ドビュッシー探求

マズルカ

2008/05/16

今回の曲目
音源アイコン マズルカ 3m09s/YouTube

 ドビュッシーは、音楽史上の重要な作曲家を必ずしも全員賞賛してはいませんでしたが、バッハなどと並んでショパンを心から尊敬していました。ショパンがポーラン ド民族舞曲のマズルカを50曲以上作曲していて、それらが珠玉の作品であることは あまりにも有名ですが、ドビュッシーもショパンの影響の下にマズルカを作曲しました。作曲年代は1890年であるとするもの、1880年頃であるとするものなど諸説ありますが、いずれにしてもドビュッシーの若い時期の作品であることは間違いありません。ドビュッシーは他のいくつかの作品と同様、この作品をとても未熟でとるに足らない駄作で出版したくなかったと何度も言っています。1880頃といえば、ショパンの 弟子であったモーテ夫人にピアノを教わっていた頃で、年は18歳です。しかし、ショパンのマズルカに比べると、明らかに質感が異なります。フランスの洗練された軽 さ、そして中間部はサンサーンスの趣味を感じさせる、薄い響きと滑稽さ、優雅さをもっています。私が、ショパンの素晴らしいいくつかのマズルカとこの作品を比べたらどっちをとるかと言われれば、もちろんショパンを選びますが、この作品も、最初期の「ボヘミア舞曲」と同様に、晩年のドビュッシーの萌芽が見られるという点でとても興味深いものだと思います。

演奏上の問題について
 ここで舞曲としてのマズルカを論じることはあまり意味がないと思うので詳しくは書きませんが、前半と後半は一応オベレクのリズムで書かれています。そして、ショパンのマズルカがそうであったように、一応、最初の10小節はfisを主音とする教会旋法(エオリア調)で書かれています。その特徴となるのは上段の6、10小節のeの音です。ここでも、ドミナントからトニックへの単純な連結はなく、サブドミナント進行が中心です。細かな強弱やsf は、マズルカのリズムを意識したものと考えて演奏するべきです。11、12小節も、ドミナントはありますが、導音がなく、カデンツ進行は希薄です。13、14小節では突然A-durのドッペルドミナントになり、光が差し込むようなニュアンスになります。同じ繰り返しが18小節まで続きます。19小節から26小節まではA-durで、牧歌的で落ち着いた曲想になりますが、20、24、26小節の細かなクレッシェンドとアクセントなどの強弱をしっかりと表現しないと単調になります。また、2小節ごとに同じような強弱の繰り返しをすると下品になるため、22小節ではクレッシェンドにせずにしずかにフレーズを閉じながら次に続けています。21、22小節のバスの下降ライン、すなわち、a gis fis e disはさりげなく出すべきでしょう。

 27小節からはTempo rubatoとありますが、これはリズムを多少自由にするだけで全体のテンポを大きく揺らすべきではないと思います。ここでも4小節単位でフレーズが構成されていますが、同じリズムで同じアーティキュレーションにすると陳腐になるため、微妙な強弱の指示によってそれを避けているのが27~30小節です。冒頭はsubitoでp にするべきです。31~34小節は繰り返しです。35小節では、やはりsubito piu p ですが、音量を突然落とすというよりも、ここからFis-durに転調し、 シャープ系の細くてとても暖かいニュアンスで演奏する指示だと考えた方が良さそうです。ここのバスの下降するラインはさりげなく表現したいところです。46小節からは冒頭の再現になりますが、とても柔らかく演奏するべきです。Fis-mollに転調しますが、前半部分を終始するために、50、51小節に半音階で下降しながらクレッシェンドをして締めくくっています。

 54小節からの中間部分はVI度調のD-durで始まります。4小節単位の繰り返しをエコー的に表現します。Subito p を忠実に守ってリズミカルな部分とそうでない部分の対比を作るべきです。62~67小節では2小節ごとに3度ずつ上昇することで盛り上がりを演出しています。大きなクレッシェンドにはしたいところですが最初から強くしすぎないことが大切です。68、69小節では縮節となって、70小節からは、それまではっきりしなかった調性が明白になり、D-durのカデンツになります。71~78小節は54小節からの部分と同じ繰り返しのようですが、クレッシェンドがないことに注意したいところです。そして、75小節では突然フラット系のF-durに転調するために、曇ったニュアンスを表現するためにsubito pp になっています。79~81小節では教会旋法的に揺らぎを表現した後に、82~86小節で3度ずつ下降して徐々に響きが曇ってD-durのカデンツでフレーズと閉じています。87小節では5音階 的なメロディーが4小節単位で数回繰り返されます。4小節ごとに強弱を明白に変えるべきですが、この部分はサンサーンスの音楽を少し感じさせます。103、104小節で縮節になり、微妙な和音の揺れ動きを経て、111小節の再現部がfis-mollで表現されます。調を明白にする効果を上げるために、バスはI音のオルゲルプンクトが116小節まで続いています。ここはV和音とVI和音の交替ではっきりしない揺れ 動きが続き、117,118小節で一気にカデンツになりますが、I和音は一瞬響くだけで単旋律でコーダに移ります。短い再現部にするのもショパンの趣味です。 Meno Tempoになってからは冒頭のテーマが、やはりはっきりしない和音の揺れ動きの中で表現されます。そして徐々にゆっくりとなりながら129小節からの縮節につな がります。ここでは音楽がほぼ停止しそうな感じです。ただし、133,134小節 では、拍子を正確にとるべきです。それは、音符の長さと休符がフェルマータ効果をもっているからです。135小節からは一気に高揚して終わりますが、ここでもはっきりしたドミナント和音がありません。意識的にドミナント進行を避けていることは明白です。

 ドビュッシーがとてもこの作品を嫌っていたことは共感できないわけではありませんが、愛らしい作品であると思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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