ピアノの19世紀

あとがき

2009/11/06

 「ピアノ音楽風土記」と題して、長い連載を続けてまいりました。ピアノが登場していたら、ピアノとピアノ音楽がどのように形成されていったのかということを、歴史的な事柄だけではなく、地理的な側面も含めて概観してきました。そこから浮かび上がってくることは、ピアノ音楽史は、ピアノという楽器の音楽史ではないという点です。ピアノ音楽史は、ヴァイオリンなどの弦楽器音楽史や、トランペットなどの管楽器音楽史とは異なる意味を持っています。それはこの楽器がなぜ17世紀末に登場したのか、そしてどのように発展していったのかという歴史的な要因が大きく関わっています。
 ピアノ音楽史は近代の音楽史そのものといっても過言ではありません。この楽器とともに近代が形成されていきました。その形成過程において、市民社会の興隆や、近代産業社会の成立、国家主義などの政治的な動向、女性の役割、そして社会な美的な嗜好の変遷などが複雑に関与していきました。これらのさまざまな要因が、ピアノ作品の創作や作曲家の活動のあり方を規定していきました。市民社会の興隆によって、富める市民を対象としてピアノ産業が興り、またピアノ音楽の作曲が促進されました。
 初心者から中級、上級向けの「練習曲」の作曲が行われるのは19世紀であった点は重要です。クレメンティ作曲の「グラドゥス・アド・パルナッスム」がピアノ音楽史上において果たした意味の大きさは注目すべきです。この練習曲は、ピアノ教育が広く社会に広まったことを示しており、ピアノと社会の関係を非常に明確で象徴的に規定したからです。
 「勤勉な練習」、これは勤労者の美徳であり、近代資本主義を促進していった動因でもありました。社会学者のマックス・ウェーバーの名著に「禁欲的プロテスタンティズムと資本主義の興隆」がありますが、この「禁欲的」な精神と、労働、すなわち「練習」こそが、ピアノという楽器を支えた精神的な基盤といえます。
 そして次に考えなければならないのは近代的な「家族」の成立です。「家族」という思想は登場し、確立したのは18世紀末から19世紀前期にかけての時代です。「家族」は、一家すべてが等しく労働者となって家計を支えるという環境とは異なり、一家の家計を司るのは、家長である父親で、父親を頂点とする家族のヒエラルヒーが形成されていきます。そのなかで、息子や娘のあり方の理想が追求されていきました。そのなかで、女子教育とピアノが強い結びつきをもつようになります。ジェンダー社会の中で、ピアノ教育は、上流階級においては推奨されるべき女子教育の一科となったのです。
 ピアノは、新しい楽器です。そればかりではなく、ピアノは万国博覧会や産業博覧会での主要な出品品目となりました。それはなぜでしょうか。それは、ピアノは当時の最先端科学の粋を尽くした産業品であったからです。当時、ステンレスのワイヤーや、鋳鉄のフレーム、高圧フェルトの成型、木製のアクションの機構、象牙の加工技術など、そのどれをとっても最先端の技術でした。今日のコンピュータや自動車を考えれば推測はつくと思います。この新型ピアノは、当時の科学技術の結晶でした。このピアノの性能を確かめるべく、万博では世界中からバイヤーが終結しました。そして、ピアノは世界中でよく売れました。ドイツは産業技術の発展の面では後進国でしたが、19世紀後半にベヒシュタインやブリュートナーなどのメーカーの創立によってドイツのピアノ製造業は大きく躍進します。そして、ドイツではピアノは南米やオセアニア地域に向けて最大の輸出品のひとつとなりました。
 近代輸出産業となったピアノは、音楽文化にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。ピアノこそが、西洋グローバリゼーションのもっとも象徴的な姿といえるのではないでしょうか。ピアノは、同時に社会の近代化と文明化、富める社会、新しい家庭環境や生活など、未来の幸福を一身に担ってきたといっても過言ではありません。西洋に続いて、アメリカ、そして日本、韓国や中国へと、ピアノ文化は拡散していきましたが、それは近代産業文化の伝播と発展と同じ軌跡をたどっています。
経済の不況の影響だけではなく、これまでのクラシックの価値観の変質及び解体が進み、それぞれの国の自国の本来の文化に目が向けられるようになると、西洋グローバリゼーションも変質を余儀なくされてきています。そのなかでピアノ文化はこれからどのように新しい姿を見出していくのでしょうか。
そもそも西洋においてクラシック文化が成立したのは19世紀においてです。それまでは、音楽会での演奏曲目は、最新の作品によって占められていました。しかし、19世紀を境にその価値観が急速に変容していきました。とくに1814 ─ 15年に開催されたナポレオン戦争の戦後処理のためのウィーン会議において、旧体制の秩序回復が根本命題となりました。それに連動して、社会は歴史主義の影響のもとに、伝統への回帰が大きな思潮となっていきました。普遍で不動の古典的価値に対する志向から、伝統が再発見され、また古典的な価値観を遵守することが、社会の上層階級の倫理観であり価値観となっていきました。クラシックという古典的価値が絶対視されたのはこのような歴史的なパラダイムの転換が影響していました。
このクラシックの不動の価値観は、音楽だけではなく、社会秩序や倫理観、宗教観においても連動していました。国家主義や国家主義的な家庭像、チェチーリア協会に見られるような宗教的規律の強化が、同時に進行していました。
ピアノという楽器は近代のこうした枠組みの中で成立し、ピアノ音楽が作曲され、享受されました。しかし、こうした構造そのものが、二度の世界大戦によって解体され、「西洋の没落」が現実のものとなるに伴い、「クラシック」の絶対性の土台も揺らぎ、クラシック文化の屋台骨を支えたピアノ文化も変質を余儀なくされてきました。

