海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リスト国際コンクール・審査員インタビュー ムーザ・ルバッキテ先生

2011/04/17
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第9回リスト国際コンクールは後藤正孝さんの優勝で幕を閉じました。その後藤さんの演奏を、「知性とテンペラメント溢れる演奏。聴衆を感動させる力を持っている」と評したのは審査員のムーザ・ルバッキテ先生。リトアニア出身のピアニストで、父がバリトン歌手、母と叔母がピアニストという音楽一家に生まれ、小さい頃から自然に音楽に接してきたそうです。10年前から『巡礼の年』全曲演奏に取り組み始めたというムーザ先生に、リスト作品の魅力や曲のアプローチの仕方を語って頂きました。

―今回のコンクールでは準決勝で9名中4名が『巡礼の年・第2年目イタリア』を選曲しましたが、ムーザ先生の全曲演奏の取り組みについてお伺いできますか?

2002年より、『巡礼の年』第1年から第3年までをチクルスで弾いています。きっかけは、フランス放送からの依頼でした。最初はとても無理だと思いましたが何とかやり遂げることができ、それ以来この取り組みを続けています。今年は特にリスト記念年なので忙しいですね。6月にはパリのオペラハウスで、16時から第1年、18時から第2年と「ヴェネツィアとナポリ」、20時から第3年と、3回に分けて公演します。コメディ・フランセーズの俳優との共演で、マリー・ダグー夫人やボードレール、リスト自身の書簡などの暗誦を入れながらピアノ演奏を行います。『巡礼の年』は全26作品ありますが、どの作品も情感豊かでインスピレーションを与えてくれますね。

―『巡礼の年』全曲を1日でとは体力が必要ですね。演奏とテキストを組み合わせるのも興味深い取り組みです。10年間演奏されているそうですが、弾くたびに新しい発見がありますか?

ええ、もちろんあります。我々は人生経験を通して常に成長しています。こうした曲を解釈するには、特に音楽以外の情報、例えば原典となる歌曲や絵画、彫刻、風景などを知ることが大切です。実際にその場所を訪れることで、情報が補完されると思うのです。私自身もリストとダグー夫人がたどったスイスでの軌跡を追って、パートナーと「巡礼」してみました。「ウィリアム・テルの聖堂」の聖堂は大規模なものではなく、とても小さいんですよ。また「泉のほとりで」の泉は今でも強いインスピレーションを与えてくれる場所です。とても小さくて静かなのですが、リストの曲ではまるで滝が流れ落ちてくるようなイメージがあります。こうした情報が私たちの解釈を補ってくれます。
重要なのはそこで自分が受けるイメージです。現代に生きる演奏家として、リストが受けた感覚の源流をたどることが大事です。彼の作品はテクニックの難易度が高いですが、そういったことを全て忘れ、大切なメッセージ、美しさを伝えることが大事だと考えています。

―『巡礼の年』の原典については、どのようにご覧になっていますか?

原曲が歌曲の場合は、どの文章がどの旋律にあたるのかを見るようにしています。セミファイナリストとのミーティングで皆さんとお話ししましたが、(『巡礼の年第2年目・イタリア』について)「このフレーズを弱く弾いていましたね。確かにディナーミクは書いてありませんが、この場面はバリトンが『君のせいで僕はこうなってしまったんだ』と女性を責めているのです」とお伝えした方もいます。

リストの曲を解釈する際、テキストは重要ですね。例えば『巡礼の年第1年目・スイス』では、『オーベルマンの谷』で終わっていいはずの曲集の最後に、ロマンティックなノクターン風の『ジュネーヴの鐘』が入っています。ちょっと妙ですよね。ですが、この文章が重要なのです―「私は自らのなかに生きるのではなく、私を包み込んでくれるものの一部になる」。これは何を意味するのでしょうか?ちょうどこの頃、ジュネーヴで長女ブランディーヌが生まれました。彼は自分が世界の一部であることを実感したのです。だからこの曲はとても温かさに満ち、かつ控えめな曲想なのです。

リストが『夕立』に寄せて書いたテキストも素晴らしいですね。彼はマリー・ダグー夫人への手紙に、嵐の海に浮かぶ船について描写しています。大変ドラマに満ちています。これを読んだら、あとは全てを忘れてその状況の中に身を置くだけですね。

―準決勝ではソナタも4名が選択しました。先生が初めてソナタに取り組んだのはいつでしょうか。またどのように曲の解釈を深めていったのでしょうか?

15歳の時に初めてソナタを弾き、それ以来何度も繰り返し弾いています。ブダペストのリストコンクールの課題曲がソナタで(1981年最高位)、当時モスクワ音楽院で師事していたボスクレセンスキー先生にご指導を頂きながら、深く勉強しました。今でも毎回のように新しい発見がありますが、主要な骨格部分はその時に習得しました。大規模な曲なので、曲全体の設計図、全体の姿を見せるのはとても難しいですね。どのような'建築物'にしたいかは自分で決めることですから、そのためには自分自身が指揮者となり、「このパートはこう、そこのパートはこうした方がいい」と考えることが大事だと思います。例えばオクターブを速く弾くことはできますが、「何のために」が明らかでないと、全体の造形を崩してしまいかねません。

―鍵盤に触れず、楽譜としっかり向き合う時間も大事ですね。

もちろんです。指揮者のように楽曲を理解するためには必要な作業だと思います。曲がどこに向かっているのか、テンポ、ディナーミク、色彩、意味、どの調性が喜びや悲しみを表しているのか・・・など、最初にまず全体のドラフトを考えてから、各部分を発展させていきます。そして指使いを考えますが、これは基本であり、最終結果でもあります。指使いとは、弾きやすいかどうかではなく、色彩と感覚のためにあるのですね。良い指使いを見つけた日は、晴れやかな気分になりますね。
それから鍵盤から離れること、オーケストラ、声楽、器楽曲を聴くこと、そして作曲された時の背景を知ることも大切ですね。


音楽以外の文芸からも多くのインスピレーションを得ているルバッキテ先生。曲のイメージをつかむために多くの資料や情報を集めたり、現地を訪れることによって、「リストが感じた感覚の源流をたどる」という言葉が印象的でした。6月26日(日)16時より・武蔵ホールにてリサイタル*が予定されています。
*武蔵ホール主催公演の「真帆子の部屋シリーズ」第4回にゲスト出演、質問コーナー等も予定。
今年11月、ルバッキテ先生が主宰するヴィルニウス・ピアノ音楽祭(Vilnius Piano Festival)に後藤さんが出演します。

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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