ドビュッシー探求

前奏曲集第2巻より第3曲「ヴィーノの門」

2008/03/21

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第2巻より第3曲「ヴィーノの門」 3m39s/YouTube

 スペインのグラナダ地方にある有名なアルハンブラ宮殿の入り口にある「ぶどう酒の門」の絵はがきを、スペインの大作曲家、マニュエル・デ・ファリャから受け取ったドビュッシーが、それをもとに作曲したことは一般的に認められている事実だそうです。その絵はがきの具体的な図柄はわかりませんが、いま、我々はさまざまな方法でその写真や動画などからその姿以外の情報を得ることが出来ます。ドュッシーはたった1枚の絵はがきから着想を得ているようですが、面白いのは、ドビュッシー自身は1度もスペインに行ったことがないということです。ところが、前奏曲集第1巻の「とだえたセレナード」、「版画」の「グラナダの夕べ」とこの作品など、スペインを題材とした作品は多く、しかも、とても質の高いものです。ファリャは、ドビュッシーのこういった作品を評して、極めてスペイン的であると褒め讃えたようです。私は、もちろんそうであるとは思いますが、例えば、不滅の傑作、アルベニスの組曲「イベリア」やファリャの諸作品と比べると、スペイン的なるもののフランス的表現だと感じています。端的に言えば、よりマイルドということでしょうか。

 音楽は、もちろん、絵はがきの描写ではないと思います。現在は観光地となっている宮殿ですが、恐らくは宮殿の周辺のさまざまな人間の喧噪と匂い、そして光と陰の揺らぎ、そういったものではなかろうかと思います。ハバネラのリズムが一貫して流れている中に、けだるさを表す3連符を含むリズムモチーフ、ギターをかき鳴らすかのような素早いアルペジオなど、異なるリズムの組み合わせが複雑な和声とともに表現されています。

演奏上の問題について
 まず、最大の問題は、テンポです。普通、曲のテンポを決める一つの方法は、最も速い音符の部分を音楽的に演奏できることで決めることです。そうすると、13~16、73小節の部分を音楽的に弾けるテンポにすることになります。しかし、この64分音符の6連符、7連符を音楽的に演奏できるテンポはとても遅いものになり、とてもハバネラのリズミカルな雰囲気は出ません。しかし、ドビュッシーは冒頭で、「ハバネラの速さで」と指定しています。確かにこれらの連符は速く弾くべきです。そして、ドビュッシーの作品は、リズムをとても正確に演奏しなければいけません。その部分だけ遅くすることはできません。この矛盾をどう解決するかです。

 一つのヒントとして、ドビュッシーは、音価の表記を必ずしも正確に書いていないことが挙げられます。ドビュッシーが算数レベルの計算が苦手だったのかどうかわかりませんが、例えば、前奏曲集第2巻の第12曲「花火」の27小節以下の部分では、32分音符や64分音符で書かれるところが、頻繁に表記ミスになっています。もし、速い音符を書き間違えたとすれば矛盾なく演奏できます。例えば、13小節の部分なら、付点8分音符を8分音符として、6連符を32分音符とすれば良いのです。恐らく、そうしてもハバネラのテンポで演奏した場合、ほとんどわからない違いになります。

 いずれにしてもこれは推論なので原則的には正しい音価で演奏すべきだと思います。そして、3連符や付点、細かい音符などがありますから、あまり速いテンポで演奏することは、その違いが表現できず、意味がないと思います。むしろ、ハバネラの雰囲気を出すことを大切にするべきではないかと思います。

