2009浜コンレポート

浜コン:「審査員は何を考え、何を聴くか」インタビュー(4)ホアキン・ソリアーノ先生

2009/11/18
「審査員は何を考え、何を聴くか」、第4回は、スペインのホアキン・ソリアーノ先生です。

ソリアーノ先生は、スペイン音楽界を演奏・指導の両面から牽引してきた功労者であり、ピティナでも今年2009年のコンペティション・福田靖子賞選考会の審査員として来日していただきました。
また、2007年のロン・ティボー国際コンクールで、優勝した田村響さん(2002特級グランプリ)を高く評価し、「音のない瞬間にさえ、ヒビキの腕の中には音楽が満ち溢れている。それが何よりも素晴らしい」と評してくださったことも印象的でした。

ロン・ティボーやチャイコフスキーなど、常に国際コンクール審査の第一線にいるソリアーノ先生は、「何を考え、何を聴く」のでしょうか。


審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。

ソリアーノインタビュー1S:コンテスタントがどんな才能を持っているかを見出そうと、私は審査員としていつも大きな努力をはらっているつもりです。かつて、友人であった名ピアニストのニキタ・マガロフとロン・ティボー国際コンクールの審査で一緒になったとき、「なぜ君はそのように自分自身を拷問にかける(くらい真剣に悩んで審査する)のかね。我々が弾くわけではなく、コンテスタントが弾いて自分の能力を示すのだから、君はもう少しリラックスしたらいいのに」と言われたほどです(笑)。それは半分ジョークとしても、コンテスタントがどのような能力を彼らの内に秘めているのかを見出すのは、本当に難しいことなのです。

まず、コンクールで演奏することと、勉強のために(練習で)演奏することとは、かなり異なる事柄です。賞や褒賞コンサートが伴うコンクールという場では、演奏者は、課題曲について十分に準備ができていなければなりませんし、その後のキャリアへの準備もできていなければなりません。このことは意識して聴いております。

また、素晴らしい学校や教授のもとで音楽を真剣に勉強したいと思う人たちは、技術・技能については十分に準備できていないことはあるにしても、「何かを表現したい」という才能・意志を内に秘めていなければなりません。このことは非常に重要です。
スタイルの理解、指や腕の使い方、ペダルの使い方、そういった技術的な事柄を教えることはできますが、人間の内面にある資質・才能というのは、その人が生来、芸術家になるべくして持ち備えた性質であり、教師にもそれを「作る」ことはできないのです。自分の内側にあるそのようなものを、演奏者の側は「伝えよう」と努力しなければなりませんし、審査員は「見出そう」と努力しなければなりません。

これらのことを最優先として、その後に、良いテクニック(技術)、良い音、良い教育を受けているか、といった要素が加わってきます。指(メカニック)だけで表現しようとしているピアニストは、今はよくても、やがて飽きられ、忘れ去られます。それを乗り越えて音楽に迫ろうとする内面を持っていない人は、芸術家としては「終わって」いるのです。そこが最も重要なところです。


もし生徒さんがコンクールを受けると言ってきたとき、先生はどのようなアドバイスをし、指導をなさっているでしょうか。

S:まず第一に、生徒はコンクールを受けるということを先生に相談すべきです。時折、生徒は先生の知らないところでコンクールを受けていたりしますが、それはいけません。コンクールに出場する際に重要なのは「準備が整っているか、今受けるべきか」ですから、指導者がそれをきちんと判断したうえで納得して「コンクールを受けてみなさい」と許可しない限り、生徒はコンクールを受けるべきではないのです。

「準備」というのは、単に課題曲が準備できているというだけではなく、「自分の持っているものを出し切る準備」ができているか、ということです。自分自身に誠実に、良いスタイルで演奏しよう、という心構え・内面の準備が整っているかが必要になります。そうでなければ、ただホールでやかましい音を出し、呼吸や歌のない音楽を奏で、聴衆を退屈させるだけです。それを判断するのは、指導者の一つの重要な役割ではないかと思います。


