会員・会友レポート

音楽における九星 第一部 <第9回>相尅 II ― 木尅土

2017/12/20
「音楽における九星」金澤攝
◆ 第一部
<第9回> 相尅 Ⅱ ― 木尅土

当然のことながら、九星の影響は先生と生徒の師弟関係にも大きく関わっています。私が早くからピアノの師事をやめ、独学で現在の仕事―欠落した音楽史の補正作業―に専念するようになった背景には、師事した先生が悉く尅気(死気)に当っていたことが考えられます。

五黄土星の私は木星から責められる立場にありますが、短期間指導を受けた方も含め、先生方を振り返ると、見事なまでに三碧と四緑のオン・パレードです。唯一の例外だったのは宮沢明子氏(五黄)で、小学5年生で訪れた最初の日、中学校を出てすぐ海外へ行くよう勧めたのはこの先生でした。しかし、残念ながら十二支では「冲(ちゅう)」という、関係が永続しない組合せで(後に詳述します)、まさに因縁としか思えないシナリオでした。子供でしたから自分の意志で師事した先生はなく、お世話になった恩義は感じているものの、結果的に私の「クラシック嫌い」を助長させることになりました。そのことが現在につながっているのですから、何が幸いするやらわかりません。

私は3歳の時、近所のカワイ音楽教室でピアノを始めましたが、最初の先生(名前、生年とも不明)が暫らくで結婚してやめてしまったので、地元では定評があるとされる、I先生の許に連れて行かれました。当時40歳くらいの女の先生で、私は顔も覚えていません。

 3~4歳の頃、私が好んで毎日のように聴いていたSPレコードは、ムソルグスキーの「禿山の一夜」とサン=サーンスの「死の舞踏」でした。ピアノに向かってそんな感じの即興演奏を夢中になってやっていたのを思い出します。それがピアノ教室で与えられたバイエル、その他の教材を見て驚き、「こんな筈じゃなかった」と落胆します。「ドレミ」で音程を当てることなど簡単でしたが、このI先生はドイツ音名で答えることを厳しく要求しました。何の音の和音なのかは判るのに「ツェー・ゲー・ベー」などと置き換えるのに苦労してうんざりしてしまい、その様子を見た母は「この先生では音楽を嫌いになってしまう」とやめさせたのでした。半年も続かなかったと思います。

I先生は後年、私の活動ぶりを知って、「そんな特別な子供には見えなかったが」と話していたことを伝え聞きました。

ところが後に私が結婚した妻が、学生時代にI先生の指導を受けたことがあり、素敵なピアノを弾く先生だった、と語りました。I先生が四緑木星だということがその時に判り、八白土星の妻は四緑とはうまく折り合えていたわけです。今もご健在と聞き、それなら今度の私のシリーズ・コンサートにI先生をご招待しようか、という話になりました。幼い頃に見た、あの先生はどういう人だったのか、確かめてみたい気持ちもありました。

しかし、招待状を持って訪れた妻へのI先生の対応は冷淡なものでした。

「このチラシにあるスタマティ、ル・クーペ、ローズランて何?これは作曲家?曲名?こんな人の知らない曲ばかり弾くことに価値があるのかしらね」――妻は招待状を持ったまま帰ってきました。

自分の許を去った生徒が活動するのは面白くないのでしょうか。尅気が持つ不幸と同時に、音楽をやっていてさえ、世の中にはお互いに関わらないほうがいい人がいることを、実感させるようなできごとでした。
(2017.12.11)

この連載について

作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。
(ピティナ読み物・連載 編集長)


ピティナ編集部
【GoogleAdsense】
ホーム > 会員・会友レポート > 音楽における九星> 音楽における九星 第...