっている子がいたとしたら、その子に転移効果が現れることはないでしょう。その子自身が音楽を楽しみ、自発的に演奏に取り組んでいると、音楽の上達が早いだけでなく、転移効果も現れやすくなります。むしろ、音楽が人生において豊かな体験、情熱をもって打ち込める対象になった子どもたちは、これまで述べてきた転移効果以上のものを、音楽から得ていくことでしょう。両親や先生など周りの大人たちは、子どもたち本人の意思や気持ちを尊重して、音楽の学習環境を整えてあげるのが望ましいのです。

参考文献
  • de Cavey, J. V. and Hartsuiker, R. J. (2016) Is there a domain-general cognitive structuring system? Evidence from structural priming across music, math, action descriptions, and language. Cognition, 146: 1172-184.
  • Thompson, W. F., Schellenberg, E. G., and Husain, G. (2004) Decoding Speech Prosody: Do Music Lessons Help? Emotion, 4(1): 46-64.
杉山昂平

◆レポート
杉山昂平(東京大学大学院)


ピティナ編集部
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