海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

開成中では全員がピアノを弾いている!第2回 音楽を学ぶ効果とは?

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2013/12/06
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開成中では全員がピアノを弾いている! (2) 音楽を学ぶ効果とは?

開成では、ピアノを用いた音楽の授業(→第1回)が25年前も前から行われている。それは一人の音楽教員による改革から始まった。授業時間数を週1時間から2時間に増やし、演奏と創作を結びつけるためにピアノとギターを導入。生徒の熱意も年々高まっているそうだ。「音楽は脳によい影響を与えるのか」という問いかけがよくあるが、ピアノを学んだことのある新入生の割合からも、答えは自然に導き出せそうである。グローバル化社会の中で音楽を学ぶ意味についてもお話頂いた。

●そもそもなぜピアノを?25年前の改革から始まった

では、いつからこのような音楽の授業が始まったのだろうか?それは小鮒先生が音楽教員に着任した1970年代にさかのぼる。小鮒先生は開成高校卒業後、東京芸大に進学して楽理を専攻。卒業後に恩師に呼ばれ、教員として母校に戻ってきた。ある思いを抱いて。
「自分自身も開成で音楽を教わっていましたが、当時は五教科には力を入れ、他は形だけという授業でした。特に器楽教育が足りなかったので、何とか変えたいと思っていました」。

そこで教員3年目にリコーダーを取り入れたが、チューニングが難しくて合奏ができないという理由で断念。それを機に、生徒の資質をより生かせる授業をしようと決意した。

「開成の生徒は理論的な思考が得意なので、よく聞いて理解してくれます。そこで音楽の理論と、それをもとにした創作(作曲)の授業をしようと考えたのです。伴奏付きの創作をするためには和音が出せる楽器が必要ということで、中1~2はピアノ、中3はギターを取り入れることにしました」。

当時は安くて88鍵あるピアノがなかったため、60鍵の小さい卓上型キーボードを購入した。同時に、授業時間数も見直した。当時の一般公立中学校での音楽授業は1年生2時間-2年生2時間-3年生1時間(2-2-1)だったが、開成では1-1-1と少なかったのだ。

「音楽を教え始めてから数年経った頃、やはり週1時間では何もできないと感じ、学校側に主張して2-1-1にしてもらいました。およそ25年前です。週2時間に増枠されたので使える時間は約3倍になり、これだけの授業ができるようになったのです。その後、他の公立中ではゆとり教育のため1.3-1-1に減らされましたが、開成は今でもこの授業時間数を保っています」。

●新入生の40%がピアノ学習経験あり!音楽を学ぶ効果とは

ところで小鮒先生は毎年新入生対象にアンケートを行っているそうだが、そこにはある傾向が見られるという。
「新入生の約40%は『ピアノを習ったことがある』と答えています。我々の学生時代は50人学級に1人か2人くらいでしたが、今は10人中4人です」。

中1の40%がピアノ学習経験者とは!ピアノを習う男子が増えたとはいえ、これは驚くべき数字である。熊谷麻里先生は「開成に入ってからピアノを始めた子が、すごく楽しくて好きになったという話をよく聞きますね。なんで今までやらせてくれなかったの?とご両親に言ったという話も。教育熱心な方が多いので、皆さんすぐにピアノを買って習いに行っていたようです。我が家でも息子にピアノや楽典を少し教えたことがありましたが、次の週には『友達にも教えてあげたよ』と言っていました」。

楽しいだけでなく、授業内容の難易度も高い。熊谷先生も、中1では普通勉強しないような音程の問題が出ることに驚いたそうだ。小鮒先生は「楽典の勉強は大変だと思われがちですが、開成の生徒は理解力があるから、音程や音階にしても順を追って説明すれば分かるようになります。音楽は、数学でいえば足し算のようなもの。掛け算も割り算もルートもありません。生徒はそれ以上に難しい数学の問題を解いているわけですから・・!」。