 ピアノとピアノ音楽を通して近代から現代にかけての多くの事柄が透視されてくるようです。それではピアノを通して、未来のピアノ文化を透視することは出来るのでしょうか。クラシック文化は、前衛を排除するところで成立したところがあります。18世紀から1930年代位までのレパートリーを繰り返し演奏し、また享受する循環構造のなかに、クラシック文化は自足しています。モーツァルトベートーヴェンの時代は最先端の音楽を作曲し、また評価することを第一に考えていました。しかし、クラシック文化は、前衛には背を向け、古典的音楽の享受に閉塞してしまいました。つまり、伝統的なクラシック文化において、20世紀そして21世紀の新しく生み出されてきた音楽をレパートリーに含むことはとても稀です。19世紀に培われた「反前衛」という精神構造は同時に、「名曲」と「有名作曲家」への固執という現象とも連動しています。つまり、特定の時代の特定の作曲家の特定の作品のみを繰り返し聞き続ける、という現象です。
 今、この循環構造がほころんできています。最初に指摘したいのは、レパートリーの拡大です。とくにナクソスというレーベルでは、歴史の闇に隠されてしまったさまざまな作曲家の珍しい作品を次々と発掘し、大きな驚きを私たちに与えてくれています。これらの音楽は、ひところ、「マイナー作曲家」や「レア物」という名で、一部の骨董趣味の収集家のたしなみと見られていましたが、近年、人々の意識は変化してきていて、歴史をもっと立体的に見たいという志向性が高まってきています。これはピアノ文化にとって大きな活性化となっています。この問題意識は、20世紀音楽史にも及んできております。
 第二点は、クラシックという概念そのものの限界の認識です。ポピュラーとクラシックは二分法で扱われますが、いつから二分されるようになったのでしょうか。戦後のアメリカ社会では、反ベトナム戦争の機運の中から、ロックやヒッピーという文化が生まれました。この文化は、上からの権威への徹底的な抵抗を特徴としていました。この文化は、クラシックへの抵抗でもありました。私たちはもっと幅広く音楽を知り、生きた演奏の舞台に、時代の新鮮な息吹を送り込む必要があるのでしょう。かつて、名ピアニストのフリードリヒ・グルダが、ベートーヴェンとクラシック文化に対して強烈なアンチテーゼを表明して話題になりました。彼は制度としてのベートーヴェンやクラシック文化を否定し、音楽を行うことの原点に立ち返ろうとしたのです。今、現代に生きる音楽とは何か、という視点から音楽を見直さなければならない時期に来ています。
 第三に、今生み出されている音楽に対して、ピアニストや聴衆はもっと反応すべきなのでしょう。シェーンベルクベルクヒンデミットブゾーニなど20世紀前期の作曲家のピアノ作品でさえ、レパートリーに含まれる機会は稀です。まして20世紀後半のピアノ音楽となるとさらに稀になっています。作曲家とピアニストと聴衆がいっしょに時代を作り上げていく思潮が求められていると思います。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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