19世紀ピアニスト列伝

アンリ・エルツ 第2回:生涯青春

2013/02/26
アンリ・エルツ
生涯青春

今日は19世紀後半のピアノ教授マルモンテルが手がけたピアニスト兼作曲家列伝『著名なピアニストたち』から第4章「アンリ・エルツ」の翻訳第2回です。1888年に85歳を目前にしてなくなったエルツショパンの二倍以上も生き、老年期に差し掛かってなお若々しく紳士的な精神を保っていたというのには、頭が下がります。芸術家としての誇りと向上心を絶えず失わなかったことが彼に長寿をさずけたのでしょうか。そのあとにはエルツの随想録『わがアメリカ旅行』の紹介されます。

さて、この著名な芸術家の人物描写に戻り、この音楽家の生涯を書くことは伝記作家に任せることにしよう。アンリ・エルツの人相は典型的なユダヤ人顔である。彼の額は突き出ていて、鼻は鷲鼻、澄んで大きく見開いた目は彼の聡明さと好意を表している。口は、しっかりとした唇で際立ち、縁どられており、顎は丸みを帯びている。はっきりとした輪郭線をもつこの顔においては、どのパーツももっぱら簡潔ではっきりしている。首を僅かに傾げ眼差しで問いかける癖がある以外は、他には特にこれといった特徴はない。背丈は平均よりの少し高く、調子のとれた歩きぶりには、引きずるような軽い揺れが目立っていた。

アンリ・エルツは彼の長く輝かしい音楽人生を終える時期を迎えるまで、若き(弟)アンリ・エルツという肩書の正しさを証明しようとした。これらの長い歳月は、この活動的な彼が生来もつ性質と雄々しき性格に何らの影響も及ぼさなかったようだ。ここにきてもなお彼の意志は衰えることはなかった。いわば意志が生来の本性に勝ったのである。今は亡きサン=ジョルジュ侯爵と同じように、アンリ・エルツは、いわば永遠の青春を宣告された身であり、有無を言わさず青春を保ち続けたといえる。我々は、芸術家としての彼について語るほどは、人間としての彼を語らない。この作曲家はその創造力を根深く保ち続けていた。このヴィルトゥオーゾの才能は、優美さときらめきを何一つ失うことはなかった。話し上手な彼は、昔と変わらず批判を投げかけ、反論し、鋭く繊細な答弁を豊かに繰り出した。彼は、自身の生き方、生活習慣を変えることなく、礼儀正しく、身だしなみがよい完璧な紳士であり続け、高貴な気品を何ら失うことなく二つの世代を生き抜いた。

この貴族的な礼儀作法、独特な「さもあるべし(コム・イル・フォ comme il faut)」というのは生粋のイギリス人の特徴である。アンリ・エルツは、イギリス出身の隣人たちとの多くの付き合うなかでこれを身に付けたのだろう。だが、この芸術家の愛情と好意に満ちた性格には、冷たさや堅苦しい面はなかった。アンリ・エルツは、長らくアメリカにも滞在していた。半年に亘るはずだったが4年に延長されたこの旅の期間中に、私は1845年に音楽院の彼のクラスでエルツの代行を務めるという名誉に与った。私の友情とオベールの力強い承認に委細を委ねたアンリ・エルツは、1848年に私が師ヅィメルマンを引き継ぐまで、彼が普段教育に当たっていた生徒たちを私に任せたのだった。

この旅行に関しては、彼のアメリカの想い出に関するアンリ・エルツの魅力あふれる著作1を読む必要がある。この繊細で溢れんばかりのユーモアを湛えたエスプリ、全くの善意、話術の類稀なる誠実さを特別な光に照らして正当に評価しなければならない。この著作は、習俗研究や実地に描かれた素描集として、また楽団の指揮者や音楽愛好家泥棒―彼は旅行中のディレッタントから金を巻き上げ金何オンスをも奪うものの、芸術を愛する気持からアンリ・エルツの登場に頭を垂れる―に始まり、彼らに演奏会に出てもらい、讃美歌の代わりにヴィルトゥオーゾ的なファンタジーやエール・ヴァリエ2を弾くのを後援し、誇りに思う宣教師たちに至るまで、楽しく風変わりな人物が代わる代わる登場する著作として、真の文学的価値を備えている。

  1. 1866年にフォール社から出版されたアンリ・エルツの『我がアメリカ旅行』。会話を交えた軽快なタッチで描かれたアメリカ演奏旅行随想録。まだ翻訳はありませんので、いずれ翻訳してみたい著作の一つです。Henri HERZ, Mes voyages en Amérique, Paris, Faure, 1866.
  2. 2ロマンスなど流行の声楽曲の旋律に基づく変奏曲。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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