開成卒業生が出演するKP-1のリサイタルに、角野君など現役生も出演したことがある。

実際、開成には高度なピアノ演奏能力をもつ生徒もいる。現役生の角野隼斗さん(高3・2005年Jr.G級金賞)は、小学校時代からその演奏力の高さが全国的に知られていた。開成では音楽部で合唱の伴奏をしたり、バンド活動もしているそうだ。また同学年の三原貴之さんもかなりの腕前で、所属するオーケストラ部ではグリーグのピアノ協奏曲も弾いたという。卒業生にもセミプロ級の方が何人もいるそうだ。ピアノの授業を担当している高木誠先生は、開成の卒業生を集めたコンサート「KP-1」(Kaisei Piano “I” Koukai)を年2回開催している。出演者は元生徒で、東大医学部卒の医者(江里俊樹氏)や東大法学部出身の弁護士(蓜島啓介氏)など、錚々たるメンバーである。高木先生ご自身も鑑賞の授業で1年間全て異なるレパートリーを暗譜で弾いたり、ショパン全曲をコンサートで演奏したりと、エピソードには事欠かないようだ。

なぜ開成生には音楽的にも優れた能力をもつ人が多いのか。音楽が脳に及ぼす作用に関して近年研究が進んでいるが、小鮒先生もそのような効果があるのではと指摘する。

「才能があるから音楽ができるのか、小さい頃から音楽をやっていたから他の勉強にも良い影響を与えているのか。ある程度は音楽が人間の脳にいい効果を与えると思っています。だからこそ小さい頃からピアノをやっていた子が、塾に通い勉強もできるようになって開成に合格した、それがこの40%だと思っています。神経学的には、数学など概念的な能力は脳の新皮質で行われ、音楽は旧皮質や脳幹の方に作用すると言われていますが、全体がバランスよく働き、脳のあらゆる部分がお互いに影響を与えあう、それが良い状態だと思います。音楽は脳に思考能力をつけるわけではないが、何らか思考能力をよくするために作用していると、いつか科学的に証明されるのではないかと思います」。

●グローバル社会の中で求められる力

米国のハーバード大学

近年日本の教育業界においてもグローバル化が進み、国際バカロレア認定校の増加、英語教育の低学年化、教養教育の強化などが図られている。また海外の大学学部進学を目指す高校生も増え、開成も例外ではないそうだ。そんなグローバル化する社会の中で、あらためて、音楽とはどのような位置づけで捉えられていくのだろうか。かつてハーバード大学教授を務め、ベストティーチャーに選ばれたこともある校長の柳澤幸雄先生にお伺いした。

「芸は身を助けるというように、特に文化的背景の違う社会で生きる時、音楽やジャグリング、マジックなど、言葉がなくても皆が楽しめるものを身につけていることはとても大事です。ハーバード大学院歯学部に留学した開成卒業生がいましたが、開成時代はずっとバンドをしていて、英語も特にできたわけではなかった。ところが彼は留学後すぐに地域のオーケストラに入り、3か月後には上手な英語をしゃべっていましたね。楽器一つで人生が変わります。彼は今UCLAの歯学部教授で(Dr.Ichiro Nishimura)、インプラントの世界的権威です」。

柳澤先生ご自身もボストン交響楽団の演奏会によく聞きに行ったそうだが、楽器という特技をもっていた彼(西村教授)を羨ましく思った、とも語って下さった。 (※UCLAの西村教授紹介ページには、熱心なコントラバス奏者だと記されている。)

音楽という誰もが共有できるものを持つことで、世界は大きく開かれていく。さらに文化背景の異なる場でも実力を発揮できるのは、音楽という素養に加え、学生生活の中で自然に自主性や創造力が育まれているからだろう。「学校教育のゴールとしては学生が『将来自分はこういうことをしたいから、どうしたらいいですか』と質問しにくるようになること。それに対して我々は『こうしたらいい、この人に会ったらいい』というアドバイスをします」。そう語る柳澤校長先生の元にも、多くの学生が相談に来るそうだ。

こうした開かれた校風だからこそ、勉強にも音楽にも力を入れることが、ごく自然に思えてくる。生活の中に音楽があることが、ごく自然なように。

⇒第1回はこちら


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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