ドビュッシー探求

前奏曲集第1巻より第6曲「雪の上の足跡」

2007/12/21

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第1巻より第6曲「雪の上の足跡」 5m01s/3.61MB

第5曲と第7曲の間に挟まれたこの作品は、耐え難い寂寥感に満ちあふれた特異な音楽です。こういう世界を最初に表現したのはシューベルトではないかと思っています。例えば、歌曲「冬の旅」の「辻音楽師」などです。しかし、シューベルトには、まだ、人や悪魔という人格や感情が存在していますが、ドビュッシーの場合、更に象徴的になり、人は存在しません。だから、涙を伴うような悲しさという感情は違うと思います。ベートーヴェンの晩年の作品にある深い精神性というものとも異なりますが、音楽の密度の高さという意味では、それらの作品に勝るとも劣らない作品だと思います。
 執拗なリズムモチーフの上にとぎれとぎれにメロディーが歌われます。左手の伴奏には、「このリズムは悲しく凍りついた風景のもつ性格を表現した響きで」と注意書きがあります。どんなにリズム練習をして指の力をつけて、どんなに指を早くまわるようにしても、こういう、音楽の本質そのものの響きを表現することには無力です。雪国育ちの人たちはこの音楽の世界を容易にイメージできるかもしれませんが、そうでない人は、冬の京都の、雪の積もった枯山水のお庭や、ライトの落ちたあとのナイターゲレンデに身をおいてみると良いかもしれません。しかし、そういったイメージを昇華して、最後は音楽そのものになりきることが大切だと思います。
 これだけ少ない音でしかもたった36小節でこれだけの音楽を作ってしまう、この延長上にある作曲家はウェーベルンでしょうか。

演奏上の問題について
 まず、左手に現れる執拗なリズムモチーフの表現がとても難しいと思います。1~4小節ではdを主音とする教会旋法(エオリア調)ですから、cisが半音下がってcになっています。また、5~7小節は1~4小節のbがhに半音上行しているのでニ音を主音とするドリア調です。微妙な違いですが、これら2つの旋法は、ほんの少しだけドリア調の方が明るさをもっていると思います。3連符の最初の16分音符は装飾音と考えて良いですが、ドビュッシーはそのニュアンスを音符の長さと強弱で細かく指定しています。まずは正確に守った上でそのニュアンスを会得したいところです。1小節ではバスがd-moll のI音のオルゲルプンクトで、1,2拍がドミナント、3,4拍がトニックと考えられます。もちろん、ドミナントの導音や第7音などの限定進行音がないので、ロマンティシズムは微塵も感じさせません。5~7小節は、バスが5度の下降順次進行、ソプラノが上行順次進行で、反進行ですから、その拡がっていく感じを表現したいところです。また、細かいところですが、7小節の和音は8分音符のあとは休符です。突然音を切るのではなく、スッと自然に消えるようにペダルを調整したいところです。
 8小節はF-durのV9とFis-durのV7の和音のゆれで、これが繰り返されます。バスにメロディーが来ていますが、あまりメロディーという感じはしないので、いま申し上げた和音の揺らぎの方を重点的に表現する方が良いかもしれません。10小節では、8,9小節のシャープ系の響きからフラット系の響きにかわり、1小節単位で同じように3回繰り返されたのち、11小節で突然動きが停止します。9小節のバスのラインが反行形で10小節ではb→a→as→desとなり、これが全音上がってc→h→bときて、同じ音型で来るはずのesは12小節の1拍目ウラのバスにテヌート付きで現れます。この13小節までの部分はGes-durの付加音のあるIで、全曲の中で唯一柔らかく、平和な響きがするところです。しかも、足跡を感じさせる冒頭からのモチーフが12,13小節で途切れます。しかし、14小節で全音階和音(c, (d), e, fis, as, b)によって不安で浮遊した感じになり、また足跡のリズムモチーフがバスに戻ります。バスは半音階で下降しながら、消え入るように不安感と寂寥感を伴い、16小節からの展開部に入ります。
 16小節からは、あた冒頭と同じエオリア調かと思わせますが、16小節の3拍目のバスは、aが下方変位してasになっています。心理的にすごく強い音ですから、3回繰り返されるg→as→bは音量の助けを借りないで強い表現力で弾きたいところです。17~19小節では、強弱が小節ごとに違います。特に19小節はsubito piu Pで、3小節の間下方変位されてきたasがaに解決することによってトニックに収束した感じが欲しいところです。
 20小節からは、5小節からと同じような楽節ですが、違いをすべて洗い出し、さりげなく、しかしはっきりと表現を変えたいところです。まず、20小節の4拍目の右ですが、ここで一度フレーズが切られるところが5小節と異なります。そして、21小節I拍目までdを主音とするドリア調ですが、突如、h→cesの異名同音的な転調でGes-durになります。このh→cesでは激しく音色を変えるべきです。ドビュッシーは、この小節の部分に「表情を込めて」、「生き生きと」、「優しく」などと書いていますし、20小節4拍目のhはテヌート、21小節の2拍目のcesはレガートスタッカートというように何重にも表現を変える指示を与えています。21小節の3拍目から23小節の2拍目までは長いV9ですが、ドビュッシーおきまりの手法で、長いドミナントの後には解決しないというルールはここでも適用されていて、24小節の3拍目ではトニックに解決せず、ソプラノとe→fのリズムモチーフを除けば、ドミナント和音が半音ずつ上行しながら並進行していき25小節で動きを止めます。25小節でも7小節と同様に突如単音にして、和音を残さないようにしましょう。この部分のソプラノは強弱の指示が各音についていますが、特に24小節4拍目から25小節1拍目のテヌートとクレッシェンドの組み合わせが2回繰り返された後、24小節の4拍目は異なるニュアンスになっていますから、これをしっかりと表現したいところです。
 26小節ではまるでg-moll に転調したようにみえますが、半音ずつ和音が下降していって27小節では結局d-moll のトニックに解決しています。28小節の1,2拍ではまた同じ和声の繰り返しを予想させますが、2拍から3拍にかけて、h→cesの異名同音的転調により、Ges-dur 転調し、包みこまれるような優しさに満ちあふれます。ドビュッシーは「優しく、悲しく、名残惜しむように」と指示しています。29小節は、ソプラノとテノールでメロディーの受け渡しがあります。31小節まで、和音は徐々に上行し、メロディーは30小節の4拍目をピークに下降し、32小節でGes-durのIの和音に解決して優しさに包まれたコーダを皆が期待するのですが、32小節では突如、また冒頭の足跡のモチーフが、今度は高音で、オクターブで演奏され、しかも、dを主音とする旋律短音階としてメロディーの断片が下声部にあらわれます。そして34小節で完全に動きが止まり、d-mollのIV7和音の響きの中でバスの4分音符がとぎれとぎれに、「だんだん弱く」力をなくしながら下降していき、極めて音域の離れたバスとソプラノによってトニック和音を消え入るように、しかし、存在感をもって響かせて、生物も魂もない、無の世界を表現して終わります。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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