海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

音楽史を体感する街とレッスン・モーツァルテウム夏季アカデミー

2011/08/13
ザルツブルグ・モーツァルテウム国際夏季アカデミー ~音楽史を目と耳で体感できる街とレッスン
salzburg_mozart.jpgのサムネール画像
モーツァルトの故郷ザルツブルグ
日本でもよく知られているザルツブルグのモーツァルテウム国際夏季アカデミー。アカデミーは3期に区分され、今年は合計約1,000名にも及ぶ学生を受け入れています(日本人は168名)。今回お伺いしたのは第1セッション。ロバート・レヴィン、ドミニク・メルレ、アンドレ・ヤシンスキー、ペーター・ラングなど、多くの著名教授が名を連ねています。その様子を一部お伝えします。

音楽史を横断的に見ながらのレッスン~レヴィン先生


膨大な知識を駆使し、多様な視点から解釈を掘り下げていくレヴィン先生。

ザルツブルグといえばモーツァルトの生誕地であり、青少年時代を過ごした街。モーツァルテウム大学はその街の中心にある。ここで毎夏行われる夏季アカデミーは日本でもよく知られているが、何と言ってもその醍醐味は、音楽史を体感することだろう。
例えばアカデミーの各教室(一部)にはチェンバロが置かれ、モーツァルト等が生きた18世紀末の鍵盤楽器と現代ピアノの違いを、目や耳で実感できる。そして、それら生の資料を演奏解釈に繋げてくれる先生の存在がある。今回はロバート・レヴィン先生とドミニク・メルレ先生のレッスンをご紹介したい。


奥様でピアニストのヤーフェイ・チェンさんと(中央)。

モーツァルト研究の権威でもあるロバート・レヴィン先生は、まさに生きた百科事典だ。そのアプローチの焦点は、曲全体をどう構築するかというストラテジーにある。まず1曲全体の演奏をじっくり聴いた後、どのようにこれを解釈したのかを生徒に問い、曲全体がどう構成されているか、その上で各フレーズがどのような方向性を持っているか、どの音からエネルギーが出発しどこへ向かっているのか、各フレーズの関係性をどう捉えてどのような音質で表現したらよいかという設計図を、質疑応答を通して考えさせる。その上で他曲と比較考察しながら、その曲本来の姿を客観的に読み解いていく。
(ブラームス・8つの小品op.76-8カプリッチョ)「ブラームスはあまりmpを使わなかったので、ここ(冒頭)の意味を考えて下さいね。ベートーヴェンも同様で、ピアノソナタ32曲中mpが出てくるのはop.111の冒頭だけです」、(バッハ・パルティータ4番序曲)「冒頭は誇らしく祝祭的な始まり方で、バッハはよくこういった壮大な書き方をしています。ここはどうエネルギーを使うか、どの音を出すか、外声か内声か?」という冒頭の解釈について、バッハのカンタータ、トッカータニ長調やブランデンブルグ協奏曲第1番の例を出しながらディスカッション。こうした比較考察は全て演奏とともに示された。その速さと的確さはコンピュータ以上!

レヴィン先生はご自身を「私はファシリテーター」という。生徒に主体性を持たせるため、様々な視点から問いかけて自分で考えさせる。時にレッスン時間内で消化しきれないのではというほど多くの情報を提供してくれるが、一貫した方向性があるので復習もしやすいだろう。非常に濃密な時間だった。※レヴィン先生過去インタビューへ。

自筆譜も登場!作曲家が発したメッセージの源泉を辿る~メルレ先生


メルレ先生が持参した自筆譜を見せながらのレッスン。※自筆譜情報はこちらへ。

ザルツブルグ中心部にあるモーツァルトの生家や住居では、自筆譜を拝見することができる。まさに生きた歴史の宝庫だ。モーツァルトではないが、今回ドミニク・メルレ先生はショパン・バラード1番の自筆譜複製(未出版)を持参され、それと出版譜を比較しながら、より深い解釈を追求していった。作曲家の直筆からどんなメッセージを読み取るのか、それは曲本来の姿に近づく一歩である。

メルレ先生は週末ザルツブルグ市内の教会で行われたミサにも赴いたそうだ。ザルツブルグでは各教会がオーケストラを持っており、今回先生が訪れたのはモーツァルトがミサ・ソレムニスを書いた教会だとも言われている。オルガニストでもあるメルレ先生は、幼少の頃からオーケストラや合唱曲、オルガン曲をよく聴き、音の様々な色彩を身につけたそうだ。また12歳の頃には子どもの合唱隊に入り、グレゴリオ聖歌などを歌っていたという。


同アカデミー主宰でピアニスト・作曲家・指揮者でもあるアレクサンダー・ミューレンバッハ氏(右)。左は事務局のエリザベータさん。現在Arts & Scienceの博士課程で論文執筆中。

多彩な音色に触れることを重視するメルレ先生は、以前ある国際コンクールに出場した生徒さんについてこう語っていた。
「(彼は)リストのハンガリー狂詩曲第6番を弾いたのですが、中間部レチタティーボの歌わせ方に少し見直すべき点がありました。そこで私は、『今夜はマリア・カラスのDVDを聞いてみないか?』と、彼を図書館のオーディオルームへ連れていき、マスネ、ドニゼッティ、ベリーニなど、ドラマティックなアリアを沢山聞かせました。カラスはフレーズや呼吸、全てにおいて素晴らしい。それを聴いた後、彼の演奏は変わりました。特にレチタティーボが格段に良くなったのです。その後コンサートでも素晴らしい演奏を聴かせてくれました。一つ一つ細かく指摘するより、素晴らしい芸術家の歌を聞かせるだけで、彼は多くのものに気づいてくれたのです。」

一流の芸術家を聴くこと、様々な音色に慣れ親しむこと、音楽の中に自分の身をおくこと。メルレ先生のアプローチは今も一貫している。

パーカッションの音、鐘の音・・・多彩な響きを楽しむ

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ザルツァッハ川からホーエンブルグ城を眺めて

モーツァルテウム夏期アカデミーでは毎日のように学生&講師コンサートが開催されるが、今回はマリンバ科の学生コンサートを聴いた。日本のマリンバ奏者第一人者である神谷百子さん、及び神谷さん率いるクラスの生徒も出演。一柳慧"The Source"、 村松崇継"Spirit"など多くの邦人現代曲を披露した。その他ギュンター・フライベルグさんの無伴奏チェロ組曲(カサド作曲)は、深みと奥行きある音を駆使しての心情表現が光る。また北村あいりさんも左のハーモニーの生かし方が上手く、力強いリズム感もあり印象的な演奏だった。もう一人の講師であるボグダン・バカヌ氏が率いるグループThe Wave Quartetの演奏では、冴えたリズム感と美しいフレーズの収め方が魅力で、特にガスパール・ル・ルー(1660-1707)各曲の表情のつけ方に妙味が感じられた。

その他、J.S.バッハの2台のハープシコードのための協奏曲BWV1061なども。鍵盤楽器の作品がマリンバに置き換えられると、さらに曲のイメージが広がり、インスピレーションを掻き立てられる。

コンサートが終わり、一歩街中に出れば、教会からはカーンと鐘の音が聞こえてくる。そのままザルツァッハ川からホーエンブルグ城を眺めれば、18世紀末にタイムスリップできそうだ。


取材・文◎菅野 恵理子

★追加情報
Music Weeks in Tokyo 2011 では、ロバート・レヴィン先生校訂によるモーツァルトのレクイエムが演奏されます。

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菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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