 さて、最初から見てみましょう。

 1から4小節は第1主題といえるもので、desとasのオルゲルプンクトが43小節までずっと続いています。完全に一定で演奏すべきだと思います。第1小節はバスがdes-mollの3音省略のI和音で、右手の2拍目eとaはVI和音的、2拍目ウラのaとdはナポリ和音的です。もちろん、広義のアポジャトゥーラと考えても良いでしょう。フォルテの他に「とげとげしく」とあるので、とても刺激的な表現をするべきですが、あくまでも頂点は44小節にあるので、そこから逆算したものにするべきでしょう。この作品のすべての前打音は、拍の頭にあわせるべきです。強弱の表記も注意するべきです。1小節の後半にフォルテから始めるクレッシェンドが書いてありますが、2小節の冒頭ではsubitoでフォルテに戻るべきです。強弱も大切ですが、むしろ、バスはフラット系で、右手はそうでないことから、音の明るさの変化を表現した方が良いでしょう。3小節は16分音符のところからsubitoでピアノ、そしてdim。、4小節ではまたsubitoでフォルテに変化します。これらをとても正確に表現し、しかもリズミカルにするべきです。

 1~4小節で確立した鋭い拍子とハバネラのリズム、跳躍音型の主題に対し、5~24小節はハバネラのリズムは同じで、その上に順次進行の滑らかな第2主題が現れます。冒頭に、「極度の荒々しさと情熱的な甘美さを突然対比するように」とありますから、第1主題と第2主題の性格の違いを極端に出すべきでしょう。

 5~16小節は、hをcesに読み替えれば、IV度上のV7またはV9和音と考えられます。この和音の7音のcesをhに、8小節2拍目から出てくる9音のesesをdと読み替えていることで、メロディーがフラット系でない音として浮かび上がります。普通、5~8小節にクレッシェンドを書きたくなるところですが、ここではソプラノの音価が徐々に短くなっていることから自然な形で緊張感が増していくので必要ありません。9小節から、右手は3連符、左手は付点という形が出てきますが、どちらも正確に弾くべきです。また、9、10小節の強弱とアーティキュレーションは、70、71小節のそれと異なります。違いを明確に表現したいところです。11小節の右手の3連符は左手の16分音符と完全にあわせるべきです。13、14、16小節の強弱は右手のもので、忠実に守るべきですが、左手がこれにつられずに、ハバネラのリズムをたんたんと刻むことはとても難しいところです。17小節のピアノはsubitoです。そして20小節まででフレーズを閉じます。その際、rit。をしないように心がけたいところです。あくまでもハバネラのリズムを正確に刻むべきです。また、19、20小節では、右手のdes, fの和音の響きの中で左手のパッセージが立体的に響くべきです。21小節の細かい音符は、強く弾くべきですが、軽くクリアな音で弾くべきです。また、21、25、26、27、29小節のバスの最初は休符になっていますが、これはハバネラのリズムが途切れたのではなく、本来はこの休符のところでdesが鳴っていることをイメージして弾くと良いでしょう。物理的にdesが弾けないから休符になっていると解釈するべきでしょう。そうすると一貫した流れが途切れないと思います。

 25~30小節は第2主題の余韻といえます。前半部分の終わりですから、多少リズムが緩んだ感じという意味でrubatoとあります。なお、ここでも細かい強弱の指示を正確に守らなければいけません。Des調のバスの響きの上に、V9の和音がF-durからEs-dur、Des-durと順次下がっています。しかし、27小節は、28小節のC-durのいわば倚和音と考えるべきで、そうだから強弱の指示がピアノからpiu ピアノになっているのです。従って、29、30小節も同じ対応で演奏するべきでしょう。

 31~65小節は一種の展開部といえるでしょう。31、32小節はその前の少しだらけた雰囲気からはっきりとした雰囲気に変えるべきでしょう。33~41小節は3連符の少し緩んだ感じと2連符のはっきりしたリズムをうまく組み合わせて表現したいところです。36小節までは、右手のメロディーの最後が必ず上行音型になっていて、その後の小節の最初の音は不連続に繋がります。その感じを出したいところです。特にそのヒントは35、36小節の細かいクレッシェンドに現れています。このあたりは和音がほぼ並進行していますが、38小節からは必ずしもそうなっていません。38~40小節は、小節ごと異なる教会旋法が用いられています。長3和音、短3和音の違いを含め、微妙なニュアンスの変化を付けながら演奏したいところです。バスと一種の複調になっています。

