ピアノの19世紀

11 ピアノ音楽風土記  イタリア  その1

2009/06/12

 18世紀音楽は、オペラと協奏曲、とくに弦楽器を主体とした協奏曲の創作の面でイタリアは諸国を圧倒しました。それではピアノ音楽においてはどうだったでしょうか。
 ピアノ音楽の歴史において、クリストフォリの考案とジュスティーニの創作は特筆に値します。チェンバロやクラヴィコードとは異なる、フォルテとピアノを自在に表現することの出来る楽器の考案は、その後の音楽史を大きく塗り替えることになりました。
 クリストフォリの制作したフォルテピアノは、その後どのような発展段階を経たのでしょうか。一つはドイツのジルバーマン一族です。アンドレアス(1678-1734)とゴットフリート(1683-1753)兄弟は、クリストフォリの楽器を改良してドイツ語圏におけるフォルテピアノのその後の歴史に貢献することになります。バッハがベルリンのフリードリヒ大王の宮廷で演奏したのもジルバーマンのフォルテピアノです。
 そして、クリストフォリのピアノはスカルラッティのもとで新しい発展を見ます。彼はリスボン宮廷楽長となり、王女マリマ・バルバラの教師となり、彼女がスペイン王妃となると彼も彼女に帯同してスペインに移りますが、マリア・バルバラのもとにはチェンバロのほかに、5台のフォルテピアノが用いられたと見られており、スカルラッティの作品はピアノの発展に少なからぬ貢献をしました。
 さて、18世紀後半から19世紀にかけてのイタリアのピアノ音楽はどのような状況だったのでしょうか。イタリアにおけるピアノの意味は、市民社会が進行したロンドンや、サロン文化が発展しつつあったパリ、そして、富裕な中産階級が急速に勃興しようとしていたドイツ語圏とは趣を異にしています。ピアノの発展にはいくつかの条件がありました。それの重要な用件が産業の発展を背景とした市民階級の生成です。その点、イタリアは近代産業化社会の登場は、イギリスやフランス、ドイツ語圏からは大きく遅れます。それはピアノ製造業の発展がイタリアは非常に遅れたことからも分かります。イタリアにおけるピアノ音楽の発展は、これらの諸国とは異なる土台に立っていました。
 18世紀後半のイタリアにおけるクラヴィーア音楽の作曲家として指摘しなければならないのは、バルダサーレ・ガルッピ(1706-1785)です。彼はヴァネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長ですが、ペテルブルクの楽長も歴任しています。彼の次のパイジェッロもペテルブルクの楽長を務めています。実はこのロシアでの体験がこの二人に大きな影響を及ぼしています。ガルッピは何曲ものチェンバロ協奏曲やチェンバロ・ソナタを作曲していますが、彼がフォルテピアノの作品を作曲したかどうかは明らかではありません。
 しかし、彼の後に登場したジョヴァンニ・パイジェッロ(1740-1816)は、チェンバロからフォルテピアノへの移行を示しています。彼は6曲のクラヴィーア協奏曲のほかに、クラヴィーア・ソナタを88曲作曲したことが分かっています。ただし、自筆譜はまったく残っておらず、すべて筆写譜の形です。彼のソナタはチェンバロではなく、フォルテピアノのために作曲されていると思われます。彼は1787年、ロシアに赴任する前にフィレンツェに立ち寄りますが、その時にトスカーナ大公の宮廷にあったクリストフォリのフォルテピアノを知った可能性が考えられます。それ以上に、チマローザはロシア滞在後、エカテリーナ二世から贈り物として、フォルテピアノを拝領して、それをナポリに持ち帰ります。この楽器は5オクターヴ、つまりモーツァルトの使用した楽器と同じ音域でした。チマローザがペテルブルクから持ち帰ったこのフォルテピアノは現存しており、それはロンドンのアダム・バイヤー(ベイヤー)製の楽器です。
 チマローザのこのエピソードはとても重要な点を語っています。それはペテルブルクという都市です。ここには、ロンドンの新しいフォルテピアノが流入しているだけではなく、音楽文化が開花していました。チマローザがフィレンツェで経験したと見られるクリストフォリのフォルテピアノの、より発達した形を彼は北のロシアで知ったことになります。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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