ピアノの19世紀

16 ノクターンとピアノ文化 19世紀を映す鏡としてのノクターン その5

2009/03/13

3 フィールドのノクターン全16曲 (承前)

(2)フィールドのノクターンの様式区分

 フィールドのノクターン全16曲の作品を見ますと、1812年出版の第1番から第3番までと、1814年から1817年にかけて出版された第4番から第6番、第9番と第10番、1822年出版の第7番と第8番、1833年以降に出版の第11番から第16番に区分できます。これらの作品の編曲を見ると明らかなように、1810年代に出版された作品はさまざまに編曲されていますが、1822年以降の出版譜では編曲譜が少ないことがわかります。さらに、歌曲編曲のほかに、室内楽作品やピアノ協奏曲との結びつきを持ち、ジャンルを超えた多様な表現がこのノクターンに集約されていることが理解できます。つまり、ノクターンの魅力は、純粋にピアノ作品に自足するのではなく、ある部分は、「無言歌」に、ある部分はピアノ協奏曲の緩徐楽章に、ある部分は室内楽作品と共通の土台をもち、甘美に流れる旋律は人々の多様な需要と欲求を満足させるものであったといえます。
 フィールドのノクターンがショパンやリストに深い感銘を与えたのは、初期の作品群であったと思われます。ショパンは、初期の第1番から第3番(作品9)ではフィールドからの影響を強く示していますが、第4?6番(作品15)ではすでにフィールドから離れて自身の独自の作風を展開していくようになります。

(3)フィールドとロシア・リリシズムの系譜

 フィールドの影響は広範囲に及んでいます。彼の重要な弟子にグリンカがいました。グリンカの作曲した、「ノクターン《別れ》」は彼のピアノ作品の代表作ですが、はっきりとフィールドの表現を受けついでいます。フィールドの甘美な表現の上に、グリンカの重い叙情性が濃厚に表現され、この重いリリシズムはやがて、バラキレフのメランコリックでノスタルジックな「ノクターン」や、リムスキー=コルサコフのニ短調の「ノクターン」、チャイコフスキーの「ノクターン」(「ハプサールの思い出」の第3曲、「6つの小品」作品19の第4曲)、そして、ラフマニノフの初期のノクターンや、スクリャービンの「ノクターン」(作品5)などの作品に受け継がれていきます。
フィールドのノクターンは、一方においては後述のように、ショパンを通してフランス近代音楽におけるノクターン創作へと受け継がれるとともに、グリンカを通してロシアのピアノ創作に継承されていったのです。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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