ハイドンの世界

第16回 ソナタ第21番-23番(それぞれ断片)

2007/07/24
SONATA No.21 ~ No.23

クラヴィーア・ソナタの21番から27番は、ハイドン自筆の作品目録「草稿目録(Entwurf-Katalog)」に基づく紛失した作品の主題のみが残っています。ハイドンらしい面白いモチーフがたくさんあり、弾くもの・聴くものとしては、続きの展開がとても気になる所です。今回の21番から23番の3曲はチェンバロによるディヴェルティメントとして書かれています。21番は、ニ短調の淡々とした足どりが聞こえてきそうな曲で、ハイドンはニ短調のソナタをこの曲以外残しておらず、紛失した作品の中で、個人的に一番続きが知りたい曲です。22番は右手と左手のメロディーが交互に対話しているようなモチーフで、23番は対照的にどこかの風景を描いているかのようなシンプルなメロディーが、左手の伴奏に映えて美しいです。

ハイドン・ひとことメモ
「第16回 ハイドンとモーツァルト その3」
前回は、モーツァルトが初めてハイドンの音楽に触れるまでを書きましたが、今回はふたりが出会ったとされる時期について、書いてみます。私は下記の表に登場する「ロシア弦楽四重奏曲(全6曲)」が、ハイドンの弦楽四重奏曲の中で特に好きです。第2曲は「冗談」という呼び名がついており、珍しいことに6曲とも、必ずスケルツォの楽章が入っているところから、何となくモーツァルトがこの曲に大きく影響されたという事が分かるような気がします。第5曲の第4楽章はピアノ用に編曲したものがあり、第7回の「ハイドンの世界」に録音が掲載されておりますので、ぜひお聴きください。
1781年 J.ハイドン (49歳) W.A.モーツァルト (26歳)
アイゼンシュタットからウィーンへ出る。
9年ぶりに弦楽四重奏「ロシア弦楽四重奏曲」作品33を作曲。
この弦楽四重奏曲を、エステルハージ家の関係者の為にサロンで演奏を披露。聴衆はハイドンに賞賛の拍手をおくる。
イタリア旅行で名声を博し、ウィーンに帰ってきていた。
左記サロンの席にモーツァルトが招かれていても不思議は無く、その場の中心人物だった可能性もある。
ソナタ第21~23番(すべて断片)

第21番 mp3(0m10s)
第22番 mp3(0m6s)
第23番 mp3(0m5s)


前山 仁美(まえやまひとみ)

1987年3月22日生まれ。
1996年 ピティナ・ピアノコンペティションB級奨励賞。1998年 第15回教育連盟ピアノオーディションA部門入賞、同入賞者演奏会出演。2000年 ピティナ・ピアノコンペティションD級銅賞。2001年 第17回かながわ音楽コンクールユースピアノ部門中学生の部第1位、総合第2位、神奈川新聞社社長賞受賞。トップコンサートにて神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演。2003年 第1回カワイ主催ロシアン・ピアノスクール in 東京受講、受講生選抜公開演奏会出演。2004年 第5回ショパン国際ピアノコンクール in Asia、アジア大会奨励賞。第9回浜松国際ピアノアカデミー受講。ピティナ・ピアノコンペティションG級金賞、併せて東京都知事賞、讀賣新聞社賞、ヒノキ賞、王子賞、洗足学園前田賞受賞。第2回カワイ主催ロシアン・ピアノスクール in 東京受講、受講生選抜公開演奏会出演。2005年 フランスのMoulin d'Andeにて行われたマスタークラス受講。アメリカにて行われたジーナ・バックアゥワー国際ピアノコンペティションYoung Artist部門第6位。第3回カワイ主催ロシアン・ピアノスクール in 東京受講、受講生選抜公開演奏会出演。
2006年 ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、聴衆賞受賞。併せて文部科学大臣賞、讀賣新聞社賞、ミキモト賞、王子賞、三菱鉛筆賞受賞。

幼少の頃より現在に至るまで江口文子氏に師事。モスクワ音楽院にて、パーヴェル・ネルセシアン教授に師事。これまでに、佐藤俊、日比谷友妃子の各氏に師事。

ハイドンの世界:http://j-haydn.blogspot.jp/

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