ピアノの19世紀

15 女子教育とピアノ その1

2009/01/15
 
15 女子教育とピアノ その1

  現在、ピアノを演奏する人口のなかで男女比はどのようになっているでしょうか。圧倒的に女性の割合が高くなっています。しかし18世紀では、貴族や王族などの一部を除きますと、女性のピアノ人口(18世紀ではピアノよりもチェンバロやクラヴィコードが主ですが)はきわめて限られていました。というのは、これらの鍵盤楽器の普及率は極めて限られ、貴族や王族のたしなみとして用いられていたためです。

1 19世紀近代社会いおける「女性」の位置

 ピアノの女性人口の増大は、ピアノの大量生産と普及、そして中産階級の富の蓄積と密接な関連があります。社会の産業の進展に伴って、男性と女性の社会の役割分担が進んでいくことになります。家族全員が等しく労働者として生きなければならない状況では、男女の役割分担はそれほど問題とはなりませんが、産業化社会においては、男性は「社会で勤労者として労働に従事し、一家の収入を確保する存在」、そして女性は「家庭を守る存在」という役割分担が明確化されるようになっていきます。さらに国家という考え方が調えられていく中で、家庭の中における人間関係にも、ヒエラルヒー(位階構造ともいいます)が意識されるようになります。つまり、父親を頂点とした家族構成です。父親は国王のごとく家庭の中で君臨し、その下に母親、子供たちが従属するという関係です。
 19世紀社会では、18世紀とは異なった意味での階層化が進んでいきました。職業による上下関係も法令に規定されるほどでした。ドイツの「一般ラント法」には上級市民と下級市民が区分されていました。このような社会階層の中で、ピアノ教育を熱心に行ったのは、上級市民とされる人々の家庭においてでした。法律関係者や実業家などの裕福な自営業、中流以上の官吏などの人々は、豊かな富を背景に、優雅な家具や調度品とともに、かつては王侯貴族の持ち物であったピアノを自宅に所有するようになっていったのです。ピアノこそが、中産階級の富と権力の象徴となったのです。

2 女性教育としてのピアノ教育

 そのピアノは主に誰が学んだのでしょうか。それは娘です。18世紀末から19世紀において女性教育は確立されていませんでした。たしかに1831年に女児用の小学校の合法性が議会で審議されましたがこのときは否決され、1836年に勅令によって女児の初等教育が認可されました。しかし、その内容は日常生活上の最低限の知識に限られていました。そのような傾向の中で、中・上流階級では音楽教育が女性教育において不可欠のものとして注目されていきました。そもそも、女性に何を教えるかという点で、女性は厳しい制約を課されていました。日常に必要な読み書き、算数の教育や踊りや簡単な絵心は推奨されましたが、学問的な教育はむしろ好ましくないとして閉ざされていたのです。

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西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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