ピアノステージ

Vol.13-3 ピアノのある生活(7) 中村香織さん

2010/10/07
中村香織さん
100回表彰を受賞した中村香織さん。チーフアドバイザーの林苑子先生より、記念品と継続表彰賞状が贈られた。(2010年5月30日目白バロックステップ@雑司ヶ谷音楽堂)

ピアノのある生活(7) 中村香織さん

 2010年5月30日、目白バロック地区のステップの会場で、前人未到の「ステージ100回継続表彰」を受賞した中村香織さん。そして3ヶ月後、ピティナ・ピアノコンペティション グランミューズ部門A1カテゴリーにて、全国決勝大会第2位の快挙となった。
 医師というハードな仕事をこなす中で、ピアノの「継続は力なり」を見事に体現された中村さんに、100回の過程と飛躍を伺った。

「どこまで這い上がれるか」という挑戦

 ステップ初参加は、3年間のブランクを経てピアノを再開した、2004年。緊張のあまり、本番での演奏は止まりまくり、同年のグランミューズ部門B1カテゴリーでは、2地区ともにあっけなく予選落ちだった。
 「この3年間は、鬼のように仕事が忙しく、家にもろくに帰宅できない状態だったので、ピアノからまったく遠ざかっていたんです。その間に、自分はここまで落ちたのか、ここまで弾けなくなったのか...と、痛感。そこで落ち込むのは簡単だったのですが...、もう1度、どこまで這い上がれるか、やってみるか?と自分に問うた記憶があります」と振り返る。
 以降、年間10~20回ものハイペースで、ステージ数を積み重ねてきた。週末のステップ参加が「日常」と化し、「私は"ステップ中毒"かも...」と笑顔で語る中村さんのピアノ生活は、8月のコンペティション終了とともに、次の1年のサイクルがはじまる。その最初のアクションが、「新曲物色」だ。

1年のサイクル
「1年後に8.8に届く曲」をステージで探し出す

 「点数だけが全てではないとはいえ、やはりコンペに参加するとなると、全国大会に届く目標としては8.8程度の点数を取らなければなりません。1年かけて、地区本選で8.8が出せる可能性がある曲、というのが1つの選曲におけるラインにしています。現在の私の技術力は、E級ぐらいのところにあると思っていますので、F、G、特級で頻出するような作品は、あえて今は選んでいません。」
 20代前半まで、「明けても暮れても、ロマン派ばっかり弾いていた」という中村さんに、バロック、古典、近現代のレパートリーが全くなかった。この偏りを何とかしようと、25歳ごろから、まず古典に力を入れ、35歳ごろからはバロックと近現代に力を入れてきた。
 「40歳を目前とした今、バロックや古典、近現代は自分にとって、むしろロマン派よりも大きな強みとなることがわかってきました。これからはむしろ積極的に、"かつての苦手分野"であったこれらの選曲を、積極的に取り入れて行きたいと思っています。」

ライブ音源と講評用紙をもとにレッスンで検証

秋山徹也先生のピアノレッスンで、講評用紙をもとにディスカッション


目白バロックステップでは、J.S.バッハの「パルティータ第4番よりアルマンド、クーラント」を、チェンバロとピアノで演奏された。
目白バロックステップでは、J.S.バッハの「パルティータ第4番よりアルマンド、クーラント」を、チェンバロとピアノで演奏された。

 毎回のステージ経験を、次のステージに、どう活かし目標立てをしていくのだろうか。
 「ステップでは、ほぼ毎回、自分のmp3レコーダーを回しています。翌週のレッスンで、このライブの音源を先生に聴いてもらいながら、講評用紙をまじまじと検証する、という作業が、最近のパターンですね。」

チェンバロとの出会い

 100回の中には、その後のピアノ演奏に大きな影響を与えるような、ステージ体験にも出会うこともあるだろう。中村さんにとって、2008年11月の美浜ステップでのチェンバロ初体験が、重要な転機になったという。
 「ほんの冗談のつもりで参加したのですが、あれがミイラ取りになり、そのまま杉並ステップ、目白バロックステップへつながり、結局チェンバロを習う羽目になっていきました。バロック作品に力を入れ始めた時期に、自分の中でチェンバロという楽器が大きくクローズアップされ、ピアノ演奏にも大きく生かされています。」

耳の成長、精神の成長
2010年度ピティナ・ピアノコンペティション(A1カテゴリー) 全国決勝大会の演奏の様子@王子ホール
2010年度ピティナ・ピアノコンペティション(A1カテゴリー) 全国決勝大会の演奏の様子@王子ホール

