会員・会友レポート

【研究概要】ショパンによるバロック音楽の受容に関する研究/加藤一郎先生

2017/03/17
研究概要 ショパンによるバロック音楽の受容に関する研究

加藤一郎先生(正会員)を中心として進められた研究「ショパンによるバロック音楽の受容に関する研究」の成果報告書が間もなく発刊されます。

演奏者や指導者にとって重要な知見が提供されているのみならず、クラシック音楽の愛好者みなにとって魅力的なテーマです。加藤先生より研究内容の概要を紹介する文章をご提供いただきましたので、以下に掲載します。

今回、日本学術振興会科学研究費補助金により、表記のテーマで研究を行い、研究成果報告書を発刊する運びとなりました。

研究テーマ:ショパンによるバロック音楽の受容に関する研究
この研究の意図と内容について

フレデリク・フランチシェク・ショパン(1810--1849)がバロックの美学から大きな影響を受けていたことは広く知られています。しかし、彼がそれをどのような過程で受容し、どのような方法で自らの音楽に応用し、或いは様式化していったか、ということについては中々明らかにされてきませんでした。本研究の目的はそれらの点を明らかにすることにあります。

先ず、ショパンによるバロック受容にはどのようなものが含まれているかを挙げると、あの美しく儚い旋律の中の、特に装飾技法の殆どはバロック期のオペラ(ベル・カント唱法)の中で広く用いられていたものでした。ショパンは10歳になる前から、貴族の館でヨーロッパ有数の歌手の歌を聴いていた記録があります。また、ショパンは15歳から学校のミサでオルガニストを務めていましたので、そうした経験が、後の作品の中のコラール書法(多くのノクターンやスケルツォの中間部)に活かされ、オルガン(或いはチェンバロ)的な運指法やスティル・ブリゼ(リュート様式)等を学ぶきっかけになったことも充分に想像ができます。それが多声的なテクスチュアを独特の運指法と柔軟なタッチで弾く彼の演奏スタイルに大きな影響を与えたことも充分に考えられます。そして、最も重要なのが対位法です。

彼は対位法を人生の中で2度、徹底的に学びました。1度目は1826?27年にワルシャワ王立大学付属中央音楽学校でユゼフ・エルスネルから受けた教育によるもので、エルスネルは主にキルンベルガーの『純粋作曲技法』を用いて生徒達に対位法を教えていました。この古典的な対位法で、ショパンは直ぐに類別対位法や華麗対位法、模倣対位法、二重対位法をマスターしていき、彼は《ソナタ》第1番作品4や《ラ・チ・ダレム・ラ・マーノによる変奏曲》作品2では、模倣対位法とラメントバスを重複する手の込んだ方法を用いています。しかし、何故か、彼は中央音楽学校を卒業した後、急速にそれらを用いなくなりました。