話は変わりますが、若い人たちがクラシック音楽を学び、演奏家になろうとする環境はますます厳しいものになっている現在、「指導者」が果たしていく役割、どのように若い人たちと接していくべきか、についてどのようにお考えでしょうか。

S:教師がまず「正直」(honest)でなければならない、ということが大切だと思います。

現代において、コンサート・ピアニスト、特にソリストとして活動していくのは、最高に難しい事柄で、それこそポリーニのような人たちは数少ない例外だということ、音楽を勉強し続けることには大きな犠牲が伴うものだということを、若い人たちは知らなければなりませんし、教師は「正直」にそれを若い人たちに伝えなければなりません。

ソリアーノインタビュー2室内楽や声楽のプレイヤーとして活動するほうが、もう少し可能性があるといえるでしょうか。実際、室内楽や声楽に取り組む奏者たちというのは本当に音楽的であることが多く、良い弦楽器奏者・歌手がたくさんいますから。ピアノを勉強している学生には、シューベルトやシューマンの歌曲、ブラームスの交響曲、バッハの宗教曲などを聴いたこともない人が多いのですが、これらを積極的に勉強して、他の楽器の奏者と触れ合っていくべきでしょう。

そういえば余談ですが、このコンクールの1次でバッハ平均律が課題になっていましたが、私にはなぜ多くのコンテスタントがあのようにドライに、歌のないバッハを仕上げるのか、理解に苦しむところがあります。
バッハの時代から唯一変わっていない楽器、それは「人間の声」です。マタイ受難曲やヨハネ受難曲の合唱は、バッハの時代も、今と変わらず豊かに情熱的に響いていたのです。「歌う」という行為は確実に存在したわけです。ですから、ピアノでバッハを弾くときもレガートを大切に「歌う」気持ちを常に持って演奏するべきではないでしょうか。

話を戻しますが、室内楽や声楽の分野を目指すこと、あるいは教師を目指すこと、は良いことだと思いますが、コンサート・ピアニストを目指すことは非常に難しい。そのことをはっきり伝え、生徒と共にキャリアを考えていくことが、教師には必要だと思います。


最後に、1次予選を終えて、これで今回浜松に登場するピアニストたちを一通り聴いたことになりますが(注:このインタビューは2次予選2日目に行われた)、今回の印象を差し支えない範囲でお聞かせください。

S:若い方々がとても優秀なのは大変嬉しいことだと思って聴いています。ただし、演奏を「ショー」だと思っているコンテスタントが何人かいたことは残念です。コンサートホールは劇場ではありませんから、不必要な動きにはごまかされません。その意味では、目の見えない方々のほうが音楽を聴くことについてはアドバンテージを持っていらっしゃるのかもしれませんね。目を閉じて聴いても、豊かな音楽が聞こえてこなくてはなりません。

また、再三申し上げるように、コンクールに対して物理的に準備ができていることと、内面的・音楽的に準備ができていることとは別です。このことは、依然として考えさせられる課題です。

審査結果については、ご存知のように投票で決められますが、審査員一人ひとりの好み(taste)が反映するものですから、良いと思ったコンテスタントが通過しないということもあります。
50年前には、ピアニストたちが世界中を行き来するなどということは、そう容易なことではありませんでしたが、現在は、日本で演奏した後、明日はアラスカでマスタークラス、またその次は南アフリカでコンサート、ということが可能になり、世界の主要な音楽学校にも、多様な地域からの教授や学生が入り混じっている状態ですから、審査員の好みというのも、どんどん多様化・複雑化してきているのは当然のことと思いますが、そのことは、ここ浜松でも改めて感じております。

お忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。

テンションがあがるとつい早口になってしまう情熱的なソリアーノ先生。かと思えば、突然「好物はカキフライと言ったら、中村先生に大笑いされちゃったよ」と茶目っ気たっぷりに語ってくれます。

「審査員は何を考え、何を聴くか」、次回は中国のシュ・ツォン先生を予定しています。



ピティナ編集部
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