ピアノの19世紀

10 都市のピアノ音楽風土記  ストックホルム その1

2008/10/10

 19世紀の音楽文化を考える上で見逃されてはならないのが北欧です。デンマークの章でも簡単に触れましたが、19世紀前期において北欧では、オーストリアやドイツの音楽の影響を受けながら、独自の音楽文化が形成されてきており、その文化はパリやロンドン、ウィーンにおけるような大衆化社会とは異なった様相を示しています。いわゆる無産差労働者が数多く集まったこれらの大都会とは異なり、まだ伝統的な身分社会を残しているなかで、市民社会が形成されており、それは楽譜の出版にも見て取ることが出来ます。
 スウェーデンは30年戦争(1618―48年)や北方戦争などを見ても分かりますように、ヨーロッパ屈指の強国で知られます。その後18世紀から19世紀において、大陸で繰り返された継承戦争やナポレオン戦争の影響を免れたために、国土は荒廃することなく安定した文化が形成されました。そして1782年にストックホルムにオペラ劇場が建設され、ここがあらゆる種類の音楽の拠点となりました。しかし、1792年、この劇場で国王グスタフ3世が暗殺されるという事件も起こっております。
 ストックホルムの人口は17世紀末にすでに6万人に達していました。この人口は上記の大都市を別とすると、非常に都市化が進んでいたことを示しています。残念ながら19世紀前期の人口は分からないのですが、おそらく10万人程度に達していたように思われます。1814年にノルウェーを併合して、1905年までノルウェーと同君連合国家となり、強い国力を誇りました。こうしたことが音楽文化に影響しいわけにはなかったでしょう。
 19世紀前期に刊行されたピアノを中心とした音楽雑誌を見ますと、最も安定的に刊行されたのがストックホルムの雑誌です。とくに1789年創刊で1834年まで刊行された「Musikaliskt Tisdfordrif」と、1824年創刊で1833年まで刊行された「Musikaliskt Veckoblad」です。このタイトルからも分かるように、スウェーデン語の音楽雑誌で、この国の音楽愛好家を対象とした専門誌です。
 「Musikaliskt Tisdfordrif」は45年間にわたって刊行されましたが、この期間の長さは音楽新聞を別としますと、ヨーロッパの音楽雑誌のなかで最長です。この雑誌は音楽の総合雑誌ですが、ピアノ音楽に関する部分がほとんどを占めています。そしてこの雑誌に掲載された作曲家を見ますと、ドイツやオーストリア、フランス、イギリスとはまったく異なる面白い特徴が見られます。つまり、もっとも頻度の高い作曲家は、「作品投稿」なのです。つまり、雑誌の編集部に寄せられた作品が作曲家ランキングのトップに位置しています。作品を寄稿する人の中には、プロの作曲家もいるでしょうか、おそらくアマチュア作曲家も含まれていたことでしょう。これは何を意味するのでしょうか。
 「投稿作曲家」に続いて、モーツァルトハイドンベートーヴェン、アールストロームAhlstrom、ゲリネク、フンメル、プレイエル、クラマー、キルマイヤー、グレンザー、フォーグラー、リタンデル(リタンダー)等と続きます。この45年間登場した作曲家の総数は90名に及びます。この作曲家の名前を一瞥して分かるように、とても古典的な作曲家が並んでいます。名の通った作曲家ではモーツァルトが第一、というのはほかの都市には見られない現象です。さらに、第4位に、オロフ・アールストローム(1756-1835)というスウェーデンの作曲家が位置しております。実は、この音楽雑誌は彼が編集を行うだけではなく、彼が刊行しておりました。アールストロームは、1792年に音楽アカデミー会員に選出され、その後は公式の役職を数多く兼任し、スウェーデンの音楽の中心人物です。作曲家してはオペラのほかにピアノソナタや変奏曲を作曲しています。キルマイヤーはプロイセン王女のピアノ教師をつとめた作曲家でピアニストです。グレンザーはどのような作曲家は不祥ですが、リタンデルは19世紀前期に活躍した音楽家兄弟の一人で、フレデリク・リタンデルです。カール・ルートヴィヒ、フレデリク、クリュストフリュス、ダーフィトの4兄弟がおります。この4兄弟ともピアノ作品を作曲しており、ナクソスのレーベルからCDが出されておりますので、ご存知の方もおられると思います。このリタンデル兄弟は本来はフィンランドの作曲家ですが、1809年まではフィンランドはスウェーデンの統治下にありました。
 それではどのようなジャンルの作品が親しまれていたのでしょうか。順位がもっとも高いのは変奏曲です。ついで行進曲、ポロネーズの3つのジャンルが多数を占めています。ついでメヌエット、ワルツ、アンダンテ(ジャンル名はなくテンポ表示のみです)、アレグレット(アンダンテと同じです)が比較的数が多く見られます。そしてロンド、ソナタと続きます。このジャンルからこの音楽雑誌を講読したのは音楽アマチュアであったことは分かります。ロンドやソナタはそれほど人気を得ていませんが、これは19世紀前期の全体的な傾向でもありました。
 前にも述べた「投稿作曲家」は、おそらく順位の高いジャンル、つまり変奏曲や行進曲、ポロネーズなどを寄稿したのでしょう。また地元の作曲家が名前を連ねているのはこの音楽雑誌がスウェーデンの人々を対象としたものであったことを示しています。国際都市パリやロンドンの音楽需要と、ストックホルムの需要とは異なっていたことがここからも分かります。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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