 100回のステージを通して、ご自身がもっとも成長したと感じる点は何だろうか?
 「どの時代の作品であっても、常にいくつかの"層"として認識できようになったこと。つまり、横の"ライン"だけでなく、縦の"層"の響きとして、同時に認識できるようになったことです。もちろん、まだ完全ではありませんが、2004年以前の自分は、横のラインだけでしか認識できておらず、しかも"ソプラノだけ"といったような極めて少ないラインでしか認識できていませんでしたね。」  "ステージ慣れ"も、今回のコンペティションの入賞結果につながっている。
 「そういえば、この1年ぐらい、手が冷たくならないですね。それさえも懐かしい症状です。もう今後そういう経験も無いのかなあ。寂しいな、それはそれで...。」と苦笑する。本番直前の緊張からくる「手の冷たさ」が気にならなくなったのは、「手が冷たくなろうが、実は指は普段通りに動くということを、経験的に知ったから」という。
 ステージの「緊張」との付き合い方は、中村さんにとっても大きな課題だった。何日も前から、ご飯が口に入らなくなることや、悪夢にうなされることは、ステップ初参加当時の中村さんにも、例外ではなかった。
 「緊張の原因は、"他人の前で少しでもエエ格好したい自意識過剰な自分"が作り出した、"失敗する自分の幻に怯える自分"なんです。"自分とは、これほどまでにエエ格好したい自意識過剰で愚かな生き物である"と認識してしまったら、それらの症状が急に治ってきました。これは一種の"悟り"ですね(笑)。」

アマチュアピアニストとしてのビジョンをもつ
ある日の1日
6:40 起床
7:10 家を出る
7:30 貸しスタジオで朝練を1時間ほど
→終わると徒歩で職場へ
9:00 午前中の外来業務
12:00 昼休み。自分の診察室に籠って、膨大な量の書類を片付ける→余った時間は、読譜タイム
病院の職員たちが寛ぐこの時間帯の職員室には、あえて居らず。心電図読影から保険の意見書類作成まで、その日の依頼分はすべて片付けてしまうのが、私のポリシーです。
14:00 午後の外来または往診業務
17:00 月/水は帰宅(火/木は18:00~夜間外来業務)
18:00 帰宅後は、レッスンまたは家で自主練習
コンペ前の1日のトータルの練習量は、3時間~3時間半、普段の時は、朝練はしていないので、実質1時間半~2時間程度かな?
1:00頃 就寝

 「継続は力なり」|理解はしていても、実行は難しいもの。継続のモチベーションを維持するために、中村さんが大切にしていることは?
 「まず、コンクールで落ちても、妙に凹まないことです。たまにいますよね、"自分を全否定された"かのように凹んで、"もう二度と受けない!"とか言い出す人...(笑)。コンクールは、選曲を間違うと結果が180度変わりますし、その時の受験者や審査員の顔ぶれでも、結果は全然変わってしまいます。1つのコンクールの1会場の結果が、自分の音楽性やポテンシャルの全てを反映しているとは限りませんから。」
 ひとたびの結果に流されないために、大切なのが、ビジョンだという。「10年後に自分は、どういうアマチュアピアニストでありたいのか、そのビジョンをまずしっかりもつこと。そのためには、自分に何が欠けていて、何を勉強し、何を経験しなければいけないのか、具体的な形で認識することでしょうか。」
 そんな中村さんの10年後のビジョンは、ソロ・リサイタルを開くこと。
 「アマチュアのピアノ弾きには、ソロのリサイタルをしてみたいという最終的な目標があります。私もその一人です。そのためにも、四期の作品を、バランスよくレパートリーとしていきたいと思っています。今後もステップのステージ経験を、その夢をかなえるための糧にしていきたいですね。アドバイザーの先生方からのメッセージは貴重なアドバイスです。どんどん厳しいコメントをいただけるとうれしいです。」

白衣に聴診器を肩に下げた、医師姿の中村香織さん
白衣に聴診器を肩に下げた、医師姿の中村香織さん
中村香織
愛知県出身、東京都在住。徳島大学医学部卒業。在学中は「ピアノ同好会」に所属。卒業後は上京し、大学病院の内科医として勤務するが、ピアノを弾く余裕のない激務の日々が続き、退職。現在は、都内の診療所の内科・循環器科の医師として勤務している。1997年にピティナ・ピアノコンペティションに参加したことをきっかけに、コンペ、ステップに参加。2006年ピティナピアノコンペティション グランミューズ部門B1カテゴリーで全国大会進出。2010年5月30日目白バロックステップにて、ステージ100回継続表彰を受賞。同年ピティナピアノコンペティション グランミューズ部門A1カテゴリーで全国第2位受賞。現在、秋山徹也、金子一郎、田部京子、各氏に師事。当協会グランミューズ会員。
取材・文:霜鳥 美和


ピティナ編集部
【GoogleAdsense】
ホーム > ピアノステージ > > Vol.13-3 ピ...