ルイのピアノ生活

第10回 フィオレンティーノ/曲:フォーレ:「夢のあとに」

2005/11/08
♪ 演奏
フォーレ:「夢のあとに」 ♪ 動画:(3,28s)
 
僕・・・

子供の頃、ピアノを習い始める前のことです。
「どんな楽器をやりたいですか?」とお母さんに聞かれて私は「フルート」と答えました。よく覚えていないですが、長いピカピカの棒を横に口に付けるスタイルがすごくかっこいいと思っていました。オランダでは、なにか楽器を始める時、一般的には子供達は音楽学校に行きます。この学校は国の教育機関で、楽器のクラスに入る最低年齢はピアノもフルートも9歳位。それ以下の子供の手はまだ小さいですから、学校ではレッスンを受ける事ができないのです。でも僕はどうしてもフルートをやりたかったので、親は先ずリコーダーのレッスンに連れて行きました。4人の女の子と一緒のグループレッスンでした。私はそれぞれ4人の女の子に恋をしました。レッスンではいつもたくさん笑いました。そして発表会の時はなるべくお互い顔を見合わせないように気を付けなければなりませんでした。顔を見てしまったら、必ず一人が笑い出して、それが皆に移ってリコーダーからきれいなメロディーの代わりに変な音や笑い声が出てくるので!とにかく楽しかった事を今でもよく覚えています。結局フルートの夢は叶いませんでしたけれども。

次の憧れの楽器はチェロでした。白鳥やキリンような(私は白鳥もキリンも大好きです!)長い首の美しい楽器が弾いてみたかった。この連載を書く時、今まで意識しなかった事によく気がつくのですが、弾くだけでなく、楽器を「持つ」「触れる」事が大好きでした。どんな楽器の演奏も、私にとっては楽器と「二人で」音楽を奏でるイメージが強いです。でもピアノは大きすぎて、自分の楽器をレッスンに持って行ったり、発表会で弾いたりする事はできません。だから、大切にしようという意識が薄いのでしょうか。自分のピアノを拭いたり、磨いたりする習慣がありません。それで、楽器に対する「愛着」もなかなか湧かない。家具の一部になりやすい存在です。しかし楽器はパートナー(恋人)のような物です。一緒に笑ったり、一緒に泣いたりしますと、段々夫婦のように親密になります。毎回違うピアノを弾くという事は、毎回違う恋人になりますが(笑)。はじめてのピアノを弾く前には仲良くなるためにいつもピアノを少しなでて、あいさつします。

ところで一昨日、私はブラームスとシューマンのレクチャーコンサートの中でブラームス作曲の「シューマンのテーマの変奏曲(op.12)」を弾きました。控えめで誠実な性格のブラームスらしく、曲中シューマンに対する尊敬や愛情が深く感じられる素晴らしい作品です。同じ変奏でも、例えばリストがある作曲家のテーマを使って作曲しますと、元曲の作者に対する尊敬というより、リスト自身の気持ちや表現がかなり強く聞こえます。リストは少し「目立ちたがり」だったのかも知れませんね。そこが魅力でもありますが...。

もともと違う楽器のメロディをピアノの為にアレンジする、という事は作曲家たちが昔から行っていました。特にモーツァルトの時代には変奏曲を作るのがとても流行っていました。同じテーマから、誰が一番良い変奏曲を作れるか対決もありました。リストの時代はオーディオで音楽を楽しむ代わりに、オーケストラやオペラの曲を家で弾きたい、と思う人が段々増えました。そのニーズに合わせてオペラの中の有名なメロディをつなげて、メドレーのような曲を作る作曲家もいました。よく売れるので、これはとてもおいしい仕事でしたが、もちろんスタイルは様々で、趣味良く、メロディをピアノでアレンジする作曲家もいれば、下品に自分を出しすぎの作曲家もいました。

ホロヴィッツ、ゴドフスキー、フィオレンティーノなど、編曲したピアニストもたくさんいます。今回は私が大好きな音楽家、フィオレンティーノ(1927-1998)が編曲した作品を弾きました。彼はほとんど無名ですが、素晴らしいピアニストでした。ホロヴィッツが彼の演奏を聴き、あまりの素晴らしさに驚いた(焦った?)、というエピソードもある程です。世界一のピアニストにも評価を得たこともあります!しかし不幸にも、コンサートツアー中に乗っていた飛行機が墜落して、背骨を傷めて以来、まだ若い彼はピアニストのキャリアを断念したのです。その後は彼の母国イタリアのナポリの音大の先生として指導をしていましたが、1993年、体調が良くなったことをきっかけに、音大を辞めて、再度コンサート活動に復帰します。ところが演奏を再開した矢先、わずか4年後に急病で亡くなりました。悲劇的な人生を送ったフィオレンティーノ。でも後には素晴らしい録音と編曲が残りました。ピアノを上手に弾ける人はたくさんいます。しかし「趣味良い」ピアニストはとても少ないです。彼は、素晴らしい技術だけでなく、演奏でユーモア、気品、情熱や優しさを伝えてくれるピアニストでした。それでいて控えめなフィオレンティーノ。私のヒーローです。

それでは、また!

ルイ・レーリンク

この曲には、メロディをよくピアノで歌って弾きますが、内声や伴奏もとても魅力的ですので、メロディも、伴奏もよく聴かせましょう。テンポは硬く感じないで、自由にしますと綺麗だと思います。メロディを聴いて、テンポをとりましょう。メロディは前に進んだり、止まったりしますので、怖がらないで、やってみて下さい。強弱もリズムのタイミングも、ある程度大げさにしないと、伝える事もできないですので、表現をたっぷりにしましょう!

 今回このビデオを収録したロケーションは世田谷区の千歳烏山にあるユーロピアノでした。楽器はべヒシュタインのm/p型でした。




ルイ・レーリンク

オランダ出身。7歳からピアノを始め、15歳で音楽院入学。アムステルダム・スヴェーリンク音学院に於いてW・ブロンズ氏他に師事する。1996年音楽活動の為、日本に移住。「肩の凝らないクラシック」をモットーに各地で通常のコンサートから学校や施設のコンサート、香港等海外でも公演。九州交響楽団との共演、CD「ファイナルファンタジー・ピアノコレクションズ9」の演奏と楽譜監修を行うほか、CD「夢」をリリース。個人/公開レッスンや音楽講座を行い、ピアノ・音楽指導にも意欲的である。洗足学園音楽大学非常勤講師、洗足学園高等学校音楽科講師として、「演奏法」の授業 、演奏家を目指す生徒のための「特別演奏法」の授業、ピアノレッスンを受け持つ。

NHK/BSテレビ「ハローニッポン」、「出会い地球人」
TBSテレビ「ネイバリー」、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」他出演。

ピアノ演奏法のページ : http://www.senzoku.pianonet.jp も作成中
演奏者のホームページ http://www.pianonet.jp

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