日本洋琴演奏小史

第1部 東京音楽学校の1909年事件と プロイセン王立ベルリン音楽大学(1)

2016/08/12
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東京音楽学校の1909年事件と
プロイセン王立ベルリン音楽大学
1.留学生・外国人音楽家と日本ピアノ演奏の伝統
要約すると・・・
  • 日本のピアノ演奏に独自の負の伝統を指摘する意見もあるようです。
  • しかし、日本のピアノ演奏は海外の影響を長く、とても強く受けてきました。
  • 日本だけの独自の孤立した伝統は本当に実在するのでしょうか?

橘糸重「天も地ものろひの声を叫びいでてわが身あざける木枯の風」
(伊東1998:156頁)

東京音楽学校ピアノ科教授橘糸重(1873-1939)は天才的な歌人であり、伊東一夫によれば「もし彼女が専門歌人であったなら、おそらく与謝野晶子に匹敵する大歌人になったであろうとは、評者のひとしく認めるところである」(同前)。

橘の鋭く悲しい歌はピアニストの苛烈な人生があって生まれた。彼女のようなかつて日本で活動した女性ピアニストは音楽だけでなく私生活まであげつらわれて、妄想の種にされて、男尊女卑の風に悩まされた。

最近でも、かつての日本で活動したピアニストの事績について問題点が指摘される場合がある。日本ピアノ演奏にはヨーロッパの近代的なピアノ演奏から孤立した負の伝統があり、昭和のかなり後の時期まで画一的で規格化されて、教師のやりかたを踏襲するだけで、無理で不自然な奏法によって特徴付けられるという印象もかなりの影響力があるようだ。そして、このような議論の延長で、かつて日本に生きたピアニストたちを負の伝統を生みだして担った存在と位置づけた議論もしばしば展開されてきた。

ピアニストは自由で自然な奏法を獲得しようと望み、創意と独自性に富んだ演奏を実現しようとする。指導者は教え子が自発性を身につけることを願い、できるだけ理に適った奏法を指導しようとする。これはほとんどすべての場合に真理だろうが、人間は不完全な生き物であり、努力がいつもうまくいくとは限らない。

一世紀を越えた日本ピアノ演奏の歴史を顧みれば、今日の立場からはどこかに負の要素を見いだすこともできるだろう。

ただ、負の要素が日本ピアノ演奏の伝統を完全に埋めつくすものであり、それが欧米の潮流から本当に孤立したものだったのかも考えなければならない。昭和に、日本は1930年代末期から45(昭和20)年の敗戦を経て51(昭和26)年のサンフランシスコ講和条約締結まで国際的孤立を経験した。しかし、それ以外の時期についてみれば、現代とは比べものにならないにしても音楽の分野で国際交流が行われていた。

第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦までの20年間に欧米から日本を訪問した著名なピアニストに、レオポルト・ゴドフスキー(1922/23年来日)、アレクサンダー・ブライロフスキー(1932年来日)、ベンノ・モイセイヴィッチ(1933年来日)、イグナツ・フリードマン(1933年来日)、アルトゥール・ルービンシュタイン(1935年来日)、ヴィルヘルム・ケンプ(1936年来日)などの大家がいた。

蓄音機とSPレコードによって欧米の大家の演奏を聴くこともできた。野村胡堂(あらえびす)が当時の網羅的レコード案内本として『名曲決定盤』を発表するのは1939(昭和14)年のことだ。大家の来日公演やレコードを聴くだけでは、演奏と教育のありかたを変化させるには不十分と考えるにしても、綺羅星のごとき名ピアニストから日本のピアノ演奏はまったく影響を受けなかったのだろうか

さらに大きな問題がある。明治初期から現代まで、多くのピアニストが留学生として欧米で学んで、帰国後は日本楽壇の中心として活躍した。日本に外国人ピアニストも住んで、ふたつの世界大戦の間も演奏と教育に活躍していた。日本の音楽文化に、かれらがもたらしたものは無視できない。

多くの留学生を送り、在日外国人ピアニストもいて、日本のピアノ演奏に世界から孤立した負の伝統ができあがるというのはどういったことなのだろう。単純に考えれば留学生や外国人音楽家の存在と負の伝統という仮説は矛盾しているようだ。

しかし、欧米から帰国した留学生と在日外国人ピアニストがいても、人材を使いこなせず、かれらが不遇をかこって音楽活動の周辺部に属する結果となり、日本ピアノ演奏のありかたを動かすことなどできなければ、日本ピアノ演奏はヨーロッパの動きと孤立したものになるかもしれない。

日本から留学したピアニストたちはヨーロッパやアメリカで少数派の音楽的傾向を学んだのかもしれない。日本で活動した外国出身の音楽家は欧州ピアノ演奏の主流をはずれた音楽家だったのかもしれない。それならばヨーロッパの大勢とは違った演奏のありかたを日本にもたらした可能性もある。

こうした点を確かめて、ようやく日本ピアノ演奏の歴史と伝統を議論する出発点に立つことができるはずだ。

今回、名前のあがったピアニストたち
  • レオポルト・ゴドフスキー(1870−1938)
  • アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)
  • ベンノ・モイセイヴィッチ(1890-1963)
  • イグナツ・フリードマン(1882-1948)
  • アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)
  • ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)
  • 橘糸重(1873-1939)
Bibliography
  • 秋山龍英編著『日本の洋楽百年史』(第一法規、1966年)
  • あらえびす『名曲決定版』(中公文庫、1981年)
  • 伊東一夫『藤村をめぐる女性たち』(国書刊行会、1998年)

山本尚志
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