海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ザルツブルグ音楽祭(3)響き合う才!アルゲリッチ、アンスネスの室内楽

2010/08/16
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photo:Salzburger Festspiele Pressebüro

天才モーツァルトを、老サリエリの視点から描いた映画『アマデウス』(1984年/ミロシュ・フォアマン監督)がある。若きモーツァルトの才能に嫉妬し、毒殺したのではないかと噂されたサリエリであったが、この映画では、瀕死のモーツァルトに寄り添い、口述筆記によってレクイエムを完成させるというストーリーになっている。この時のサリエリの表情は、天賦の才への驚嘆と敬服だった。

あくまでフィクションではあるが、天才を見抜く才のあったサリエリは、この映画ではレクイエム執筆上の"共演者"として描かれている。共演者とは、お互いの芸術観を理解して始めて成り立つ関係だ。共演者を引き立てるか、共演者によって引き立てられるのか、あるいはお互いに引き立てあうのか。共演者を選ぶことは、音楽を創造する上で重要な鍵となる。


アルゲリッチと仲間たちが繰り広げる、自由な音楽との戯れ

さてモーツァルトの住んだ家のそばに、作曲家の名を冠したモーツァルテウム大学(芸術大学)がある。1841年モーツァルト没後50年を記念して建設され、翌1842年にモーツァルト音楽祭が開かれている。807席ある大ホールは、適度な広さと音響を兼ね備え、室内楽やリサイタルに適した空間となっている。ここで、マルタ・アルゲリッチ、そしてレイフ・オヴェ・アンスネスによる室内楽コンサートがそれぞれ行われた。一部のプログラムが重なっていたが、アプローチの違いが興味深い。

まずアルゲリッチとその仲間たちによるコンサートから。三部構成の充実した内容で、第1・2部ではサン・サーンス英雄綺想曲op.106、ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、ラフマニノフの組曲第1番 「幻想的絵画」Op.5、休憩をはさんで、ショパン晩年のチェロ・ソナタ、ブラームス青年期のピアノ四重奏曲op.25と、様々な編成の室内楽曲の醍醐味を見せてくれた。女王アルゲリッチはラフマニノフのデュオを長年パートナーを組むリリア・ジルベルシュタインと共演。さすがに息の合った演奏で、ジルベルシュタインの野太い節回しに対し、アルゲリッチの鋭いタッチから繰り出される高次元で響く音が全体を支配していた。それはミッシャ・マイスキーとのショパン・チェロソナタにも表れ、アルゲリッチのリードにマイスキーが呼応する形で曲が進むという印象。第二部はアルゲリッチ不在ながら、ロシア出身ドラ・シュヴァルツベルグ、ノラ・ロマノフ親子のヴァイオリン・ヴィオラがリードし、激情的な面が強調される気迫あふれるブラームスの四重奏で締めくくった。

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photo:Wolfgang Lienbacher

第二部の最終曲はジプシー風ロンドだったが、第三部はその流れを受け継いでジプシー風音楽が全開する。ハンガリー出身ヴァイオリニスト、ゲザ・ホッシュ・レゴッキー(25歳・写真右)と5人のデビル達(Geza Hosszu-Legocky & The 5 DeVils)が登場。レゴッキーは9歳にして多数のテレビ出演を果たし、10年ほど前からヴェルビエ音楽祭を始めとする主要音楽祭に出演し、アルゲリッチとも多く共演している。クラシックに軸足を置きながら、他ジャンルをクロスオーバーする演奏で、その弓裁きの鮮やかさは実に見事。5人のデビルたちも脇役と主役を交代しながら、音楽を自由自在に広げていく。サイレント映画に出てくるようなレゴッキーの風貌は25歳という年齢を忘れさせるが、グループを率いる腕前は相当なもの。余興で聴かせてくれた森の鳥のさえずり(第2ヴァイオリンの鳥、ヴィオラの牛も加わる)もユーモア精神たっぷり。ずっと微笑を称えて脇役に徹していたヴィオラが、牛の「モー」の一音を弾いた瞬間は、会場が爆笑。3時間近くにわたるコンサートは、大喝采で締めくくられた。

