ドビュッシー探求

12の練習曲より第10曲:対比的な響きのために

2007/09/21

今回の曲目
音源アイコン 12の練習曲より第10曲:対比的な響きのために 7m19s/YouTube

恐らく、このピアノ作品は、響きの美しさ、色彩感、立体感、遠近感の表出という意味において、この作品の前にいかなる作曲家も、~ドビュッシー自身も含めてですが~ 表現し得なかった傑作であり、この曲集のみならず、ドビュッシーの全ピアノ作品の頂点をも形作るものだとぼくは思っています。そして、ドビュッシーには珍しく、ある種の宗教的ともいえる美しさをもつと思います。ドビュッシーでは知的な喜びを与えてくれる作品が多いのですが、この作品はそれに加え、人間の感情の深いところに大きく作用すると思います。もちろん、この作品と同系列で語ることのできる傑作としては、映像第2集第1曲「葉ずえを渡る鐘の音」、同第2曲「廃寺にかかる月」、前奏曲集第1巻第4曲「音と薫りは夕べの大気に漂う」、同第10曲「沈める寺」、前奏曲集第2巻第7曲「月光のふりそそぐ謁見のテラス」など数えればきりがないのですが、これらすべての作品のエッセンスをシンボルとして昇華したものがこの作品だと思っています。
 ドビュッシーはあまり息の長いメロディーを曲の中に用いなかった作曲家です。この作品でも、特異なオクターブの音の断片とメロディーの断片で作られた前奏と休止のあと、「表情こめて、しかも深く」と指示された、宗教的な祈りを彷彿とさせる半音階的なメロディーがレガートで不思議な和音の響きの中に演奏され、徐々に音程を上げていきます。そこに、ドビュッシーが若い頃から深く愛した、ロマン派までの作曲技法の禁則「並行5度」の和音の伴奏に半音階的にスタッカートで進行するメロディーが奏される。ここまでのメロディーはメロディーとしての親しみがわくものではありません。ひたすら和声の変化で静かに、淡々と続きます。そこに突如、しかし「遠くの方から」「透明で」「喜びをもった」楽しげな旋律が現れます。これもドビュッシーが好んだ4度音程、5度音程を巧みに組み合わせたものです。これが繰り返されますが、今度は「より間近で」響く。この頃から、低音に嬰ト音の保続音が鳴り続け、前奏曲集第1巻第10曲「沈める寺」以来の極めて巨大なクレッシェンドで練習曲集全体の頂点が形作られます。しかし、突如静寂になり、低音の厚い、しかし重くない響きの中で、高音部分にこの世のものとは思われないほどデリケートなメロディーが鳴り、実はここから、大音量に頼らない真のクライマックスが訪れます。そして、先ほどの「遠くの方から」「透明で」「喜びをもった」楽しげな旋律が「遠くで」歌われ、「さらに遠くで」歌われ、最後に一閃の光をともなった後、消えていきます。
 この作品は、指を速く動かすところはありませんが、「響き」についての感性を十分に身につけた後に取り組むべきだと思います。音楽的には非常に難しい作品だとぼくは思います。

演奏上の問題について
 1~3小節ですが、ここからすでに非常に難しいと思います。gisの音は保続音ですが、他の音にはペダルで残す記号がついていません。つまり、1つの解釈として、テヌートのついたaやバスのスタッカートのついたgisは長さを守り、保続音のgisは音を鳴らさずにおさえ直すことで響きを残すという形で演奏するというものがあると思います。しかし、ぼくは、3小節目の最初で踏み変える以外はペダルを踏みっぱなしです。それは、保続音gisがペダルによって他の弦に共鳴した、その響きを残したいからです。7小節からは、左手のテノールにあるラインと右手の1の指で演奏される部分が完全に重なっています。これをどう弾くかという点が問題になります。物理的に鍵盤上で両手の1の指を重ねて弾くという考え方もありますが、ぼくは、異なる楽器の音が重なっているという発想で読みます。例えば、ファゴットとチェロが重なっているように。また、もしも重ねて弾くとすると、9小節目の2拍目のeは左手で物理的に弾けません。従って、左手はバスのオルゲルプンクトfのみを弾き、右手の1の指で弾くラインを、その1オクターブ上のラインの音よりも響かせるというのが作曲者の意図であろうと思っています。もちろん、右手のasのオクターブは、メロディーラインとは異なる、軽めの音で演奏し、メロディーラインは深い音色で弾くべきだと思います。
 全体に、ある和音を響かせている中で立体的に他の音を弾くという技術が必要となります。例えば12小節では、右手で変ホ長調のドミナント和音を響かせながら、ソプラノで、その響きを保ちつつas→c→dを違った音質で弾くことなどです。7~14小節は息の長いクレッシェンドですが、音域が徐々に上がること、同じリズムが繰り返されることなどから、何もしなくても十分抑揚感が表現できますから、楽譜どおり、クレッシェンドは最後の2小節程度にほんの少しだけするだけで十分です。決して14小節でフォルテのニュアンスが出ないようにしたいところです。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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