ピアノの19世紀

16 ノクターンとピアノ文化 19世紀を映す鏡としてのノクターン その2

2009/02/12

 1  ノクターンの成立(承前)

(3)ソナタに対する価値観の変質と中間楽章の意味

 ソナタ形式を第1楽章におくソナタこそが18世紀後半から19世紀前期の音楽観を支配しました。ソナタにおいて第一に注目されるのは、ソナタ形式による第1楽章とフィナーレです。フィナーレはロンド形式あるいはソナタ形式、それらの融合したロンド・ソナタ形式が用いられ、第1楽章とともにきわめて構成観のある楽章となっています。それに対して、中間楽章とされた緩徐楽章は3部分形式で、楽想的にも平明なものが好まれ、第1楽章の構成観とのコントラストが意図されています。
1810年代に入るとソナタに対する評価に変化が見られるようになります。多楽章構成のソナタに対する人々の関心が薄れ始めたのを受けて、各楽章に標題を与えて独立した小品としても演奏可能な楽譜が出版されるようになります。その代表例がシューベルトのピアノソナタ第18番「幻想」(作品78、D.894)です。ソナタの人気の低迷を見込んで、この作品は出版に際して、第1楽章「幻想」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「アレグレット」という題で公表されました。つまり、ピアノ・ピースの組曲のような形で出版されたのです。第2楽章が独立の「アンダンテ」と題されたことの意味は大きなものがありました。というのは、緩徐楽章は独立の作品として位置づけられたからです。すなわちソナタ形式とロンド・ソナタ形式にはさまれた中間楽章としての緩徐楽章ではなく、中間楽章が独自の意味を主張するようになりました。
フィールドのノクターンのいくつかは、ピアノ協奏曲の中間楽章の編曲であることは重要です。元来は、中間楽章であったものが、「ノクターン」という名前を得て、独自の表現を獲得したからです。この編曲の点については改めて取り上げたいと思います。

(4)夜の音楽 サロンにおける音楽のある風景

 18世紀末のヨーロッパでは、ノットゥルノやセレナードという題の音楽が愛好されました。これは野外で行われた夜会のための音楽で、行進曲に始まり、宴会の背景音楽として演奏されました。19世紀に生まれたノクターンは、同じ夜の音楽でもノットゥルノとは音楽の役割を異にしています。ノクターンは屋内の音楽で、宴会の背景音楽ではありません。18世紀のモーツァルトのノットゥルノと、19世紀のフィールドおよびショパンのノクターンを隔てているのは、「ロマン主義」という思想とサロンという場です。
ノヴァーリスやシュレーゲル兄弟、ホフマンらのロマン主義文学がもっとも重視したのが「夜」の美学でした。ロマン主義美学は、夜とともに「森」や「狂気」、「夢」、「音楽」などを好んで文学の題材に用いました。幽暗な情景という点では、森や夢などはすべて共通しています。詩人ノヴァーリスの描いた「夜の賛歌」という詩は、まさに無限の想像力を喚起させてくれる夜への限りない憧れが描かれています。
 19世紀は同時にサロン文化の時代でした。ノクターンの醸し出す、ロマンティックで夢想的な雰囲気をもっとも歓迎したのがこのサロンです。富裕な階層の屋敷で繰り広げられる夜会には、名だたる政治家や経済人、軍人らが招かれ、さらに著名な作家や画家、評判の音楽家らも集いました。そしてこのサロンの主催者は、その屋敷の奥方でした。つまり、女性がサロンを取り仕切ったのです。サロンにデビューした若き令嬢に求められた最大の教養がピアノ演奏でした。そのサロンがノクターンを育んでいきました。19世紀は男性文化と女性文化という二分化が進んだ時代でした。そのなかで、ノクターンはサロンにおける女性文化のもっとも代表的なジャンルでした。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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