海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リーズ国際コンクール(15)審査員C・エルトン先生:演奏の歴史を紐解くこと

2012/09/15
コンクール中、大きなノートに一人一人の演奏について丁寧にメモを取っていらしたクリストファー・エルトン先生。多くの国際コンクールを審査されたご経験を踏まえ、今回のソロリサイタルの感想や、英国王立アカデミーでの授業についてもお伺いした。

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―様々な国際コンクールでご審査をされていらっしゃると思いますが、このリーズ国際コンクールの印象はいかがでしょうか。

審査をするのは今年が初めてです。これまで色々な国際コンクールを審査してきましたが、このセミファイナルは素晴らしくレベルが高かったと思います。12名のセミファイナリストは皆さんそれぞれ自立した音楽家だと思います。
皆さん見事なテクニックを持って、高いレベルでピアノを弾きこなしていると思います。ただ残念に思うのは、これは別の先生も仰っていたことですが、バロックや古典などを実に素晴らしく弾きこなしているのに、その作品がどのように演奏されてきたのかという伝統に対する考えが少ないようにみえることです。それを知るための音源や情報は膨大にあり、我々の時代よりもはるかに容易くアクセスできます。

とはいえ、我々としては、「誰が正確なスタイルで弾いているのか」だけを見ているわけではありません。例えば2人が同じバッハの曲を演奏したとしましょう。一人は装飾音から奏法に至るまで正確によく教え込まれている。もう一人はその解釈の50%も賛同できなかったとしても、音楽が生き生きとして美しくエキサイティングで、バッハを21世紀に関連づけている、そのような場合もあるのです。

―選曲に関してはどのような傾向をお感じになりますか?

同じ曲を弾いた人も多かったですが、曲が重なると審査員はどうしても他と比較することになってしまいます。でも中には、リゲティやシュルホフ(5 Etudes de jazz)、デュティーユ(前奏曲)など、普段あまり弾かれない曲もありましたね。プログラムの組み方も様々で、30分間、あるいは70分間で自分が弾けるものを詰め込む、という人もいました。また集中力を要する大規模なソナタを2曲続けて弾くという例もありましたが、本人だけでなく、聴衆も集中力を保つのが大変です。一方でリゲティ「ムジカ・リチェルカータ」やシューマン「子供の情景」等を大規模な作品の間に入れるというプログラムもあり、そこでちょっとした笑いを誘ったり、そのシンプルな美しさに胸を打たれたりするわけです。70分間をどの曲で組むのかを考える時、聴衆を考慮することも大事です。

―プログラムの重要性は至るところで感じます。ところで先生はスコットランドご出身ですが、英国王立アカデミーで長年ご指導されていらっしゃいますね。現在英国圏出身または教育を受けたアーティストやディレクター等が世界中で活躍されていると思います。欧州のある音楽祭に行った時、そのコンセプトやプログラムに鋭い時代感覚が反映されていて面白かったのですが、ディレクターは英国出身の方でした。それを生み出す力がどこから生まれているのか興味があります。

英国のアーティストの長所は、おそらく知性と探究心を結びつけることができるのではないかと思います。特に探究心は音楽家に欠かせない資質だと思います。
重要なのは音楽をたくさん聴くこと。そして過去の演奏の歴史を聴いて紐解くことですね。今の学生たちは演奏の遺産を沢山聴けるという幸運に恵まれています。1920年代・30年代・40年代・・・私自身は1950年・60年代にモイセヴィッチ、ホロヴィッツを少々と、ルービンシュタインは沢山聴きました。英国王立音楽アカデミーでは何人かで一緒に音源を聴いてディスカッションする機会が多くあります。もちろん模倣するためではなく、あくまで新鮮なアイディアを得たり、今まで耳にしたことのないような個性的な音を聴いたりするためです。あまり好みでない音源を聴くのも勉強になります。「なぜそれを好きでないのか」を分析することになるからです。

―アナリーゼの授業もありますか?

ええ、大学1年次にアナリーゼの授業があります。楽曲をより深く理解するために欠かせません。ただ授業では知的な分析ができるのですが、演奏となると話は別、という学生もいますので難しいところですね。また音楽上の文法をあまり習得しないうちから複雑な楽曲分析をしてしまうのは、言語の文法を習得する前に詩の分析ばかりしてしまうのと同じで、危惧しています。今は20年前と比べると、才能があってもこうした音楽上の語法をきちんと学ばずに大学に来る人が増えています。短い時間の中で、当時と同じレベルの複雑さでこなせるようにしなければなりません。

―現状をお話頂きありがとうございました。録音を聴いてディスカッションする授業などとても興味深いです。ところでご出身地であるエディンバラについても少し教えて下さい。エディンバラでは大規模な芸術フェスティバルが毎年開かれていますね。これもグローバル世界を反映したようなプログラムが面白いと思いました。エディンバラは文化的にどのように開かれた街なのでしょうか。

エディンバラ国際フェスティバルは音楽・演劇・芸術が統合されており、夏の一時期だけでなく、年間を通じて何らかの活動をするようになってきています。さらに芸術的・文化的に興味深い街になってきると思いますね。子どもにとっても恵まれた音楽環境です。たとえばエディンバラ・クァルテット始め、プロフェッショナルな音楽家が沢山いて、才能のある子供がいれば喜んで六重層や七重奏などを共演してくれました。週末のラジオ番組でシューベルトの八重奏やベートーヴェンの七重奏を聴いて喜んだ思い出があります。そんな中、ある素晴らしい音楽家と出会いました。音楽への敬意と深い造詣を持っている方で、彼から直接レッスンを受けたわけではないのですが、音楽的な影響を多く受けました。彼は毎月自宅でクァルテットを弾いていました。実は私は子供時代にチェロも習っていたのですが、音楽に関しては、ピアノよりもチェロからより多くを学んだのですよ。弦楽四重奏やオーケストラ等と一緒に弾くことで、音楽における社会的な面を学びました。

―室内楽のご経験から多くを学ばれたのですね。ご出身地エディンバラの豊かな音楽教育環境も含め、興味深いお話をありがとうございました。



菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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