会員・会友レポート

2010年ショパン国際ピアノコンクール2位入賞 オーストリアの青年、インゴルフ ヴンダー(Ingolf Wunder)

2010/12/03
Ingolf Wunder
2010年ショパン国際ピアノコンクール2位入賞 オーストリアの青年、インゴルフ ヴンダー (Ingolf Wunder)
[インタビュー◎犬飼和子ヤンコフスキー]
PTNA正会員、フルブライト留学生として渡米、
その後1968よりウィーン在住、教師・ピアニストとして活躍。
 インゴルフ・ヴンダーはウィーンから2時間ほどの距離にある、リンツの出身である。子供の頃から様々なコンクールで成功していたので、ウィーンの私たちの音楽仲間でもよく知られた存在であった。特にオーストリア国内コンクールのプリマ・ラ・ムジカで全国1位になったことがあったので、注目を浴びていた。ただし彼の噂は「驚異的なテクニックの持ち主」というレッテルが貼られていた。
 14才の時にウィーンのコンツェルトハウスでリストのメフィストワルツを異常なテンポと迫力で演奏し、オーストリアの「例外的ピアニスト」というイメージを与えたものだ。概してオーストリア育ちのピアニストは国際の場に出ると、音楽的だがテクニックが弱い、と評価されることが多いからである。
 今回のショパンコンクールでは素晴らしい成長をとげた青年ヴンダーが脚光を浴びた。この成功の秘密を聞こうとインタビューを申し込んだところ、快く引き受けてくれたのでここに発表したい。
犬飼和子ヤンコフスキー:ヴンダーさんの子供の頃、リンツ時代にはどの様なことを勉強されましたか? 私は30年以上もウィーン市立音楽院で子供を教えて、どのように才能のある子を育てるか、ということを常に考えているものですから、興味があるのです。(予想外の質問に少し戸惑いながらも、こちらが質問する必要がないほどに話し続けてくださった。)

Photo:Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

インゴルフ・ヴンダー:リンツ時代の先生は、膨大な量の録音を聞くように薦めてくれたので、私はむさぼり食うようにCDを聞いて勉強しました。ホロヴィッツやルービンシュタインとか。多くのピアニスト達は私のアイドルでした。コンサートやCDをたくさん聞いて勉強したので、独学の部分が多かったと感じています。でも、このようにして幅広く聞いた事はとても大切だったと思います。そのリンツ時代にピアニストになりたいと決心したのですから。録音を数多く聴いていたおかげで、曲がとても早く進み、15才でリストのソナタなどを弾いていました。ウィーンでは生のコンサートをたくさん聞いて勉強しました。

2年半位前からショパンを集中して真剣に勉強したいと思い、アダム・ハラシェビッツ (Adam Harasiewicz) 先生のところに通いました。私は彼の唯一の生徒でした。彼はワルシャワとイタリアとザルツブルグに住んでいるので、ザルツブルグでレッスンを受けました。

アダム・ハラシェビッツはポーランド人で、ショパンコンクールで1位になっていますね。

1955年です。彼はピアニストとして演奏活動をしたけれど、どこの学校でも教師として教えたことはありません。彼にプライベートでおよそ半年位習った後、ショパンがよく理解できたと感じられるようになりました。そして再度ショパンコンクールにチャレンジしようと思ったわけです。2005年にも参加したけれど、あの時はちょっと試してみようと思っただけです。

2回受けて本当によかったですね。私は昨日偶然にインターネットでクラッカウアー交響楽団の演奏会のソリストがインゴルフ・ヴンダーで曲がショパンということを見つけました。それもウィーン楽友協会の大ホールです。いつ頃から決まっていたのですか?

Photo:Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

これはショパンコンクールの賞です。ファイナルの時にピアノコンチェルトをワルシャワのホールで弾きましたが、特にショパンの曲を弾くのに素晴らしいホールでした。私はピアノコンチェルトはピアノにオーケストラが伴奏をつけているのではなく、一緒に音楽するものと考えています。無意識にオーケストラにモチベ―ションを与えようと思っていました。コンクールはもちろん出場者にとって大変なストレスだけれど、あの場所で弾くこと自体が感激でした。ウィーンのムジークフェラインもとても素晴らしい音響で、気持ちよく弾けました。世界の最高のホールです。昨日はウィーンの楽友協会デビューのコンサートでした。

ショパンコンクールをいつかは会場で聞きたいのですが、学校を抜けられないのでまだ一度も行ったことがありません。なんとか昨日のコンサートは聞けたので嬉しかったです。アンコールが何度もありましたが、ウィーンの聴衆はコンクールの曲を全部聞きたいくらいだったのでしょう、拍手が止まなかったですね。難曲をバリバリ弾きまくっていた人が、素晴らしい音楽観で曲を表現するピアニストに成長していたのですから。

どうもありがとう。ピアニストにとって最高峰のショパンコンクールで2位になれてうれしいです。ただファイナルのコンチェルトではちょっとしたスキャンダル事件になったのですよ。「全員のスタンディングオーベーションの拍手が出たのはインゴルフ・ヴンダーだけだったのに、なぜ1位にならなかったのか」と批評家などが抗議しました。そのスキャンダルも助けになって、レコーディングやマネジメント契約の申込みがたくさん来ましたが。

最も重要なピアノコンチェルト賞や課題曲だった幻想ポロネーズ賞が取れたのだからよく認められていると思いますよ。音楽性で勝てたのですね。

音楽的だったと言っていただいて嬉しいです。若かった頃は皆からすごく技術があるが、音楽がない、と言われて悔しくて悩んでいました。しかし自分は絶対に音楽的だと知っていたのです。だから音楽を表現することを特に研究しました。

日本演奏旅行もあるようですね。大成功を祈っています。

昨夜は楽友協会のコンサート、午前中のこのインタビューの後、午後に再度ソロのコンサートがあるとのこと。急に忙しい新生活がはじまり、とても張り切っている様子。めずらしくオーストリアから強靭なテクニックと美しい音楽性を合わせもった実力者が出現したように思う。

犬飼和子ヤンコフスキー 


ピティナ編集部
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