ショパンはその後、1831年の秋にフランスに渡り、パリで本格的に活動を始めましたが、バッハを欠いたパリではバロックの復興は遅々とした歩みで行われており、バッハよりもヘンデルやペルゴレージの方が良く知られていました。バロック期の多くの音楽家の作品が散逸的に演奏されていた訳です。しかし、ショパンの中ではバッハを中心としたバロック音楽への強い尊重が受け継がれており、自身の音楽が円熟してきた頃、再び対位法に強い関心を抱くようになりました。ショパンは1838年11月にバッハの楽譜を携え、ジョルジュ・サンドと共にマヨルカ島を訪れ、そこで《24の前奏曲》を完成させましたが、翌年、ノアーンに戻ってからもそのバッハの楽譜に手を入れていました(フォンタナに宛てた8月8日の手紙。Sydow編, Korespondencja Fryderyka Chopina, t.1, p. 353)。ショパンは、その年にオクターヴの《カノン》ヘ短調の草稿を書き、《バラード》第2番の中間部分に簡潔なカノンを挿入していますか、中々思ったようには書けませんでした。そこで、彼は自ら対位法を学び直すために、1841年にケルビーニの『対位法とフーガ教程』を入手し、その中から3つの範例を写譜する程、熱心にそれを研究しました。それがショパンによる対位法研究の第2段階と言えるものです。ケルビーニの対位法はテーマが半音階的であることや、一定の規則の下での自由な転調を認め、異名同音的な転調も認めるものでした。これは、18世紀以前の対位法を和声で潤色したものと言えます。その結果、ショパンはフル規格のフーガではなく、短くてもより密度の高いカノンを書き、様々な曲の中に挿入するようになりました。カノンが挿入された曲は、少なく見ても《マズルカ》作品50-3(1842)、《バラード》第4番作品52(1842-43)、《マズルカ》作品56-2, 3(1843-44)、《ソナタ》第3番作品58第1楽章(1844)、《マズルカ》作品59-3(1845)、《幻想ポロネーズ》作品61(1846)、《ノクターン》作品62-2(1846)、《マズルカ》作品63-3(1846)、《チェロ・ソナタ》作品65第4楽章(1846)、《マズルカ》作品68-4(1849)等が挙げられます。それらは当初は2声で書かれ、テーマの重複が殆ど見られない素朴なものでしたが、声部が増え、テーマが次第に重複するようになりました。生前、最後に出版された《チェロ・ソナタ》第4楽章に挿入されたカノンは、半音階的なテーマで書かれ、異名同音的転調や半音階的転調を含むものです。そして、最後の《マズルカ》に至っては殆ど調性が確定できず、これはショパンがケルビーニを遥かに超え、トリスタン和声を先取する所まで行ったことを示しています。この曲には言葉では言い尽くせぬ程の複雑な思いが込められていたのではないでしょうか。ショパンのバロック受容の内、対位法に関しては、フーガではなく、深く考え抜かれ、精緻に仕上げられたカノンを彼は専ら用い、半音階的転調を含む独自の様式化を行っていました。これが、メンデルスゾーンやシューマン、そしてリストが行ったバロック受容との大きな違いと言えましょう。

報告書について

報告書1には、この「対位法」以外に、研究グループの方々による非常に興味深い論文が掲載されています。内容は次の通りです。

I
マリア・シマノフスカの『音楽帳』における18世紀音楽様式の残滓 Vestige of the 18th-Century Musical Style in Maria Szymanowska's Album Musical
重川真紀 SHIGEKAWA Maki
II
ショパンによるオペラを通したバロック様式の受容過程に関する実践的研究―ポーランド時代―
An Empirical Study of Chopin's Reception of the Baroque Style through the Opera: The Polish Period
加藤一郎 KATO Ichiro
III
ショパンの多線的書法―そのピアニズムの観点から―
Chopin's Polylinear Writing: From the Viewpoint of His Pianism
西田諭子 NISHIDA Satoko
IV
ショパンによるバッハ《平均律クラヴィーア曲集》の研究―ポーリーヌ・シャザレンの楽譜への書き込みの分析を通して―
Chopin's Study of Bach's The Well-Tempered Clavier: Analysis of His Comments on Pauline Chazaren's Score
加藤一郎 KATO Ichiro
V
ショパンの後期作品とケルビーニの『対位法とフーガ教程』
Dernières oeuvres de Chopin et Cours de contrepoint de Cherubini
大迫知佳子 OSAKO Chikako
VI
ショパンによるバロック様式の受容に関する総合的研究
A Comprehensive Study of Chopin's Reception of the Baroque Style
加藤一郎 KATO Ichiro

報告書2では、ショパンの師ユゼフ・エルスネルに関する唯一の研究書(ポーランド語)を西田諭子氏が全訳しました。これによってエルスネルの生涯に亘る音楽活動は勿論のこと、ショパンが彼からどのような方法で和声や対位法を学んだかが手に取るように分かります。

  • Alina Nowak-Romanowicz Józef Elsner (monografia), Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne (1957).
    アリーナ・ノヴァク=ロマノーヴィチ著『ユゼフ・エルスネル研究』
    西田諭子訳

尚、この報告書は、先ずは全国の大学、及びピティナを初めとする音楽の団体に送付させて頂くことになっており、その後の方法につきましては現在検討中です。

国立音楽大学・研究代表者 加藤一郎


ピティナ編集部
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