現在69歳のアルゲリッチは若手との共演も多いが、その世代を超越した芸術性はこうした仲間たちとの共演によって一層引き立たされる。換言すれば、アルゲリッチという一人の存在がこうして異色の才能をいとも簡単に結びつけるのだと、この多彩なプログラムと演奏を聴いて改めて感じた。モーツァルトこそ1曲も出てこなかったが、モーツァルトのような自由な精神が感じられた一夜だった。


全員が一流ソリスト!会場を沸かせたアンスネスの室内楽

Andsnes_Frost_Hagen(c)WolfgangLienbacher.jpgのサムネール画像

今年のザルツブルグ音楽祭では、生誕200周年を記念してショパンやシューマンのプログラムが多いが、ブラームス室内楽シリーズも行われている。音楽監督のヒンターハウザー氏によれば、「音楽の広いランドスケープを見せたい」。

音楽祭も中盤に差し掛かった8月13日、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes /pf)、クリスチャン・テツラフ(Christian Tetzlaff /vn)、クレメンス・ハーゲン(Clemens Hagen /vc)、マーティン・フロスト(Martin Fröst / cl)というスーパーソリスト級の4名とタベア・ツィメルマンalt.を加えた、5名の室内楽演奏会が行われた。1曲目はアルゲリッチのプログラムにも組まれた、ヤナーチェク60歳の作品ヴァイオリン・ソナタ。冒頭からヴァイオリンのストレートに心に訴えかける音に圧倒される。そしてピアノの高い集中力と絶妙なテンポ設定と音質、完全に二人が同じレベルの芸術性を持つアーティストならではの、質の高いインスピレーションを交換しながら演奏が進んでいく。特に第4楽章Adagioは、胸をえぐられるような深く暗い哀愁を帯びた表現。このデュオが当夜の白眉であった。続くブラームスのクラリネット三重奏は、クラリネットのふくよかで伸びのある音と、明瞭で安定した質の高いチェロが加わり、トリオの完全なる一致を見た。

休憩をはさんでベルクのクラリネットとピアノのための4つの作品op.5は、クラリネットを生かしながら無駄なく慎重に音を重ねるピアノに、歌のように表情豊かな旋律を奏でるクラリネット。デュオのバランスが絶妙な洗練度の高い演奏であった。二人の耳の良さが際立つ(フロストは今年9月NHK交響楽団と共演予定)。

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photos:Wolfgang Lienbacher

そして最後のブラームスの四重奏曲op.25もやはりアルゲリッチのプログラムと重なる。第1楽章はお互いバランスを考えるあまりやや控えめな表現になったり、ヴァイオリンとヴィオラのピッチの僅かな違いが気にはなった。が、全体の質の高さは変わらない。特に全員のエネルギーが高次元で発揮された第4楽章は渾身の演奏。あまり感情に埋没せずさっと奏される部分や、テンポの揺らし方で気になる箇所もあったが、すべては第4楽章のフィナーレに向けて慎重に設計された演出効果であった。

アルゲリッチと仲間たちも多彩なプログラムで目と耳を楽しませてくれたが、このアンスネスを始めとする5人は全員が同じクオリティの芸術性を共有しており、そこから生まれる高い緊張感と集中力に満ちた演奏は、忘れえぬ名演として身体と脳裏に刻まれた。

普段ソリストとして世界各地で活躍しているアーティストたちが、この地に集い、再会の喜びとともに、ステージで音楽創造の時間を楽しむ。そんなインスピレーションに満ちた空気を共有できるのが、音楽祭の醍醐味だろう。そんな時、モーツァルトの生まれ故郷、ザルツブルグの底力を感じる。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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