19世紀ピアニスト列伝

モシェレス 第2回 ― ドイツからパリへ、各地で巻き起こるセンセーション

2014/12/15
モシェレス 第2回 ―
ドイツからパリへ、各地で巻き起こるセンセーション

ウィーンでの学習時代を終えたモシェレスはドイツ各地を旅して人々にその名を知らしめ、十分に自立した音楽家になったことを確信してからようやくパリを訪れ自身の力を試します。ピアノ演奏の技量ももとより、自作の高いクオリティにパリの知的な聴衆は賞賛を惜しみませんでした。人々は、巧みなテクニック、創意工夫に富む作曲の着想、紳士としての人柄に、「有徳の士」という本来の意味での「ヴィルトゥオーゾ」の姿を見たのでした。

フンメル

この若きヴィルトゥオーゾの初期作品の中にもたらされた輝きある演奏、色彩豊かなアクセント付けと新しい効果によって、彼はどの演奏会でも注目の的となった。今日でさえ、60年の歳月が流れたにもかかわらず、モシェレスのこれら初期作品には和声の豊かさ、最初から真の独創性をはっきりと示す旋律のフレーズの中に広がる情熱を認めざるを得ない。この時期、つまり1812年から、この若き大家の名声はドイツ中に広まった。また、モシェレスマイアベーアの誠実で持続的な友情が始まったのもこの時にさかのぼるが、マイアベーアもまた非常に技術の高いヴィルトゥオーゾで、演奏会では彼の敵対者でありライヴァルであった。礼節正しいこのライヴァル関係が二人の芸術家の相互の愛情を決して変えることはなかった。だが、マイアベーアは優れたヴィルトゥオーゾであることをやめたわけではないにせよ、すぐにオペラ作曲の勉強に打ち込むようになった。この時期の内に、モシェレスは演奏の向上に専念して全精力をピアノ音楽における新しい効果の探究につぎ込んだ。
彼の旋律線、非常に多様な形式の調和のとれた構成は、意表を突く転調によって楽器にたいへん豊かな響きと非常に多様なアクセントをもたらした。また、モシェレスがウィーンを離れてドレスデン、ライプツィヒ、ケルン、ミュンヘンなどのドイツの大都市で演奏したときには、彼は新しいエコールの創始者として迎えられたが彼は奇抜な演奏法によるのではなく、響きと表現、タッチについてのこの上なく完璧な造詣によって、古い流派とは一線を画していた。
演奏会のたびに巻き起ったあの成功と熱狂にも拘らず、モシェレスは研鑽に余念がなかった。倦むことを知らず、極度に自己に厳しい勤労者であった彼は、旅行から戻ってただ黙々と取り入れたいと考えた新しい効果を熟成させた。ドイツ各地、ライン川流域、オランダとベルギーを経る数知れぬ旅を終え、自分なりの方法と大衆に対すると影響力に確信を抱いて、1820年、この名高いピアニストは初めてパリにやってきた。

オペラ座で開いた演奏会は途方もないセンセーションを引き起こした。芸術家も愛好家も、この卓越したヴィルトゥオーゾに驚嘆した。力強い響き、高雅な様式、優雅なフレージング、これらの美点は一体となって人々を驚かせ、魅了した。この全般的な称賛において、作曲家としての評価はヴィルトゥオーゾとしての評価に劣ることはなかった。モシェレスの作品はアイディアで溢れ、見事に構成され正確に仕上げられていたので、批評家は少しも批評の手掛かりを見つけることが出来なかった。フンメルを除くどんな大家も、あの精彩、斬新な足取り、効果についての同じような深い知識をもって曲を書くことはなかった。この時代のピアニストは世代ぐるみでこの新しい流派の美点と手法に夢中になった。若きアンリ・エルツモシェレスの熱烈な崇拝者たち、最も熱心な弟子たちのなかでも重要な人物である。この熱狂的な歓迎は、モシェレスを一年間パリに引きとどめた。この大芸術家はパリに定住することも夢見たが、英国を訪れてフランスの強力な隣人たちに才能を認めてもらうことがならわしとなっていた。モシェレスはパリを後にしたが、いつも嬉々としてたびたびここに戻ってくることとなった。彼の傑出した才能と紳士的美点のおかげで彼には固い友情と誠実な愛情がもたらされたが、そのいずれもが彼から離れていくことはなかった。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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