 42小節からは再現部のように思いますが、44小節で突如、それまでずっと続いてきたdes、asのオルゲルプンクトが壊され、fとbのオルゲルプンクトに変化します。42小節の最初に、再度「とげとげしく」という指示があります。性格表現を突如変えたいところです。

 44小節からはB-durで、とても情熱的に演奏するべきですが、46小節でsubitoでメゾフォルテになっています。これは、異名同音でフラット系の響きになったためドッペルドミナントの5音下方変位、根音省略と考えていいでしょう。45小節の左手のdとfが半音下がって46小節でdesとeに向かっていることとあわせ、低めの音のイメージが大切です。47小節からはまたgesがfisになっています。響きの明るさの変化をイメージとして大切にしたいところです。

 50小節からは第1主題の展開が始まります。「皮肉っぽく」、低めの音のイメージで演奏したいところです。50、51小節は、ソプラノとバスの音程が10度の関係で並進行していますから、その響きを対等に表現するべきです。また、当然のことながら、装飾音は拍の前に出しません。52~54小節はハバネラのリズムが途切れます。52小節は並進行で下降するので、力の抜けた感じが出ます。ここも並進行なのですべての声部を対等に響かせたいところです。53、54小節は、1拍ごとに響きの明るさを変えて、2拍目が1拍目より明るいイメージにするといいでしょう。また、あくまでもfとbの和音の響きの上に他の和音が乗っているように響かせたいところです。

 55~61小節は一転して「優雅な」曲想に変えます。多少、踊りのニュアンスを強めると良いかもしれません。57小節は、52小節の音型にオクターブ跳躍を含めた変奏で、とてもレガートに演奏して、その音域の変化を丁寧に表現することで更に優雅なニュアンスが表現されます。なお、55小節からの右手の8分音符についているアーティキュレーションは、50小節からの部分のそれと比べ、より軽やかに演奏するように変えてあります。こういったところもしっかりと違いを表現したいところです。60、61小節は突然動きが止まったように表現しますが、ゆっくりとし始めるのは62小節からなので、あくまでもテンポは変えない方が良いでしょう。62~65小節はDes-durのドミナントなので、66小節でトニックに解決することを予感させるところです。中声部およびバスにメロディーがきますから、これを浮かび上がらせるのですが、それだけでなく、バスのV音のオルゲルプンクトの上に和音の揺らぎも重ねて表現したいところです。メロディーとは別に、4分音符ごとに、上のラインから順に、f→e、des→c、bb→b、g→gesという響きの揺れを感じたいところです。また、64小節のpiu ピアノは、subito で音色を変える指示と考えると良いでしょう。これに限らず、細かい強弱の揺れを指示通りに表現しましょう。

 66小節からは5小節からの第2主題の部分の再現部と考えられます。ほぼ同じように再現しますが、細かい強弱やアーティキュレーションをよく比較して違いを出したいところです。72~74小節の右手の重音の指使いは、(24) (24) (15) (24) (13) (12) (13) (24)(35) (24) (13) (12)が適切だと思います。軽い音質を目指して、なるべく力まないで常に2拍に音が向かうイメージで練習するといいのではないでしょうか。

 75、76小節も17、18小節と微妙にアーティキュレーションが違います。79小節は21小節と比べるとあまり鋭くない響きで表現します。83小節からは「少し遅く」「遠くの方で響いているように」、そして、シャープ系の明るく、細い響きで表現すると良いでしょう。85小節は、カデンツなしで突然Des-durのトニックになるので、唐突にフォルティシモになります。私は上段と下段を左手で、中段を右手でとって演奏します。左手の細かいアーティキュレーションは正確に守りたいところです。また、87小節からは音価が長くなるので、リタルダンドしなくても遅くなった効果が得られます。テンポを変えずにそのまま終わります。なお、89、90小節の部分は、音をペダルで表現して良いですが、休符を正確に表した方が良いでしょう。

 気難しい音楽に感じるかもしれませんが、不連続であることの楽しさ、変化の大きさを優先して表現するととても気持ちのよい音楽です。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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