海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

独ワイマール・若いピアニストのためのリスト国際コンクール(3)リストの街

2011/04/04
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ゲーテとシラーの記念碑

若いピアニストのためのリスト国際コンクールが行われたワイマールは、歴史的に多くの芸術家・文化人を輩出してきました。17世紀のクラナッハ(画家)、18世紀のバッハやフンメル、19世紀を彩るゲーテ(文学者)、シラー(詩人)、アンデルセン(童話作家)、リスト、そしてレンズを考案したカール・ツァイスまで。そして20世紀にはウォルター・グロピウスによってバウハウスが設立され、20世紀初頭のデザイン界を台頭する芸術家を輩出しています。名匠ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーらも何年かここで指導に携わりました。この街の何が、リストを始め名だたる芸術家を惹きつけたのでしょうか。

ワイマールが誇る文豪ゲーテ

リストが約10年間宮廷楽長を務めたワイマールは、小さく可愛らしい街である。しかし多くの芸術家・文人が輩出された歴史を持つ。そのシンボル的存在は、やはり『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』等で19世紀ドイツ新古典主義を確立させたゲーテである。当時の文芸界において、ゲーテのもたらした影響は計り知れない。シューベルトは『糸をつむぐグレートヒェン』等でゲーテの詩をもとに多くの歌曲を書き、ベートーヴェンは『エグモント序曲』を作曲し、メンデルスゾーンは「ゲーテとワイマールの街が自分を変えた」と書き残すほど文豪に傾倒し、リストは『メフィスト・ワルツ』や『ファウスト交響曲』を作曲、後者はゲーテとシラーの記念碑除幕式で演奏されている。(そのゲーテ本人は、モーツァルトの音楽を『人間を惑わすために悪魔がこの世に送り込んだ音楽』と評したのは興味深い)もちろん現在でも、ゲーテの著書はドイツ学生の必読書である。

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ワイマール市内には、現在ゲーテ博物館となっている彼の家がある(写真左奥)。ここは見事なまでに彼の主義主張が反映されていて興味深い。まず夥しい数のギリシア彫刻やレリーフが散見されるが、広間にあるジュノーの胸像は特に彼の美意識を反映し、調和の取れた美しい世界観を愛した文豪の面影が垣間見える。またゲーテは色彩学を研究していたが、壁色も部屋毎に微妙に変化させ、使用目的に応じた色彩を与えている。客間や食卓はイエローやピンク等の暖色、書斎はエメラルドグリーンなどの寒色、また彼の内縁の妻(後年正式に結婚)の部屋は情熱と落ち着きを与えるレッドである。また彼は2万5千点以上に及ぶ絵画・彫刻・美術品や、自然石のコレクションがあり、その一部も展示されている。

若い頃から人生の最晩年まで何度も大恋愛に身を焦がした情熱的なゲーテであるが、細部まで緻密に設計されて築かれたこの家は、彼の客観性と冷静さを伝えている。まるでメフィストに魂を売ったファウストになるのを拒むように。

ゲーテの家には多くの芸術家や音楽家も訪れたそうだが、彼が所有していたシュトライヒャー製のピアノは、クララ・シューマンやマリア・シマノフスカ、フェリックス・メンデルスゾーン等が弾いたそうだ。メンデルスゾーンは12歳の時この家に数週間滞在しているが、その様子が息子による著書に収められている。また文豪は絵画収集家でもあり、客間には簡素なフレームに収められた絵が何枚も壁にかけられている。ここを訪れる客人の知的好奇心や会話の内容によって、自在に絵を差し替えるためである。客人を暖かく迎え、ともに知性の火花を散らしたゲーテらしい内装だ。

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左は図書館、右はリスト音楽院

ゲーテの家から数分先にはアンナ・アマリア公爵夫人図書館がある。ここはザクセン・ヴァイマール・アイゼナッハ公爵夫人アンナ・アマリア(1739-1807)が、市民啓蒙教育のため、公爵の蔵書を一般公開したという経緯をもつ。時は18世紀半ば、フランス革命が起こる約20年前であり、ヨーロッパ全域で啓蒙主義が普及始めた時期である。その機運に先駆けて図書館を普及させたアンナには、芸術家や詩人を招聘するなど先見の明があった。ゲーテも存命中に館長を務め、彼が挟んだ約2000枚のしおりは現在もそのまま保管されている。他に『ファウスト』のコレクションやマルチン・ルターの聖書などもある。*2004年の大火によって蔵書一部焼失、現在修復中。


ワイマールの街とリストの必然的な結びつき

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文学や芸術に通じた才人が集まっていたワイマールという街に、フランツ・リストが根を下ろしたのも自然の流れだっただろう。1848年にワイマール宮廷楽団楽長に就任し、この地で作曲と指揮活動に専念するようになる。この時代には『ファウスト交響曲』やロ短調ソナタ、ピアノ協奏曲、バラード2番、超絶技巧練習曲を始めとする多くの名作を書き上げ、出版されている。また晩年に撮影されたリストの写真に、ワイマールのリストの家で生徒たちと映っている写真がある。2階の窓から顔を出すリストは、まさにそこに生きていたことを伺わせる。その頃の作品は無調音楽を先取りしており、ドビュッシーにも似た音響効果が感じられる。

しかしその先見性ある作曲家としての評価も、若い頃のヴィルトゥーゾ・ピアニストとして以上の存在感を発揮することなかった。そればかりか、リストの曲は難しすぎるという理由で、ワイマールですら数十年前まであまり演奏されなかったらしい(リスト音楽院教授ペーター・ヴァース氏談)。さらに中欧・北欧では「表層的である」という理由でプログラムから外されることが多かったそうだ。

喫茶店で寛ぐ審査員たち

だがアルフレード・ブレンデルは自著の中で、「リストのテクニックの追求は、新しい表現の可能性を開いた」と主張し、不当な立場に甘んじてきたリストの評価を覆し、新しいリスト演奏の機運を作った。こうしてリストは、新たな時代を牽引する存在によって、復活を遂げたのである。リストの死から約100年後のことである。

どの時代にも、伝統を重んじる人と、新しい時代の風を読み取る人がいる。ここワイマールは、新しい時代を牽引する芸術家を受け入れた街であり、リストがこの地に導かれたのは、自然なことだったのである。

リポート◎菅野恵理子

<追加情報>
◎2011年度リスト国際コンクール(10月・ワイマール&バイロイト)詳細はこちらへ!


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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