ドビュッシー探求

「版画」より第2曲「グラナダの夕べ」

2008/08/01

今回の曲目
音源アイコン 「版画」 より第2曲「グラナダの夕べ」 5m53s/YouTube
 スペイン南部のアンダルシア州のグラナダ県には、世界遺産にも登録されているアルハンブラ宮殿があります。この宮殿が夕日に染まり、けだるい夜が始まる。そこにはハバネラのリズムがあり、ギターをかき鳴らす音、強烈な甘い香水の香り、こうい ったさまざまな要素が複雑に絡み合い、融合している作品です。ドビュッシーは、 我々にこの作品の質の高さで驚嘆させますが、それだけではありません。実は、ドビュッシーは、ここまでスペイン的な作品を作曲したにも関わらず、一度もスペインには行ったことがないのです。しかも、ドビュッシーの死後、スペインの大作曲家、マニュエル・ド・ファリャは、この作品が最もスペイン的な作品であると述べていま す。想像のみで、しかもスペインの民謡も一切使わずにこういう作品を作曲したことは、我々に興味深いことを教えてくれます。つまり、高い知性さえあれば、真実は実物に触れなくてもわかり得るということです。現代の我々は、インターネットやテレビなど、各種メディアを通じて、ドビュッシーの時代には想像もできないような多くの情報を瞬時に得ることができます。大いに活用し、想像力を高めたいものです。

演奏上の問題について
 まず、ハバネラのリズムが冒頭から始まります。ドビュッシーは、「気取らない優雅なリズムでゆっくりと始める」と指示しています。テンポは、7小節からの下段の主題を表情豊かに歌える速さです。cisはオルゲルプンクトですが、それ以上に、ハバネラのリズム自体がオルゲルプンクトになっています。従って、テンポは決して崩れてはいけません。ドビュッシーはこのハバネラのリズムを、細かいアーティキュレー ションの指示によって正確に表記しています。最初の4小節でリズムを提示した後、5、6小節は縮節になり、7小節から始まる、下段の旋律が間延びせずに出現するように工夫してあります。旋律はアラビア音階的で息の長いものです。たとえば、7小 節の最初のdは、cisの倚音ですから、dの方が強勢です。しかし、cisは消えないようにして、8小節2拍目のdにつなげなければいけませんから、十分音の響きを聴いて、その響きの上に上段の響きを乗せなければいけません。上段のテンポは一定で、下段の主題はあるていどのルバートが必要です。17小節からの部分のテンポを速くする考え方もありますが、Tempo Giustoとは、正確なテンポということなので、16分音 符の音価を均質にすることが大切で、実は、そうすると、少しテンポが速くなったような錯覚を与えるので、速くする必要はないと思います。この部分は、明らかにギターの音楽です。

 23小節からはルバートと指示されていますが、それは上段の主題の歌い方がある 程度自由であるという意味で、下段のハバネラのリズムがオルゲルプンクトである以 上、26小節までテンポは一定です。ここでは全音階和音が用いられていますから、 不安げな表情をつけると良いでしょう。29小節からは、17小節からの部分に比べ音域が高いですから、少し活発な印象を与えて33小節につなげるとよいでしょう。 33小節からの部分もテンポは一定ですが、上段は、16分音符、付点8分音符、3連8分音符の音価を正確にするべきです。それによって、自然なルバートがかかったように聞こえます。特に、テヌートのかかっている音符は十分丁寧に響かせる必要があります。ここまで、調を特定するカデンツは1度も出てきません。38~60小節 はA-durを認識できます。ここでは、やはり、ハバネラのリズムを一定に刻むことが大切です。そして息の長い第2主題を、決して硬くない、堂々とした音で演奏します。 38小節はmf で、41小節2拍目裏のff までなめらかにクレッシェンドします。45~49小節には、強弱の指示が細かくありますが、45~47小節までと48、49 小節ではピークの位置が異なります。この間、全く同じ強弱の揺れにすると単調にな るので注意が必要です。また、45~49小節の響きのバランスは、旋律の上下関係 が変わる51小節以降も守らなければいけません。58、59小節でも、上段から下段に移る中声部のメロディーを滑らかに連結するべきです。61~66小節は23~ 28小節と同様ですが、何カ所か音が異なっています。違いを注意深く調べるべきで す。67小節からはFis-durに転調します。「更に無造作に」という指示があります。また、PPは とてもデリケートに演奏するべきでしょう。また、69~77小節の上段 はオクターブの声部とそれ以外の声部の2声体になっています。ルバートは必要です が、16分音符、8分音符、3連8分音符の音価の違い、テヌートをはっきりと表現すべきです。また、72、73小節の強弱の指示は、73小節2拍目だけが強弱の向 きが異なり、しかも3連符になっています。76、77小節はさらにテノールにも声部が増え、多声的になります。76小節のsubito p 、78小節のsubito pp は、間をあけずに瞬時に音色も変えるべきでしょう。78小節からの部分は23小節からの部分と似ていますが、ここは全音階和音ではありません。

 84、85小節では、リズム動機として、84小節の上段と、85小節下段のバス がDuxとComesの関係になっています。他の部分も同様です。92~97小節は、17 ~20小節の再現ですが、バスの音型が微妙に違います。テノールをさりげなく際立たせると良いでしょう。また、96、97小節では、Gis-durでかかれていますが、97小節2拍目裏で、半ずれしたA-durに解決します。間をあけず、はっきりと音色を変 えなければいけません。ここからは41小節からの主題が中声部にオクターブで現れ、ソプラノにハバネラのリズム動機が、和声の変化を伴って一種のリズムのオルゲルプンクトになっていて、しかも、バスにはV音eのオルゲルプンクトが続きます。従って、真に安定した状態ではなく音楽は続きます。ここの中段と下段は左手だけで弾きますが、とても困難なところです。音量はとてもおさえ、しかも中段を際立たせ、バスの響きも残し続けなければいけないからです。99小節以降は左手の脱力した広範囲な平行移動が必要です。この左手の跳躍のために間があくことは絶対に避けるべきです。和音のポジションなどをよく確かめながら、音を鳴り終わるまで良く聴いて演奏するとうまく演奏できることが多いです。しかし、リズムは決して緩んではいけません。

 109~112小節はcを主音とする教会旋法です。恐らく、フラメンコのカスタネットを模していると思われます。テンポの指示は「四分音符は前の8分音符に相当する」とあります。また、「軽く、遠くで鳴っているように」と指示があります。108,109小節の間をあけず、音質、音色ともに即座に変化させます。

 113,114小節は、67小節からの部分の縮節で、c調の遠隔調Fis-durになっ ています。119~121小節も同様です。122小節からの部分は、コーダです が、テンポは冒頭のテンポと同じです。この下段の和音と上段のメロディーの両手の 配分はいろいろと工夫して、127小節までメロディーが途切れないようにしたいところです。

128小節からは17小節からの部分の縮節となり、130小節からはgis fisのモ チーフが1小節単位で3回繰り返され、それが倍の長さで133,134小節で出て きます。これらを1本の手で弾いているように滑らかに連結する練習が欠かせません。最後は消え入るように終わるべきです。

 テンポルバートの真の意味がこの作品で勉強できると思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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